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ガンバロウ福大!行政の「結」

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に端を発する東日本大震災をきっかけに、福島大学行政政策学類の教員有志でブログを開始しました。福大行政に関わる情報共有・情報発信の場として、このブログが、読者のみなさんとわたしたちの、また、みなさん同士の結節点になれば嬉しいなと考えています。一緒に手を携えて、この難局を乗り切っていきましょう。     (2012年3月26日記)

福大×上智大=??Part 3 フィールドワーク②震災と子供(福島市渡利)

 こんにちは。ぴたです。3月11日6年目を無事に過ごすことができました。なんだか心がざわざわして、この時期に放送される特集番組から目を背け、じっとしていました。こういう態度はどうなんだろう、という疑問はありますが…。放送された特集番組は(録画したので)これから静かに見ようと思っていますし、この時期に届いたお手紙やメールには、少しずつ答えていこうとは思っています。
 さて。
 ぴたの不手際で、すでにアップしていたフィールドワーク報告②震災と子供(福島市渡利)が、勝手に削除されていました!
 すみません。
 そこで、順番が逆になってしまったのですが、再度、掲載させてもらいます。
 今回は、「震災と子供」がテーマです。
 報告書には、いろんな画像があって、無邪気な学生たちと子供たちの楽しそうな笑顔に癒されるのですが、今回は、画像は削除のうえ掲載します。
 それにしても、大学生って…本当に自然に「子供」にもなって遊ぶこともできるし、「大人」としての客観性をもって分析することもできる、という絶妙な存在なんですね。ぴたも、そのなかから、たくさんのことを、おすそ分けのように学んでいます。
 
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「震災と子供班」~交流企画について~
福島大学行政政策学類 大黒ゼミ
上智大学ドイツ語学科 木村ゼミ

○背景:
福島第一原発事故問題に関して、今後の復興発展のためにも人口問題、とりわけ子供について考えることは大切である。今回震災が子供に与えた影響はいかなるものだったのか。震災直後は、外で遊ばせれば放射線の不安、室内に留めると肥満の問題が付きまとう、避難したくてもできないなどの葛藤を持っている人がいるなどのあらゆる情報が流布した。そこで実際に事実と錯綜した情報の信憑性を、現場で確認する必要があると考えた。今回上智大学の学生と一緒に、福島県で子育てする現場(親・先生)の声を聴き、見ることにより理解を深めたいと考えた。


○目的:【事前認識との〝ズレ″を確認し、今後の課題展望を考える。】
渡利学童保育きりん教室は、普通の学校や児童館とは違い、父母の会主体で運営されている。また指導員自身も福島で子育てする保護者であるため、今回の企画に適していると考え、実際にお話を聞くことにした。
企画前に「震災と子供」に関する考えを福島大学生、上智大学生ともに整理しておいた状態で指導員の話を聞く。また親からの子供と実際に触れ合うことによって現在の福島の子育て事情を認識する。フィールドワーク後は各自の認識のズレを整理し、今後の課題を確認する。


○フィールドワーク内容
時期:2月13日(土)14:00~17:00
場所:渡利学童保育きりん教室
→※【きりん教室は、渡利小学校の東部、小学校から歩いて5分の借家に居を構えています。父母の会が運営主体で1979年から続いている学童保育です。築50年とも言われる古い民家に入りきらないほどの子どもたちが生活しています。2013年4月現在66人の児童が登録しています。平屋建てのせいか、東日本大震災で倒壊することもなく、今でも子供たちの生活の場になっています。】
※『あの日からもずっと福島・渡利で子育てしています。』P66
著:佐藤秀樹(指導員)かもがわ出版

活動内容:
・指導員佐藤秀樹さんから「震災と子供」に関するお話を聞く。
・子供たちと実際に触れ合う。
・保護者に事前にお願いしていたアンケートを回収する。

○話内容

震災直後は、政府などからの避難情報などの明確な指示はなかった。「放射能が飛散しているので子供は屋外に出ないこと」「マスクを着用することにより放射能を防ぐことができる」「長袖を着ることで放射能を防止できる」など不明確な情報が流れた。
3/14からきりん教室が再開した。震災直後2ケ月間は室内で飽きるほどゲームをする。この期間に子供たちはストレスを溜めていた。
毎年の恒例行事である5月の運動会は延期となり、秋から外で遊ぶことになる。(外で遊ぶ系統の行事は秋まで無くなる)また、6年生は中学校に上がる前に初めて主体となって経験するはずであった鼓笛パレード、陸上、水泳できなくなってしまった。
山は除染していないので、恒例の「散歩」(山や河川敷にまで歩いていき、遊ぶこと)がなくなる。歩かない生活をさせることが先生・親として心配となり2013年秋から散歩が再開される。しかし、幼稚園や保育園に通う時期に震災を経験した今のきりん教室の子供たちから「散歩」の経験はほぼ抜け落ちている。また、実際のところはわからないが、1,2歳のころに震災にあった子供たちは、以前は乗れたはずの三輪車に乗れなくなっていたり、坂道が登れない、顔から転んでしまったりが見受けられた。
親としても震災直後は子のためにどうしたらいいのか分からない状態が続いた。避難する人たちは皆さん自主避難の形を取っていた。
すべての行事を行うにあたって、放射線量ではなく、保護者の合意を大切にした。放射線問題に関する見解も人それぞれ違うので、外で遊ぶことを決定する際は親と子の納得できる一致点を探すことを目指した。(運動会など、一人でも外で遊ぶことに反対する親がいたのならば、全員が参加するために体育館で行うことになった。)
食に関して米・野菜も安心して食べている。不安な時は検査を実施する。

先生としてのストレスがかかる場面は、子供が除染していない場所を走ったり、触ったりしたときに注意しなければならないところ。(他県の子供が当たり前にしていることを、福島の子供はできないこともあるという事実。)
国や政府はもう信じられない。東電も国も本当の意味で謝っていないのではないか。
原発は数にならない、お金に換算できない被害を子供たちに与えてしまった。癌が出なかったから良いとするのではない。
子供たちから奪われたものは「日常」であり外部から与えられる「イベント」ではない。回復すべきなのも日常。除染していないところを走ってはいけないと注意する心境。
福島の代表→福島を変えられるのは、福島に住む自分たちだけ。全国の人に福島で起きたことを受け止めてほしい。見守ってください。


○アンケート
上智大学の学生には、震災と原発事故に関する事前認識を確認するため、きりん教室の保護者には、震災後から現在における子供に関するアンケートを実施した。その結果をもとに認識のずれを整理し、今後の課題を確認する。

【上智大学の学生へのアンケート集計】
① 原発事故後の、福島の子育てに関する現状を知る機会はあったか?
  はい 2票(15%) いいえ 11票(85%)

② 「学童保育きりん教室」は渡利地区にあり福島第一原発から北西約60km 離れていますが、現在も放射能の影響で遊べない子供たちがいると思うか? 
はい 4票(30%) いいえ 3票(24%) わからない 6票(46%)

③現在の渡利地区の放射線量はいくらぐらいだと思うか?
  0.1μ㏜~16 ㏜/h までの回答があり、実際に見当がつく人はほとんどいなかった。

④ 原発事故直後の3月15日の放射線量は 24.24μSv/h だったが、もし自分が福島市 渡利で子育てしている親だったとしたら避難するか。
  避難しない 1票(7%) 避難する 12票(93%)
・避難する理由:確かな情報がわからないので、できるだけリスクを減らすため避難する。
正確な情報が手に入るまで一時的に離れた場所に移動する。
・避難しない理由:経済的余裕がないし、移動先で職が見つかるとも限らないため。

⑤子供たちが遊べないことによって、生活にどのような影響が生じると思うか。
→運動不足による肥満児の増加。また肥満児に応じた食生活の変更。室内空間のみでの遊びはストレスを溜める原因となる。電子機器への依存度も高くなり内向的な子が増える。生活リズムの不規則化は精神的・肉体的健康にも被害を及ぼす。


⑥ 原発事故前と事故後/事故後から現在にかけての子どもの食生活はどのように変化 したと思うか?
・インスタント食品・支援物資のお菓子などを食べる機会が増え、栄養バランスの取れていない食生活になる家庭が多かったのではないか。
・常に放射線量のことを考えて、福島県産を避けて食事するようになった。
・福島といっても広いので、汚染されていない地域で取れた野菜を買えると想像した。

⑦育児中の親が抱える子育て問題どんなのあるか
→最も多かったのは子供の遊び場所確保に関する心配。外で遊べないことによるストレスが子供にあるのではないか。また震災を経験した子供に対する心のケアを必要としているという意見が多くあった。
 放射能に関する情報は不明瞭なものも多く、どの情報を信じれば良いのかなども問題となっているのでないかと答えた。

⑧ 今後福島にはどのような支援が必要だと思うか?
・仮設住宅ではなく、確立された生活圏  ・信頼できる情報支援
・県外の人も福島の中を知る、関心を持てるような場、サイト、イベントを増やすこと
・風評被害を減らす対策    ・除染作業の人員的経済支援


【きりん教室保護者へのアンケート】

① 子どもと遊びについて、震災前と震災直後では外で遊ぶ回数が0、つまり遊べなくなったが、震災直後と現在では、遊ぶ回数が増えたという答えが多かった。しかし、遊ばせるにしても渡利地区では遊ばせないなどのルールを独自に設けている家庭もあった。震災後、外で遊ばせるようになったのは、2013年の春からという答えが最も多く、原発事故後2年が過ぎ除染済みの地域が広がったことが要因として挙げられる。

② 子どもの食生活について、原発事故直後は実家などの野菜を含め、福島県産の食材を避けざるをえなかったという回答が多く、しかし現在では福島県産のものでも店頭に並ぶ放射能測定がされている野菜なら安全だと思い購入している、という意見が多かった。
国や行政からの支援について、子どもに関するなんらかの支援があったと答える人は無く、原発事故後の子どもの生活に関するケアは十分ではなかったということがわかった。

③ 渡利に住み続ける理由として、最も多かったのは「仕事」と「地域基盤」の問題であった。放射線の不安がある=引っ越す、と単純には問題は解決できず、ほとんどの保護者が放射線への不安を持ちながらも、転職の問題、保護者の親や地域とのつながりが切れることを危惧し、消去法で渡利に住むことを選んだ人が多かった。他にも理由はあったが、やはり突き詰めるとお金が絡む理由になっており、渡利に「住みたい」からという能動的な気持ちより、住まざるをえないもしくは引っ越し後のリスクを考えた上で選択する人が多いように感じた。

引っ越しする当てがない:親の仕事の問題:仕事、家、親、福島を出ることがすべての面において良いことだとは思えなかったから:転職困難、地域のつながりを捨て遠方に引っ越せば、生活が立ちいかなくなることは目に見えている:渡利に土地を購入、家立てた:今までの生活をすべて捨て避難しようとは思わなかったから:両親が近くに住んでいる、事故後避難したが子供に「家に帰りたいと言われたから」:自分で業者に依頼して除染したから:子供を育てる人的環境が整っていたから。不安や葛藤を抱えながら違う土地で子供を育てるストレスの方が大きい:仕事、渡利に住んでいたから:あまり深く考えなかった:家の返済があるから:仕事、転向させたくない


(1)震災後、国や行政、ボランティア団体などから、子供を持つ家庭への何らかの支援はあったか。
  はい 8票 (57%) いいえ 6票 (43%)
【支援内容】 ※()内は支援団体名
 ・放射能の少ない工場地区の旅館へ安価での滞在
 ・県外へのリフレッシュ旅行(全国医療生協)
 ・所属する幼保小中を通じてミネラルウォーターやバナナ、おもちゃ、マスク、ごみ袋などの配布。定期的なものもあり。(横浜市など)
 ・県外施設への宿泊学習(県)
 ・旅行割引(市役所)
 ・リフレッシュキャンプ
(2)(1)の質問ではいと答えた方への質問
 その支援や内容は十分なものでしたか。
  はい 6票 (75%) いいえ 1票 (17.5%) わからない 1票 (17.5%)
十分だった理由
 ・とてもありがたく、心にゆとりができ気分転換になったから
 ・使用せず余ったものがあったから
 ・親切で子供たちも楽しんでいたから
 ・現在まで、回数や頻度は減ったが継続しているため
十分でなかった理由
 ・企画がたくさんあっても年齢によっては参加できないものもあったから
 ・抽選が多く、希望者の一部しか参加できなかったから
わからない
 ・自分たちを思い実施してくれたのはうれしいが、何かを求めたわけではなかったから
(3)(1)でいいえと答えた方への質問
 どのような支援がほしかったですか
  ・一生不安を背負いながら暮らしていかないといけないため、
それなりの代償をしてほしい
  ・目に見える形での支援
・無料で他の地域に親も一緒に行けるもの
・安全な食材の提供や水の支援
・風評被害を受けないこと



➄今後、子供を持つ家庭として望むことは何か?
・国や行政に対して望む支援
原発の廃止、確実な廃炉や徹底的・スピーディーな除染、経済的負担を軽くしてほしい、情報を発信し続けること、現状を正しく理解してもらうように努めること、問題のすばやい解決方法をはやく示してほしい
・解決方法に関する意見
『県内に住んで居てもいまだにどうしていくべきか、どうするつもりか全然知らない、伝わってこない』
・他県の人に対して望む支援
『「福島」という一括りで人を見ず、偏見や思い込みを持つことなく、多くの人の本音を知ろうとして欲しい』
『これから先子供が大人になったとき、結婚する相手の親から福島の子とは結婚させたくない、などど、言うようなひとがいないといいなと心から願っています。』
『あの「フクシマ」と言われることはもううんざり、ほうっておいてください、静かにしてほしい』
『若い方が知ろうとする思いで行動してくださることに感謝しています』
『他県では、原発事故による汚染土のみならず、他の原発にかかる放射性廃棄物はすでに汚染させている福島県だけで処理すべきとの論調があるようだが、大変残念に思う。これは日本全土の問題と考えてもらいたい。』
『他県に行ってしまった人たちのことも考え続けてほしい』

子どもを持つ家庭として今後国や行政、他県に対して望むこととして、最も多い意見はやはり、除染を早く終わらせて、子どもたちが自由に遊べる環境を取り戻してほしい、であった。他にも国や行政に対して、正しい放射線とその影響に関する情報を発信し続け、正しく理解してもらえるように努め続けることを望んでいた。また、他県の方に対しては、除染されたとしても依然敷地内に除染土が放置されたままで、その問題について他県からは「福島県だけで処理すべき」との論調が強まっているのが、残念で仕方ないという意見があった。アンケートの中で気になったのが、2つの対極な意見だった。それは福島をもっと「知ろうとしてほしい」という意見と「フクシマ」と呼ばれることはうんざりで「そっとしておいてほしい」という意見だ。これは、子どもをもつ家庭だけでなく、福島県民の意見を表しているのだろう。震災から5年経過しようとしている今、福島に対して偏見を持ってほしくない、忘れないでほしいと思う人、静かに福島を見守ってほしいと思う人、私たちは5年前の原発事故から徐々に変わりゆく福島の感情に目を向けながら「復興」を考えていかなければならないのかもしれない。


○参加者の考えたこと、学んだこと

 自分自身震災当時は宮城県に住んでおり、震災直後の福島の子供事情を知る機会はほとんどなかった。佐藤さんのお話・親御さんからのアンケートを見て、「放射能」は子供を取り巻く環境に予想以上の被害を与えていたと感じた。今回常置の学生は初めて福島に来る人が多かった。その誰もが福島県の外の景色を見て、福島の名産を食べ、福島の人に触れ、笑顔になったように思う。親御さんのアンケートにもあったようにこれから頑張るのは福島県に住む私たち自身であることを考えると、これかた私たち若者ができることは「“福島の魅力”を発信し続けること」ではないかと考える。(松浦祐希)

今回のフィールドワークで新聞やテレビなどのメディアでは決して知ることのできない、保護者の方の葛藤や不安、思いを知ることができた。特に私の心に響いたのは保護者の方の『あの「フクシマ」と言われることはもううんざり、ほうっておいてください、静かに してほしい』という意見である。私たちは今回、福島の現状を知り、今後の課題を確認するという目的で、フィールドワークを行ったが、その行動が負担になってしまっていたのか、と思うと今私たちができることは何もないのではないかと思った。もしあるとすれば、今回学んだことを発信し続けることと、佐藤さんの言葉を借りる形になるが、見守り続けることの2つだけだと思う。(櫻井佑樹)

 私たちが普段得ることができた「震災と子供」に関する情報はテレビやなどのメディアがほとんどだ。そのため、ただ日常生活を送っていく中で震災による親の〝葛藤〟などに触れる機会はなく、事前段階での理解は十分なものではなかった。実際に訪問し、アンケート結果や佐藤さんのお話を聴くなかで子供たちにとって失った〝日常〟の代償がどれほど大きなものだったのかに気づかされた。佐藤さんがおっしゃっていたように、今私たちが被災者の方にできることは見守ることなのかもしれない。しかし、それは忘れることではなく、まず知ること、そして二度と繰り返されることの無いように
今後の在り方を考えることではないかと思った。(石田若菜)

 今回のフィールドワークで学んだことは、いかに震災とそれに関わる子供情報が、福島の学生含め若者に届いていなかったか、ということだ。福島にいても、復興に強く関心を持つ者以外は、時折目にするニュースや新聞でしか原発のことを知る機会がない。今回の上智大学の学生へのアンケートは、それを確かに裏付けるものとなった。何事にも行動するにはまず、「知る」ことから始めなければならない。今回、東京と福島に住む私たちは復興に向けて、福島のためにどうしていけばよいかの「第一歩」を歩き出したのかもしれない。(吉田富美菜)

東京と福島、震災から5年経ち、認識の差が顕著に現れてきた。実態を理解しないボランティアとそれに嘆き憤る福島。
 そんな中、佐藤さんは子供の置かれた現実を本やお話を通じて外に伝えようと努力していた。そうした努力は福島に沢山あるのかもしれない。が、残念ながら外まで伝わりきっていない。それに気づいた私達は、福島の現実と東京の幻想を繋ぐ懸け橋になれるのではないだろうか。この合宿が自分達のためで終わるのか、お世話になった福島の方々のためにもなるのか、すべては私達のこれからにかかっている。(宮前勇一)


「震災後、誰を、何を信用していいかわからないから、地域のみんなで意思決定をした」。佐藤さんのお話で最も心に残った一言だった。2011年の運動会も、校庭で行うか、もしくは体育館で行うかどうか保護者間で話し合いがあり、校庭で開催して参加できない子供がいるのであれば体育館でやろう、という声に後押しされる形で、体育館での運動会が催されたという。震災直後、そして現在に至ってもなお震災や福島に関する流言飛語や勝手な憶測は飛び交っており、当時の混乱は想像に難くない。しかし、そのような状況だからこそ、将来後悔が残らないように地域住民がみんなで納得のいく答えを出すことが必要だ。今後、震災だけではなく地方政治や子育てに関して渡利を視察しに来る人々が増えたらいいなと感じた。(小形陶子)

「放射能の影響で外で遊べない子どもたちが、肥満になってしまう傾向がある」というお話を福島に行く前に伺い、現地に着いたら子どもたちと存分に遊ぼうと思っていた。今東京に帰ってきた時に考えてみると、とても軽々しく「遊んであげよう」や「楽しもう」という言葉は使えないのだなと思っている。
 佐藤さんのリアルなお話の中で特に衝撃的だったのが、子どもたちを含めた渡利の方々は単に遊ぶ環境を失ったのではなく、彼らの日常を失ってしまったということだった。県外からのボランティアや支援の一環として子どもたちを遊びに連れていく、といったその時限りのイベントを提供しても、それは本当の意味で彼らへの支援にならないということだった。佐藤さんはお話の中で、「そっと見守ってほしい」ということを強調していたが、この言葉を東京で他人づてに聞いていたら理解し得なかったかもしれない。それは当事者の方々しか感じることができない感情で、それ以外の方々にとっては何か虚しさを感じさせることかもしれない。「支援したくてもできない、しているようで本当に必要なことができていない」ということを、私も話を聞いていて思っていた。
 私たちが直接でもないながらできることとしては、こう言った佐藤さんのお話のようなものをより多くの人に知ってもらえるように、伝えていく、ということをまず思った。実際に被災地以外に暮らしていても、メディアから得られる情報は今大量にあるが、ここまでローカルな人々の日常を知るという機会は極めて少ない。こういったフィールドワークを通して得た情報を発信していくことに意味はあると思った。また、そのために厳しいことや、多少煙たがられても現地に足を運んでその状況を発信していく姿勢は必要だと思った。(塚本亮司)

佐藤さんの話を聞いて最も印象に残ったことは、放射能の危険より子どもの成長障害を危惧しているという内容です。つい、東京にいると放射能そのものの危険についてばかり目が行ってしまいますが、福島に住んでいる人々にとっては、放射能そのものよりも影響が重要な問題なのだと分かりました。当然放射能の危険がなくなることを誰もが望んでいますが、現地の人が失ったものは「日常」であり、それを取り戻すことが一番の優先事項だと、現地の人の声を実際に聞いて初めて知りました。(秋山愛)

きりん教室の佐藤秀樹さんはじめご協力いただいたスタッフのみなさん、ありがとうございました。

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(つづく)

福大×上智大=??Part 4 フィールドワーク③震災後の食と農―福島でのキムチづくりを通して(福島市松川町)

 こんばんは。毎晩出てくるぴたです。
 以前、インフルエンザをこじらせて、蓄膿症になってしまったことがあります。
 鼻がいつも詰まっていて、気分がいつもなんとなくすぐれない、嫌なにおいのする鼻水がでる、頭痛い、と悪いことづくめです。そのうえ、何か月も抗生物質を飲まなければならず、鼻の中に変な棒を突っ込まれたりして…
 半年以上も治らずにこんなことを繰り返していたところ、ある日、ジャムづくりをしていて、桃ジャムの炊ける湯気が甘くていい匂いがしていたため、思いっきり吸い込んだんですよ、そしたら、すすーっと鼻が抜けて…あっという間に完治しました!!
 いやー、食品加工の力はすごいですねー。蓄膿症まで直してしまう力があります。
 食品加工が持つ力、それは、蓄膿症の治療だけではないこと、ぴたはよく知っています。
 かーちゃんの力・プロジェクトを通じてです。
 食品加工に携わる人にとっての生きがいになったり、加工食品を食べる人を笑顔にしたり、放射能汚染で奪われてしまった福島の「食」と「農」が、それでもそこで生き、生活している人々のところに残り続けられるように…その力を発揮します。
 福島でキムチづくりを経験した、福島大学と上智大学のみなさんは、どんなことを感じたでしょうか。
 報告書に語ってもらいます!

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震災後の食と農―福島でのキムチづくりを通して

はじめに

【テーマ設定の動機】

 2011年3月11日の東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故により、放射能汚染の被害を被った福島県。5年が経とうとしている今日においても、いまだに課題は多く残っている。特に福島県では、風評被害による農産物の被害が深刻化している。
私たちは「福島の食と農」にスポットを当て、震災後の福島の食と農、そしてそれにかかわる人たちの“今”を考え、福島が抱える困難、その中で生きがいを持って静かに頑張っている人たちを知ってもらいたいと考え、このテーマに設定した。

【活動概要】

活動日
2016年2月12~13日

活動場所
福島県福島市松川町
コミュニティ茶ロン「あぶくま茶屋」


出典:かーちゃんの力プロジェクト・協議会公式ホームページ

活動内容
原発事故で被害を受けた飯舘村や浪江町から非難した方々が立ちあげた「かーちゃんの力プロジェクト」のメンバーの一人である高橋トク子さんにお話しを聞き、実際にキムチ作りを体験する。このキムチ作りには、福島県松川町の菅野さんから頂いた白菜と大根を使用。つくったキムチの放射能検査を実施。



かーちゃんの力・プロジェクトについて

【プロジェクトの概要】

 このプロジェクトは、原発事故により避難を余儀なくされた主にあぶくま地域(川俣町山木屋、浪江町津島、飯舘村、葛尾村、田村市都路町、川内村)のかーちゃん(女性農業者)たちが、故郷の味を作りながら自立を目指すべく、2011年10月19日に「福島大学小規模自治体研究所」の支援を受けて立ち上がったもの。
 まず、今できることからはじめようと、それぞれ道具や機械を持ち寄り、「もちづくり」をして販売イベントの開催、「漬け物」などの加工品づくりを始めた。
 かーちゃんたちの知恵や技術、食の伝承や、離れ離れになったかーちゃんたちのネットワーク化を通し、地域と福島の復興に寄与することを目指している。


出典:かーちゃんの力プロジェクト・協議会公式ホームページ

【高橋トク子さんのキムチ】

 今回の活動の講師である高橋トク子さんは福島県飯館村のかーちゃんで、20年前に本場韓国でキムチ作りを学び、震災前からキムチを作り販売、多くのファンができるほどの人気を博していた。
 震災後もこのかーちゃんの力プロジェクトを通してキムチ作りを再開し、今でも風評被害に屈することなくキムチを作り続けている。


キムチづくりを教えてくださった高橋トク子さん(写真左)

【コミュニティ茶ロンあぶくま茶屋】

かーちゃんの力プロジェクトの本拠地である、コミュニティ茶ロン「あぶくま茶屋」には、かーちゃんたちが作った農産品が並んでおり、地域の方のコミュニケーションの場として活用されている。震災前は飯館村で、震災後は福島市で店を構えるカフェ「椏久里珈琲」の自家焙煎米を使ったコーヒーや、桑の葉茶、カボチャのアイスや酒粕アイスなどが味わえる。



フィールドワークのようす

【2月12日】
白菜収穫
福島県福島市松川町で農業をされている菅野さんに、今回のキムチ作りで使用する白菜と大根をいただいた。



下準備
収穫した白菜は、水洗いし塩を塗り込んで重しを乗せ、一晩漬ける必要がある。トク子さんに教えてもらいながら作業を進める。



【2月13日】
訪問
福島大学の学生と上智大学の学生が合流し、「あぶくま茶屋」に訪問。



トク子さんのお話し
キムチ作りを始めえる前に、トク子さんにお話を聞いた。キムチ作りを始めた背景や、かーちゃんの力プロジェクトについて、また震災後の自身の経験などについてのお話をしてくださった。



調理開始
トク子さんの指導のもと、調理開始(写真1)。千切りにした大根に、刻んだニンニク、生姜、ニラを混ぜ、さらにミキサーにかけたイカのゲソと胴体を1センチ角に刻んだものを混ぜ込む。

chorikaishi1.jpg

そこに二種類の香辛料と白醤油、小エビとダシとトク子さんの愛情を加え、均一になるまで混ぜる(写真2)。
これでキムチのもとが完成。

chorikaishi2.jpg

次に塩漬けした白菜450gにキムチのもと300gを用意(写真3)。

chorikaisi3.jpg

白菜の葉と葉の間にキムチのもとを入れ、丸め込む(写真4)。それを真空パックに入れ、一晩冷蔵庫で寝かせて完成。

chorikaishi4.jpg

完成したキムチは、放射線測定器で検査(写真5)。あぶくま茶屋では、完成した商品はすべて検査している。私たちが作ったキムチも、放射線は検出限界値以下であった。

chorikaisho5.jpg

まとめ―フィールドワークを通して

【上智大生】

 今回トク子さんのような福島の「食」と関わる方と一緒に行ったキムチ作りを通じて、普段触れている情報の信憑性について考えさせられた。
 福島を訪れる前は「福島の食は放射線の影響を受けているから危ない」という報道から受けるイメージが先行してしまう部分が多少なりともあり、たとえきちんと数値測定をして基準をクリアした商品だとしても懐疑的な目で見ている自分がいたように思う。しかし実際に放射線量測定の機械を見せてもらい、福島の方々の食に対する関わり方を知り、報道を鵜呑みにし、一面的にしか捉えていなかったことに気付くことができた。
 今後は今回体験したことを大切に、出来る限り自分の目で見て情報を判断していきたいと思う。

【福島大生】

 今回フィールドワークの大きな目的は、上智大生に福島の“今”を知ってもらうことであった。
 震災から5年が経とうとしている福島の農と食を見ていき、私たちは改めて福島が復興に向けて一歩一歩、困難に立ち向かいながら進んでいるということを実感することができた。
 私たちは福島に関わるものとして、本当の福島の“今”を見ていくこと、そしてそれを伝えることの必要性を、今回のフィールドワークを通して学んだ。

【最後に】

 福島の食と農にスポットを当て、福島の“今”について考え、現場で復興に向け歩んでいる人たちを知ってもらうために行った今回のフィールドワーク。福島の「かーちゃん」たちの温かさに触れ、福島の復興にはまだ多くの課題があるものの、着実に復興に向け進んでいることを実感できた。
 最後に、今回のフィールドワークに協力してくださった、高橋トク子さんはじめ「かーちゃんの力プロジェクト」の方々に感謝の意を示したい。

参考
かーちゃんの力・プロジェクト協議会|公式ホームページ http://www.ka-tyan.com/
かーちゃんの力・プロジェクト(福島市) | みちのく仕事 http://michinokushigoto.jp/project/8453

レポート執筆
飯山沙稀 村上しおり 谷口智子 日高智也 猪俣和弘 石井勇多  齋藤由佳 幡谷明里 末永俊彦 野崎智也  菊池康太
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 報告書そのものは、デザインにも時間をかけて作ってくれました!レポートありがとう。 ぴた

福大×上智大=??Part 2 フィールドワーク➀再生可能エネルギーの現場(伊達市霊山町)

 こんにちは。ぴたです。久しぶりに書いたブログ記事を読んでいただき、ありがとうございます。
 これから、3月11日まで、2月13日、14日の両日に行った、福大と上智大との合同研修旅行の報告を、何回かに分けて行います。
 今日は、初日の2月13日に、3グループに分かれて行ったフィールドワークのうち、伊達市霊山町の「再生可能エネルギー」の現場報告です。上智大学と福島大学の参加者全員で書いた報告書を掲載します。

 その前に…なぜ、伊達市霊山町で学ぶのか?
 このフィールドワークを企画した学生さんが、事前調査のうえ、以下のようにまとめてくれています。
 (*なお、報告書は、誤植等も含め、内容の一部を3月10日午前8時に修正しました。)

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なぜ霊山のバイオマスに見学に行くのか?

 原発に代わる代替エネルギーが注目されている。そのエネルギーの一つにバイオマス発電があるが、バイオマス発電は、震災及び、放射能の被害にあった福島県内でも実践が始まっている。放射能汚染が日常となった福島、それも避難を余儀なくされた地域の一つである伊達市霊山町で行われているバイオマス発電には、どのような意義があるだろうか?今回のフィールドワークでは、被災地霊山町でのバイオマス発電の意義を学びたい。

・霊山プロジェクトの目的

 バイオマス発電はドイツをはじめ、世界各地で実践されているが、その多くが大規模なものであるとともに、発電された電気は電力会社が買い取っている。いわば、産業としての発電である。たとえば、日本の身近な例でいうと山形にある下水処理場では、集めた下水を使ってバイオマス発電をしており、それによって毎年6千万から7千万分の電気代を浮かすことができ、また下水のにおいを抑えるのにも成功している。またバイオマスで出た残りかすなどを肥料として農家に販売している。収入源としてのバイオマス発電である。バイオマスの目的は、発電と売電、ということになるだろう。

 しかし、霊山で行われているバイオマス発電は、発電と売電が第一の目的とはいえない。ここでは、放射能に汚染された、道路、河川の刈り草や農作物などを処理するための手段としてバイオマスを使っている。またもっとも大きな特徴としては、地域の特産物である柿を原材料として使っていることである。放射能汚染によって地域の特産物である柿は販売できなくなってしまった。使われなくなった柿は大量に農地に放棄されてしまった。無駄になっている柿をなんとかりようしたい、また、農地に放置されることで放射能汚染が広がりかねない柿の力を使って、放射能の回収とを行えないか―そんな思いから霊山のでのバイオマス発電は始まっている。

 また、霊山での試みには、ホームセンターで買えるような道具しか使っていない。誰でもが手にして、簡単な知識と技術で実践できる試みである。

 また、こうした地域での試みを通じて、避難勧奨地点の指定に伴って生じた地域の分断が修復されつつある。再び地域の人たちがつながり、活動が芽生え、その活動が霊山に人を呼ぶきっかけになり、それによってバイオマスのことや霊山及び被災地を知ってもらおうとしている。

 さらにこの計画は、バイオガス製造装置を整備し、この中に地元の汚染された野菜等の測定残渣や食品残渣などを材料として投入し、メタン発酵させ、残渣の形で濃縮した放射性物質を、行政等が進めている仮置き場等での一時貯蔵ルートに乗せて適正に管理していこうという取組みでもある。放射能に汚染された地域で長期間生活をしていかざるを得ない福島県民にとって、バイオガス製造装置を設置することにより、身の回りにある汚染物質をしっかりと管理していくことが可能になる一つの方法なのかもしれない。

<解き明かしたい疑問>

・このプロジェクトはホームセンターで買えるものでの発電にこだわっている。それはなぜか?
・クイズ:バイオマスに使う食品の中の一つにあんぽ柿がある。あんぽ柿1キロからどのくらいのガスが発生するか?
・どんなものが一番ガスが出るのか?
・個人で行っているこのような事業を支援していくためには、行政にはどのようなかかわりが求められるのか

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この「趣意書」を読んで行ったフィールドワーク…
以下が、フィールドワーク後にグループがまとめた報告書です!とても勉強になりますね。

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福島県伊達市霊山村「霊山プロジェクト」のバイオマス発電施設見学

<導入>

 2015年2月13日、上智大学と福島大学との合同ゼミが開催された。本ゼミは、原発事故後の福島の現状を知る、というテーマのもと上智大学の学生が福島県を訪れるという形で行われた。私たちは、「霊山プロジェクト」と呼ばれる、小規模なバイオマス発電が伊達市霊山町で行われていることを知った。霊山町は、原発事故後、一部の地域が避難勧奨地点とされた。私たちは、避難対象になっていない地域では最も放射線量が高かった地域である霊山の小国地域でバイオマス発電を行っている霊山プロジェクトの一人である大沼豊さんのもとを訪れ、バイオマス発電の意義や過疎化が進む農村と復興の結びつきを考えるためのフィールドワークを行った。
 大沼さんが一員として活動している霊山プロジェクトは、日本工業大学名誉教授佐藤茂夫先生の指導のもとバイオガス活用を実践している。その活動の1つとして霊山プロジェクトでは、小国地区の小さなプレハブ施設でメタンガスの生成の実証実験を実施している。実験では、放射性物質に汚染された食品残渣、農作物、刈り草、汚泥、生ごみを家畜の糞尿と混ぜ発酵処理することで、メタンガスを発生させた後、どの物質でどのくらいのガス発生効率があるのか、また、発酵処理後、物質にどのくらいの放射線量が残るのかを実験している。下の写真のプレハブ施設は、ホームセンターで購入した資材を使い、手作りで立てられたという。発生させたメタンガスは、プレハブの隣の建物のガスコンロで実際に使用されている。




<プロジェクト開始のきっかけ>

大沼さんは、震災以前、建設業の仕事をされて、バイオマス発電とは深い関わりはなかった。震災後このようなプロジェクトを始めたきっかけを3つ話してくださった。まず1つ目は、大沼さんの奥さんの一言だった。大沼さんのバイオマス発電施設のある小国地区は福島第一原発の事故後、放射線量に応じて避難勧奨地点が指定された。そのため、同じ地区に避難勧奨地点とそうでない場所が存在していた。避難勧奨地点の住民は、月10万円の支援金を受け取っていた。しかし、この支援金を巡って地域の和が乱れてしまった。支援金を受け取っている住民が車など何か新しいものを買うと、避難勧奨地点ではないところに住む同じ地区の住民が「10万円の支援は不公平だ」という感情を持つことになったという。「同じ地区なのに不公平だ」という声が高まっていった中、大沼さんの奥さんは「この避難勧奨地点として受けている10万円を何か復興のために使えれば良いのでは。」と大沼さんに話したそうだ。
 次の理由としては、大沼さんの息子さんが東北大学の名誉教授である野池達也先生と知り合ったことが挙げられる。野池先生との出会いは、特定非営利活動法人再生可能エネルギー推進協会の方々が来町することにもつながった。また、その理事の方達の中に東芝(OB)の方も数名いたそうだ。東芝は、福島第一原発の建設に関わった会社だった。息子さんが関東で東芝の社員の方と知り合い、大沼さんが行おうとしているバイオマス発電について話したところ、「自分たちが建てた原発がこのような事故を起こしてしまい申し訳ない。罪滅ぼしのために、協力して再生エネルギー事業を進めさせていただきたい。」との言葉を頂いたそうだ。
 最後に挙げられていた理由は、「生まれ育った場所に留まりたい」というものだった。「自分たちで復興を進め、生まれ育った場所で暮らし続けたい」という気持ちが大きいと大沼さんは話していた。以上の三つの理由によって、大沼さんはバイオマス発電によって地域を復興させる取り組みを始めたという。


<現在の展望①ビニールハウス栽培>

 現在、霊山プロジェクトは、さらなる展開を見せている。霊山プロジェクトでは、ビニールハウスを造り、ハウス栽培を実施している。このビニールハウスの暖房には、発酵メタンガスを燃焼させた熱を利用している。ここで栽培されたトマトは、ピクルスや醤油漬けに用いられており、商品化もされている。プロジェクトでは、このような経営を多角化させるいわゆる6次産業化にも力を入れている。青トマトのピクルスや醤油漬け、ナツハゼジャムは、仙台のイベントにも出展され高い評価を得た。見学の際には、奥様手作りの蒸しケーキ、漬物やフルーツをおいしくいただいた。



 霊山プロジェクトでは他にも信夫冬菜(福島の伝統野菜 薄い緑色をしており、縦に伸びてやや柔らかい葉が特徴的です。)の蒸し菓子やモロコシ団子、モロコシクッキーといった様々な地元の農作物の商品化に取り組んでいる。さらに、団子やクッキーに使用するモロコシの茎や葉の部分は、メタン発酵原料としても使用されている。
また、霊山プロジェクトでは、農作業等に使用されるバックホウ(ショベルカー)の燃料として、使用済みの天ぷら油をジーゼル燃料に変えたものを利用するなど、環境にも配慮している。
 こうした環境に配慮した手法でつくられた商品を、道の駅などで販売することを霊山プロジェクトは計画しているが、商品を作るための加工場が資金面の問題などで実現出来ていない。農作物の加工場の建設には、相当のお金が必要になる。以前元養蚕場を加工場に改装しようと考えたが予算の問題で実現しなかった。
しかし、その対応策として、大沼さんは農業体験やバイオマス事業の見学に観光客を誘致する際に、小国地区で作られた商品も紹介・販売するということを提案している。販売が実現すれば、加工食品を通して霊山プロジェクトの一連の活動を多くの人に知ってもらうきっかけになりうるだろう。


<②小学生への課外授業>

 霊山プロジェクトでは、自らが行っているバイオガス発電などの再生可能エネルギー事業について小学生向けに課外授業も行っている。原発事故で飛散した放射性物質によって被害を受けた地域だからこそ、若い世代に対して、小さいころからバイオガス発電などの再生可能エネルギーがいかに重要であるかを知ってもらいたいという想いから、この課外授業は行われている。授業は我々が説明して頂いたような専門的な難しい話をするのではなく、研究に協力して頂いている大学教授に依頼し、小学生向けに優しくとっつきやすい内容で説明している。例えばバイオガス発電についての説明では、ペットボトルを利用してガスの発生方法を簡単に、楽しく、小学生が興味を持てるように説明をしている。また、小学生が身近に再生可能エネルギーというものを感じ取れるように、学校内に無償で太陽光パネルを設置し、それを利用して再生可能エネルギーについて説明もしている。
 このように、霊山プロジェクトは再生可能エネルギー事業を将来的に普及させるべく、その鍵を握っている若い世代に、自らの活動を通して授業を行っている。


<「全部お金をかけずにやる」>



 こうした様々な取り組みに際し霊山プロジェクトでは、できる限り費用をかけないことを信条とする。
例えば、上の写真に見えるペットボトルは、発生させたバイオガスの貯留タンクに圧力をかけてパイプに抽出させるためのものである。また、バイオガスの発酵槽を保温する壁にU字溝、発生したガスを溜めるパイプに水道パイプ、ガスの発生量を図るための目盛りには差し金や金属製の巻尺、そして電動ドリルなどを用いる。もともと建設業に携わっていた大沼さんにとって身近な建材や道具、あるいはホームセンターなどで調達できる安価な資材を利用し、装置の製作費用を抑えることに成功している。
 また、施設の訪問者を案内する休憩所も、養蚕小屋として作られた木造の小屋を利用している。最近は視察に訪れる人も増えているが、「立派な新しい建物ではなく昔からここにある小屋の雰囲気も味わいながら休憩してほしい。」と、敢えて小屋へ案内するそうだ。私たちが訪問した日も、この小屋で休ませていただいた。小屋の中にもあるバイオガス貯留槽から引いたガス沸かした湯でコーヒーを入れてくださった。手づくりのバイオガス装置と、その働きを目の前で見ながら、プロジェクトの現状や展望を話すのにぴったりの空間だった。


<課題①地元と行政のあいだで>

バイオガス実証施設を手づくりし、大沼さん達が所有していた施設や資材を活用するなどの工夫によって活動してきた霊山プロジェクト。一方で、さらにプロジェクトを推し進めるためには資金面の課題が残る。例えば、6次産業化で生まれた青トマトのピクルスやモロコシクッキーなどを商品化し、販売するために必要な加工場の建設及び運営には費用がかかる。しかし行政からの補助金を受け取るにしても、困難は多い。地元負担額が大きく十分な資金を得られなかったり、申請の手続きが複雑でなかなか進まなかったりするからだ。復興庁からの交付金を得るためにも厳しい条件がある。まず月ごとの計画の提出と実績が求められる。新たな取り組みに際しては臨機応変な対応が求められ、急な計画の変更も予想されるので、こうした条件を満たすのは難しい。加えて、3年後に形に残るものを作ることも条件に含まれており、「5年あれば」と、時間的制約に悩まされることも多いそうだ。地元の復興を目指して軌道に乗ってきたプロジェクトを、さらに広めて地域振興につなげるために、行政は長い目で、柔軟な姿勢でプロジェクトを見つめ助ける必要があろう。

<課題②>

 大沼さんは、プロジェクトが抱えるさらなる課題を私たちに語ってくださった。それは、バイオマスで生成したメタンガスの実用化に関する問題である。一般家庭や工場でさらに実用的にガスを使うとなるとメタンガスをガスボンベに抽出するための機械が必要になる。ガスボンベに入れてしまえばどこでも利用が可能になるが、ボンベに注入する機械は、高価なものである。一度企業に機械の見積もりを提示してもらえるよう交渉したが企業側は見積もりを渋った。ボンベに抽出する機械自体は値が張るものではないが、一個人に向けて安く提供してしまうと法人向けにも値下げせざるをえないため企業は協力的でないのだ、と大沼さんは推測する。霊山プロジェクトの施設は現在、実験的機能を主に担っているが、経営を拡大するべく、大量のメタンガスが生成できるようになればそれを活用するための設備は必ず必要になる。また霊山プロジェクトの取り組みを参考に学校や施設単位でバイオマスを導入するとなればそこに企業の力は不可欠だろう。
 加工場にせよガスの実用の問題にせよ、ここまで形になっているプロジェクトを今後一般に広めるため企業や市町村が協力して推進できれば確実に大きな一歩に繋がるだろう。

<大沼さんの想い>

 最後に大沼さんは、将来のプロジェクトの展望について話してくださった。平成29年度に霊山町を通る高速道路が完成する予定なので、その休憩地(IC)にバイオマス発電でエネルギー全てを賄うことができる道の駅を設置したいと考えている。道の駅に自然エネルギーを活用するというこの展望は、霊山プロジェクトだけではなく、プロジェクトに協力している再生可能エネルギー推進協会の夢でもある。大沼さんは、この計画が達成されれば、「再生可能エネルギー発電の霊山町」という触れ込みで全国、さらに世界へアピールができ、地域を盛り上げることにつながるはずだろうと話されていた。
 また、山形県の下水処理場を引合いにだし、紹介してくださった。そこは人糞を利用し、バイオマス発電を行い、施設の電気を回している。この下水道局が行うバイオガスシステムでのガスタービンは一台1億円という巨額の費用がかかるが、数年で元は取れる計算だそうだ。行政がバイオマス発電に目をつけ、検討し行動に移した結果が持続可能なエネルギー政策を達成することができた。例に挙げた山形県の自治体のように福島県の自治体は原発事故の被害があったからこそ再生可能エネルギーに力を入れるべきではないか。しかし、近くの霊山町で行っているプロジェクトのバイオマス発電にでさえ、視察にも来ることがなく、むしろ他県からの方が多いそうだ。大沼さんのバイオマス発電を普及していきたい想いと行政の行動が逆行しているのが現状だ。大沼さん自身その実情に憂うことがあるが、地域のコミュニティー形成のため、我々学生含め未来ある子供たちにこの活動を知らせるために続けていきたいと考えている。

レポート執筆:
菅生玲子(上智大学)、名和ゆいの(上智大学)、大河原楓(上智大学)、山崎海里(上智大学)、中村華子(上智大学)
鈴木北斗(福島大学)、菅野なつみ(福島大学)、菊池早苗(福島大学)、遠藤侑弥(福島大学)、樋口孝輝(福島大学)
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(つづく)

福島大学行政政策学類×上智大学外国語学部ドイツ語学科=??

 こんばんは。ぴたです。
 ずいぶんご無沙汰しています。
 まもなく3月11日。大震災から6年目となります。

 ぴたは、全国の学生さんたちに、行政政策学類の学生さんたちと友達になってもらいたい、とずっと思ってきました。
 震災から1年の時点で、当時の学生さんたちとともに実施した、「世界の学生とつながろうプロジェクト(学つな)」(詳しくはかつてのブログ記事をご覧ください→コチラ)は、その初めての試みでした。

 こうした交流事業を行う目的はなんでしょうか?

 もちろん、福島の「今」を実際に見て感じてもらいたい、というのも大きな理由ですが、個人的には、福島に住む学生と全国、いや世界各地の学生さんが「友達になる」ことのほうが、その目的としては、ずっと大切だと思っていました。

 なぜなら、「友達」のことは、いつも気にかかるからです。

 「福島のことを気にする」、それも長い時間をかけて、ということは、実は、思いのほか難しいのです。ですが、「福島に住む『友人』のことを気にする」、というのは、おそらく人の自然な感情であり、友達であるかぎりそれは、ずっと続くのではないかと思うのです。
 また、「友達」同士なら、公の場ではなかなか言いにくい意見でも、気兼ねすることなく率直にいうこともできます。
 悩みや怒り、笑いを共有することも、そして、それに寄り添うことも、「友達」同士だから、できることなのではないでしょうか。
 仲良くしている人がいる、今どうしているか気になる人がいる…そういう相手がいることによってはじめて、福島が、自分にとっての課題になるのではないでしょうか。

 だとすれば、福島や震災について風化が進んだり、忘れてしまったりしないためには、そして、福島からなにか自分なりの教訓を持とうとすれば、「友達づくり」が一番大切、ということになります。

 6年目を迎えようとする今、そんなことを考えています。

 今年の2月には、ぴたの専門演習のゼミと、上智大学外国語学部ドイツ語学科の木村先生のゼミとが合同で、福島合宿を行いました。フィールドワークあり、研究発表あり、そして、仮設住宅でのイベント実施あり、と盛りだくさんの内容でした。
 なぜ、上智大学外国語学部ドイツ語学科と一緒に??
 そうですよね、笑。ま、理由はいろいろとあります。
 理由も含めてまたご報告しますが、今回の合同合宿の最大の目的は、今年の秋に、上智のみなさんとぴたのゼミ合同で、ドイツ研修旅行に行こうと企画を始めています。今回はその目標に向けた第一歩=「友達になる」ことです。そう、一番大切なことですね。
 今年の秋に計画しているドイツ研修旅行の目的はまた改めてご報告するとして、今回は、数日をかけて、ぴたゼミ(福島大)と木村ゼミ(上智大)の合同合宿研修の模様をご報告します!

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Fukushimaの課題を「自分の課題」にするための2日間合同ゼミ(企画書)

<企画の趣旨>

 地震、津波、原発事故、放射能汚染と避難生活、帰村と村の消滅――この5年間の間に福島で起こり、また今後、深刻な問題となることが予想される「Fukushimaの課題」。世界的にも例のない事態であり、自分たちに大きくかかわっている課題であることは明らかですが、福島の「外」にいる人も、福島の「内」にいる人も、この課題がどのような意味で「自分の課題」であるのか、理解しできているとはいえないのではないでしょうか。
 合同ゼミに参加する一人ひとりの個人史も性格も、問題意識も福島とのかかわりもさまざまです。それぞれが、福島がこの5年間に経験した「何か」から、「自分の課題」を持ち帰ってください。

<日程>

○2月13日(土)
11時00分 上智大学生 福島駅に到着(福島大学生出迎え)→グループごとに昼食
13時~17時頃まで 3グループごとのフィールドワーク
 ①再生可能エネルギー班/伊達市霊山町
 ②子供と震災班/福島市渡利地区
 ③被災後の農と食班/福島市松川町
17時頃 福島大学行政政策学類大会議室に集合→夕食と交流会
21時頃 交流会終了→上智大学生は福大生のアパートにホームステイ

○2月14日(日)
9時00分  福島大学行政政策学類棟前集合
9時00分  福島大学出発→→福島市飯野地域福祉センター
10時00分 明治飯野仮設住宅(飯舘村)のみなさんとともに凍み餅づくり
12時頃   仮設のみなさんとともに昼食(五目おこわと煮物、キムチ)→片付け
13時00分 福島市飯野地域福祉センター発→→福島大学
13時00分 フィールドワーク報告と意見交換
 ①「子供と震災」班
 ②「被災後の農と食」班
 ③「再生可能エネルギー」班
14時00分 上智大学からのプレゼンテーション
 〈テーマ1〉原発の経済効果
 〈テーマ2〉代替エネルギー
 〈テーマ3〉健康、食と農
16時49分 金谷川駅発福島駅行き(16時59分着)→ 東京へ
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 いやいや、盛りだくさんですね。フィールドワークやプレゼンについては、これから少しずつ報告しますが、今日のところは、一番のお楽しみ、「交流会」の模様だけ…(笑)。


キムチ鍋、なんだべ~

上智交流会
交流会はこんな感じ、ひえ~


円盤餃子、こげてる~

上智交流会1
交流会はこんな感じ、うわ~

<つづく>

学生の立場から見た法テラス

こんばんは、おやです。福島、暑いです、、、

さてさて、前回掲載させていただいた法テラス福島事務所訪問記、第2弾が届きました!
今度は、院生の方からの投稿です。
学生として、院生として、女性として、いろいろと感じるところがあったようです。
それでは、渡部さん、よろしくお願いします♪

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学生の立場から見た法テラス
地域政策科学研究科1年 渡部陽子

 今回は、福島大学発の法テラスの事務所訪問ということで、緊張しつつ棟方さんと法テラスに向かいました。いざ事務所を訪れると、職員の方々は入室するなり笑顔を向けて下さり、安心しました。職員の方々はとても親切で、学生の拙い質問にも、丁寧に答えて下さいました。
 まず、法テラスに行ってすぐに気になったのは、職場のほとんどが女性の方であったという事です。勤務時間帯について質問してみると、妊娠中などは短時間勤務が可能ということで,法テラス福島にも実際に短時間勤務を活用している方がいるとのことでした。女性に優しい職場ということで、法テラスをより魅力的に感じました。
 また、情報提供業務について、コールセンターが仙台にあるということに驚きました。お話を聞くまでは,本部である東京にあるものだと思っていたからです。場所も公開されているのかと思っていたが、コールセンターは仙台にあるという情報以外は非公開ということでした。
オペレーターについても、元々法律に関して素人の人だったということに驚きました。事務所訪問後に実際にコールセンターに電話をかけてみたのですが、対応がスムーズで、全く素人だということを感じさせませんでした。研修がしっかりしているのだなと思いました。
 そして,民事扶助業務については、事務所を訪れる前の事前学習の段階では、無料相談や立て替え制度などを利用する際の要件は何故このように狭いのだろうという疑問を抱いていました。しかし,それも法テラスが国のお金、すなわち税金で運営されているためなんでもかんでも扶助できる訳ではないということがわかりました。また、財源を提供している国民が満足するようなサービスの質ということで,財源の問題と、サービスの質は、法テラスの課題になっているとのことでした。国営機関であるため、ルールなどいろいろ大変なことがあるのだなと思いました。これから法テラスの事務所訪問をしようと考えている後輩の皆さんは、民事扶助についてのお話は特によく聞くことをお勧めします。
 ちなみに、民事扶助業務については,大学生は要件に当てはまるのかなと疑問に思って質問してみたところ、扶養されている学生は、要件に当てはまらないが、自分で生計を立てている学生は、要件に当てはまることもあり得るということでした。このような具体的な要件等についても後輩の皆さんには実際に法テラスに行って聞いてくることを勧めます。
 他にも、実際にスタッフ弁護士の方ともお話をさせて頂いて、スタッフ弁護士のやりがいや隣接職業の方との関係について質問させていただきました。スタッフ弁護士の方も、私たちの辿々しい質問に対して笑顔で答えてくださいました。
 最後に、棟方さんとも話していたのですが,再び法テラスを訪れる機会がありましたら、法テラスの女性職員の方々とお茶会をして、女性からみた職場のあれこれについて聞いてみたいなと思いました。また、私の修士論文のテーマには,震災が関わってくる予定ですので,法テラスの方に震災に関わる業務などについてもお話を伺う機会ができればいいなと思いました。  
 法テラスの方々には、お忙しいなか、時間を設けて頂き、非常に貴重な機会を頂いたことに感謝しています。この事務所訪問で得た知識を、次に繋げたいと思います。