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ガンバロウ福大!行政の「結」

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に端を発する東日本大震災をきっかけに、福島大学行政政策学類の教員有志でブログを開始しました。福大行政に関わる情報共有・情報発信の場として、このブログが、読者のみなさんとわたしたちの、また、みなさん同士の結節点になれば嬉しいなと考えています。一緒に手を携えて、この難局を乗り切っていきましょう。     (2012年3月26日記)

今日の行政政策学類震災対策室

 こんばんは、大黒です。今日は、静かに震災対策室の活動報告をします。

 すでに、4月5日の記事 「福島(被災地)のために何ができるか」、のなかで、塩谷さんが書いているように、しばらくは原発事故への対応や当座の復旧支援に全力をあげるにしても、地震・津波・原発事故という大きな痛手を受けた福島(そしてそれ以外の被災地)の再生と復興が求められる時期は、必ず来ます。その時に私たちは何ができるか…
 前回の記事の最後には、

「福島のために何ができるか、結論をすぐに出す必要はありません。皆さんが、気長に無理なくできる支援のかたちを考えてみてください。震災対策室では、皆さんの取組みを紹介するとともに、さまざまな情報提供をしていくつもりです」

とあります。

 私たちなりの第一歩として、今日、震災対策室の有志メンバー7名、プラス大学教職員組合書記1名の計8名で、飯館村、南相馬市、相馬市、を訪ねてきました。

 飯舘村では、菅野典雄村長のお話を伺うことができました。

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 いろいろなことが話されましたが(詳細は後日報告します)、「避難指示」が現実味を帯びる中、それへの現実的対応を検討する一方で、これまでの「までい」な村づくりの成果をもとに、村民の健康を守りながら、村の存続と村民の生活基盤を維持する取り組みやその可能性について、村長が真摯に考えておられることがよく伝わってきました。

 今日の夜のNHKニュースで、ある飯館村の一家族が紹介されていました。「安全のためにはいっそ避難したほうがいい」、という息子と、「飯館村を投げては行かない、ここに残る」、という父親のはざまで、「孫と別れたくない」、とつぶやく母親の姿が映し出されました。この場面は、村が直面している2つの選択の厳しさの前で、母親の願いをなんとか実現する道を考えようとする村長の苦悩そのものだったように思います。
 飯館村にはさらに、村の多くの生活が農業を中心に動いている村で農業が続けられるかという不安、また、風評被害の深刻な現状など、多くの難しい課題が横たわっています。

 村役場入口に張り出されていた、村のおかあさんたちの笑顔の写真が印象的でした…みなさんのこうした笑顔がはやく戻ってくるように祈らずにはいられません。

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 続いて訪れた南相馬市では、現職の市職員として働きながら大学院「地域政策科学研究科」の学生として研究生活を送り、今年の3月に修了されたばかりの卒業生にお話をお伺いすることができました。

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 南相馬市は、1つの市が、「避難指示」区域、「屋内退避」区域、30キロ圏外と三分されています。さらに、地震から1月ほどが経ち、原発が落ち着いているように見えるなか、一時市外に避難していた市民のみなさんが、さまざまな理由から、屋内退避地域へと戻りつつあります。どちらも難しい問題を生んでいますが、さらに、今後市民の生活再建をどのように進めるのか、という課題が重くのしかかっています。

 市役所訪問の後、南相馬市では、避難所の一つとなっている第一小学校と市のボランティアセンター(原町区)も訪ねました。
 第一小学校では、福島から持ち込んだトレーナーやウェットティッシュをお渡ししました。

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(ボラセンでの塩谷さん)

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(第一小学校での運搬作業)

 相馬市では、津波被害を受けなかったものの、その影響で孤立した集落で物資の配給を続けた商店へ、支援物品を届けました。

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 そして…南相馬市と相馬市で、直接津波の被害を受けた地域を訪れました。
 あまりに乱暴な破壊に、みな言葉を失いました。

*飯館村や南相馬、相馬でのインタビューや意見交換のより詳しい内容については、改めて報告します。
 

 

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