ガンバロウ福大!行政の「結」

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に端を発する東日本大震災をきっかけに、福島大学行政政策学類の教員有志でブログを開始しました。福大行政に関わる情報共有・情報発信の場として、このブログが、読者のみなさんとわたしたちの、また、みなさん同士の結節点になれば嬉しいなと考えています。一緒に手を携えて、この難局を乗り切っていきましょう。     (2012年3月26日記)

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震災後の福大生―ぴたは政治学者か えーウソでしょ~!(2)つづき

 ぴたです。おはようございます。
 GWで学生が大学にほとんど残っていないので、学内も寂しいです。
 先週、大学近くの集落「田沢」地区を訪ねてきました。地区活性化協議会のみなさんと、僕と、そして、ゼミの学生との協議です。
 今年は、「たざわさんず」という直売所運営のお手伝い、さまざまな「手業」をもつ集落内の皆さんへのインタビューと実習、集落のみなさんが作る茅葺屋根の東屋づくりなど、を一緒にやらせていただくことになっています。
 こういう場面では、「現場にいる」、という感覚が、強くします。
 学生がいると、集落のみなさんもうれしそうです(僕一人のときとは違います…笑)。
 学生も、いつもと違う雰囲気に戸惑っているようですが、一歩前に進んだような感じがします(研究室でのんきにお菓子を食べているときとは違います…笑)。
 教員として、「がんばらなきゃなー」、と思う瞬間です。
 前回の続きです。今考えると、究極の状況の中で、学生さんも、そして行政政策学類も、ずいぶん頑張ってたなあ、と感慨深いものがあります。

*****
□学生による学長への要望書提出

 4月19日の評議会で大学執行部は、5月の連休明けに大学を再開することを決定した。行政政策学類は大学の早期再開には慎重な立場をとっていたが、全学であれ学類であれ、大学再開の方針が教員のイニシアティブで決められていること、学生の意見や判断が尊重されていないことに危機感をもった私たちは、大学の再開に関して学類生たちがどのような意見を持っているのか、その意向調査を行うこととした。4月11日から18日の間で実施されたこのアンケート(記述式)には181人からの回答があった。

 当時、原発の状況が安定するまで大学再開に反対であった私にとって、意向聴取の結果は大きな驚きであった。予定通りの大学再開(5月9日「新入生を迎える会」、5月12日通常授業開始)に賛成83名、反対42名、どちらでもない56名で、全体の46%が大学執行部の方針に賛成だったからである。回答者は新4年生(4月から4年生)の割合が多く、そのうえ新4年生の賛成率は66%、新3年生が35%、新2年生が40%となっており、卒業が近い4年生に「通常」への復帰の意向が強いことが分かった。しかしながら、より詳細にこのアンケートを読むと、「賛成」としている学生にあっても、実際には様々な不安を抱えており、無条件で賛成という学生は少ない。また、賛成、反対、どちらともいえないという3つの回答に共通の要望として、①大学側が学生に対して説明責任を果たすこと、②原発事故や余震に対して十全の準備をしておくこと、③授業に出られない学生に対する特別な措置が必要であること、が読み取れる。どれももっともな要望ばかりであった。大学再開の日程が迫るなか、私たちがやるべきことはまず、こうした学生の要望に応えることだった。

 そんななか、学生の間からも次第に、大学の再開にあたって学長に要望書を提出しようという機運が高まってきた。とくに、震災後も県外出身の学生が多数残っていて、震災直後は食料や情報の共有などで学生同士の協力関係が深まっていた学生寮や、避難指示を受けた飯舘村を研究フィールドとしていた大学院生が中心となって、学生の意見や要望をまとめ、それを学長に届けようという活動が始まった。彼らは、震災以降たびたび行政政策学類震災対策室に出入りしており、そして私たち教員が学生の意向聴取を行ったことに刺激をうけ、全学の学生団体を動かして福島大学生の意思を示そうと積極的に動き始めた。私は、この動きのとりまとめ役を担った地域政策科学研究科の木村義彦さんのかつてのゼミ教員だったこともあって、学生間協議に供する原案の作成や意見の集約、要望書への反映などについて、よく話し合っていた。

 福島大学には、長らく続いてきた「三者自治」の歴史がある。学生、職員、教員の三者が対等な立場で、大学運営に関わろうという理念は、毎年1回開かれる「キャンフェス」というイベントに具体化されている。「キャンフェス」では、その年のテーマに合わせて、三者が同じテーブルで議論し合う。学長選挙や学類長選挙でも、教職員の選挙に先んじて学生の意向投票が行われ、教職員はその結果を踏まえて最終的な投票を行うのである。大学再開直前の5月6日に学長に提出された「安心安全な学生生活確保のための要望書」も、そうした伝統のなかで書き上げられ、提出されたものである。この要望書には、4学類の学生自治会代表、3大学院研究科の学生自治会代表、3学生寮長、サークル連合会代表というすべての学生団体の代表が名前を連ねた(全文は→コチラ)。短期間で「すべての学生からの要望書」をまとめ上げた木村さんの手腕には脱帽するしかない。また、要望書は直接、学長に提出されている。震災後に、寮生の家族が福島に残った自分たちのことを心配するだろうから、という理由で、葵寮(女子寮)の出来事を積極的にブログ公開してきた松波さんは、私たちとの話し合いのなかで出てきた、「アポなしで学長を訪問し、要望書の受取りの様子を録画してくる」というアイデアを、難なく実行してきた。事前に訪問を申し込んだり、録画の許可を取ろうとすると、事務職員が同席して文書を受け取ったり、録画を拒否されたりするだろうから、あくまでアポなしで、かつ学長室に到着する前から(つまり、学長に録画の許可を取らずに)録画を始めることにする、というアイデアの勝利であった。「言い訳が多かった学長」が「『おっしゃるとおりです』ばかりを連発していた」(ともに松波さん)というこの動画(非公開)は見るものを不安にさせる。学長の頼りなさと、木村さんや松浪さんたち学生たちの自信にみちた積極性との鮮やかなコントラストが眩しかった。

□放射能を学ぶ

 福島県に原発が集中的に立地していることを知りながら、その社会的背景や危険性に鈍感であった私は、放射能が身近に迫ってくるまで、その物理的な特性や人体への悪影響について漠然とした知識しか持っていなかった。原発爆発後は、テレビやインターネットでさまざまな立場の多くの情報があふれ、冷静に放射能のことを学び考える環境にはなかった。あるときたまたま、京都大学原子炉実験所の小出裕章先生の解説を聞いたことがきっかけで、小出先生の本を読み、解説DVDを見てみると、震災以前からの地道な行動と穏やかな語り口には説得力があり、それ以降、小出先生の発言はできるだけ見逃さないようにしていた。そんな折、小出先生の解説DVDを購入した映像制作会社から連絡があり、福島でDVDの上映会を開きたいが協力してもらえないか、という。小出先生の解説をぜひ多くの人に聞いてもらいたいという思いがあって、この申し出を受けることにし、3月までゼミの担当をしていた1年生(このときすでに2年生になっていたが)数名に、「手伝ってもらえないか」と声をかけた。会津若松出身の高畑さんと宮城県出身の曽田さんが心よく引き受けてくれることになった。高畑さんによれば、「何かしらのボランティアをしなければならないが、いざ何をすればいいのかという問題を前に悩んでいた」らしく、できることなら何でも、という考えだったらしい。学生たちは、5月21日福島駅前「コラッセふくしま」、5月22日二本松市男女共生センター、5月25日福島大学の3会場での上映会に協力し(上映会は県内7か所で開かれた)、彼らにとって震災後初めての「ボランティア活動」となった。

 興味深かったのは、この活動が、学生たちにとっては「何かのお手伝いをした」、というよりも、自分たちにとって新しいことを学んだ、これからもっと学んで行きたい、と思うきっかけとして受け取られたことであった。このお手伝いを契機に、「何も知らなかった原発と放射能に関して自分たちでさらに勉強していきたい」、という彼らは、行政政策学類に用意されていた「学生企画科目」という授業科目を立ち上げることを申請し、認められた。この科目は、学生グループが学びたいテーマを設定し、1年をかけてそのテーマに取り組むもので、研究計画とメンバーに教員1名を入れて申請し認められれば、最大10万円の予算が付くという学類の目玉科目の一つであった。彼らはこの科目に、「侍として考える―外からのふくしま、内からのふくしま、君の心のふくしま」というタイトルを付けた。「侍」というのは、この授業科目のキャラクターを作ろうと描いた絵が「侍」に見えたから、という身もふたもない理由から名づけられたものだが、その副題は、会津若松出身、宮城県出身という「外」からの視点と、福島に住む大学生という「内」からの視点が往々にしてずれているのではないか、という問題意識から名づけられている。そのズレがどこから生まれるのか、それを解明して、最後には「内」「外」のズレを克服した自分なりの「君の心のふくしま」を得たい、というのである。気が付いた時には、私もメンバーの一人にとして申請書に名前が記載されていた。

 「侍プロジェクト」(名称としては「君の心のふくしまプロジェクトの方が相応しいが、いかんせん長すぎる…)はその後、プロジェクトのきっかけとなった小出裕章先生に直接話を聞きに行くことを目標に、さまざまな企画を立てた。福井県敦賀市の原発の見学、浪江町から大阪に避難している方との面談とインタビュー、敦賀市議でさまざまな妨害を受けながらも市議として反原発運動を続ける今大地晴美さんや日本科学者会議福井支部代表幹事の山本富士夫さんの訪問とヒアリング、モンゴルの核廃棄物処分場問題に取り組む大阪大学今岡良子先生のゼミ生のみなさんとの交流など、充実したプログラムが整った。すべて学生の手になる企画である。

 浪江町からの避難者の方が、避難先の会津若松で、「放射能汚染が怖いということで宿泊を断られた」という話をした際に冗談半分で使った「会津は敵だ」という言葉に、会津若松出身の高畑さんがひどく困惑し、自宅前に人糞がまき散らされるという嫌がらせを受けたという今大地さんの体験談に全員が唖然とした。福島に残っても非難され、県外に避難してもまた批判される福島県民の悲惨さを悲しみ、避難先の人々のあたたかな支援と優しい心遣いに感激した。また、敦賀の商店街の方が語る「原発なしでは生活が成り立たない」、という厳しい現実、日本の核廃棄物の最終処分場としてモンゴルが狙われているという今岡先生の話など、福島にいるだけでは伝わらないことばかりで、学生とともに私も大きな衝撃を受けた。

 そして、小出裕章先生との懇談。2時間近くにわたる懇談の中で先生は、震災以前から変わらず主張され続けてきた持論に加えて、「福島から来た若い学生たち」だけに語ってくれたことがある。学生たちの正直な「悩み」「愚痴」のようなものへの先生への回答であったが、その後の学生たち、そして私にとっても大きな指針となったことばであった。

 「福島県に住む限り、今日ここに来てくれた学生のみなさんも被ばくは避けられないのです。みなさんがそれを避けられないとするなら、被ばくのリスクをこえる“何か”をつかみ取るしかありません」。

 それ以前の懇談で、「被ばくによるリスクを考えるうえで、大学生は『子供』と考えるべきか、『大人』と考えるべきか」、という私の質問に対して、小出先生は、「大人と考えてよいと思う」、と答えていた。あらゆる被ばくは避けるべきだが、福島に住んで大学生活を送る皆さんが福島に住み続けるという決断をするのなら、「そのリスクを超える何か」をつかみ取れるかどうかが学生のみなさんの人生を決める、という言葉であった。

 「侍プロジェクト」の高畑さんにとって、この言葉は強く印象に残ったようで、「いまでもこの言葉を反芻し、活動を行おうというエネルギーをもらっています」、と当時のブログに書き込んでいる(「侍として考える…のブログ」→コチラ) 。これまで私は、小出先生が、「原発を許してきた大人たちには責任がある。放射能汚染地域の農業と生活を守るためには、大人たちが率先して被災地の野菜を食べるしかない」、と主張していることを知っていた。しかし今回の学生企画による小出先生との懇談で、自分は「原発を許してきた大人たち」であるとともに、原発事故被災地である福島の国立大学で学生教育に携わる一人として、「被災地の野菜を食べる」以上の責任があることをはっきり自覚できたように思う。できる限り被ばくを避ける努力をしながら、にもかかわらず被ばくを免れないとするなら、その「リスクを超える『何か』」を学生がつかもうとすることを、どこまで自分や大学が支援することができるのか…これが、私の責任なのではないか。ドナルドのいうように、学生がつかもうとする「何か」はどんなことでもいいし、学生たちもその模索を始めている。そして、木村さんや松波さんのように、そのための行動を作り出す自信に満ちた積極性は学生に備わっている。だとすれば、自分がやるべきことは、できるだけ多くの、そして多彩なきっかけを作り出すこと、学生が活動するに際しての障害をできるだけ取り除くことではないか。2011年6月の学生とともに実現した大阪訪問の大きな成果であった。


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