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ガンバロウ福大!行政の「結」

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に端を発する東日本大震災をきっかけに、福島大学行政政策学類の教員有志でブログを開始しました。福大行政に関わる情報共有・情報発信の場として、このブログが、読者のみなさんとわたしたちの、また、みなさん同士の結節点になれば嬉しいなと考えています。一緒に手を携えて、この難局を乗り切っていきましょう。     (2012年3月26日記)

「ひろやすの部屋♪」~横山君インタビュー2

 夜の震災対策室第5メンバーの大黒です。昨日の横山さんインタビューの続きを掲載します。
 計3回の特集記事になりそうです。
 「ひろやすの部屋♪るるる~」では、みなさんの活動や地域の実情などを報告したいと思っています。ブログを通じて、私たちや大学の友人、さらにはこのブログを読んでくれている人に知ってもらいたいことがあれば、ぜひコメントに書き込んでください。
 では、横山さんの話を聞いてみましょう!なお、横山さんからお土産ももらいました!手作り梅酒です。

CIMG5053.jpg
(お土産の横山さん手作りの梅酒です♪)
 
○(ひろやす)当日はどんな感じだった?

 当日は10時開始予定で8時半から準備してたんですが、その頃からお客さんがやってきて、売ったりしてました。幼馴染2人が手伝ってくれたんで。彼らにとっては、手伝わされて人災だったでしょうが(笑)。
 気がついたのは、自分には「主婦目線」が欠けていたってことです(笑)。仕入れのときは気がつかなかったんですが、レタスよりもパセリのほうが人気があったんですよね。パセリとネギはあっという間になくなりました。午前中にはレタス以外はすべて売り切れ状態です。ただ、1時過ぎにレタスだけになって以降は試練で…(笑)。20個残ったレタスをなんとか売ろうと大声で呼び込みもやりましたし、最後は商店街を売り歩いたりもしました。5時半頃には全て終わりました。
 仕入れは3万円でしたが、売り上げは5万2千円になりました。
 でも、売り上げだけじゃないんですよね。寄付があるんです。お釣りを渡そうとすると、お釣りはいいよ、カンパするからっていうひとが多くて。売り上げが5万2千円なのに、寄付金というかカンパというかが10万円以上も集まったんです。そういういろんなお客さんの気持ちを感じていると、仕入れ分をそこから引く気にはなれず(悪いですもん)、15万円全てをすぐに振り込みました。

○どう、やってみて、どんな気持ち?

楽しかったです。
福島産の野菜は、「売れない」というよりも「売らない」、ってことじゃないでしょうか。客がやってくるスーパーで止まっているのではなくて、市場で止まってるんですよね。小売りが買わない、売らないってことになってるんですよね。スーパーで、「震災支援コーナー」でも作れば、十分売れるんだと思うんですよ。
ちょっと後悔しているのは、買いに来てくれた人達の人数も数えなかったことです。もっと話を聞いておけばよかったって思ってます。その声をスーパーに持っていければ、スーパーの姿勢も変わったかもと思うと残念です。実際、スーパーで話を聞いてみたら、「もう返品済みだよ」、って言われましたね。

○卒業前から、卒業後は農業をやっていく決意だってことだったし、今後は農産物の作り手になるんだよね。今回のことで流通の勉強にもなったってことかな?

 仕入れた野菜が本当においしかった。白河のフルーツトマトを仕入れたんですが、ちょっと味見のつもりで食べたトマトだったのに、手伝ってくれた奴二人と食べるのが止まらなくなっちゃって。試食コーナーも作ったんですが、トマトは、「うまい!」といって箱で買って行ってくれる人もいました。卸問屋さんから教えてもらったJA白河の電話番号に電話して話してみたんですが、とても喜んでくれました。やってよかったと思いましたね。こんな野菜が売れないで廃棄処分になるのは本当にもったいないです。被災地に野菜を届けたいのでせっかくなら福島県産のものを、という人から連絡をもらっていたので、JA白河を紹介しておきました。

横山くん1
(夏の横山さん♪)

○就職して、今後の展望は?

 今日は就職先の栃木県益子市の川田農園から、宮城県の塩釜に野菜を送りに行った帰りです。ファームはレストランと直売契約をしているので。今回は、野菜だけではなく、おむつやトイレットペーパー、チーズやガソリンなども積んで行きました。いつもお世話になってるんだから、その「恩返し」だって社長が言って、4トントラックに荷物を積んで行きました。運んだ先のフランス料理のレストラン経営者の人の家に招かれ話もしてきました。その方は現在41歳なんですが、ずっとサーフィン中心の生活をしてきた人で、子供が生まれ35歳になったときに料理人になろうと決めて、修行を重ねてレストランを開店、決心から6年目になるという話をしていました。自分もがんばらないとな、って思いました。
 将来は、川田農園で農業生産と経営の研修を受けて、就農するつもりです。この農園では160種類の野菜を多品種少量生産無農薬ということでやっているんですが、自分もその中から何種類か選んで栽培したいと思ってます。野菜で基本的な収入を得ながら、いつか、自分が作った素材で信州みそを作りたい。祖母がみそ屋だったんですよね。純粋な信州みそを作って売りたいと思ってます。

○農業をやろうと思ったのはいつ頃からだっけ?

 大学2年の末頃だったかな。ずっと考えてはいたんですが。本当は農業なんかやってられないと思ってました。収入も不安定だし、肉体労働も大変だし、長男としてしっかりしなきゃっていう世間体も感じていたし。
 2年の時から何かやらないと、とは思っていましたが、ゼミなどで農山村、過疎中山間地域のことをやって、そういう問題に興味がわきました。その時は、公務員になればいいのかとも思ったんですが、公務員になれば何か解決するのかっていう疑問もあって。公務員でこんな問題に取り組むっていうことは、自分でできないことを人にやってもらう、ってことですよね。なんかヘンだなと思って。それではやりたいことができないし、「担い手がいない」、っていっても、それで生きていく人がいないのではしょうがないじゃないですか。なら自分が農業をやればいい、って思いました。

○2年の専攻入門科目、「松野・西崎ゼミ」の影響が大きかったってことかな。

 どうなんですかねえ(笑)。でも山に行ったり、飯舘村に行ったりして、楽しかったですね。広い意味での地域問題を勉強出来たと思います。

○公務員志望から最終的には就農、川田農園への就職に変わったきっかけは?

 最初は、所得も不安定、肉体労働も大変、世間体もあるという感じで、農業やりたくないという気持ちが強かったんですが、農政局や農水省の説明会に参加したりして、いろんな人と話をしていく中で、公務員になりたいという理由がないことに気がついたんです。人に「やらせる」、というよりも「自分でやる」方がいいって。
 農業をやりたくないっていう理由、収入が少ない休みがない、世間体で、人と比べて…という理由だったんですが、これが「農業をやらない」っていうことの理由にはならないんじゃないかって思うようになりました。給料が低くても自分がそれで生活していければいいし、人から何を言われても自分がそれでいいなら、いいのかなって。親戚なんかでも、反対する人は多かったんですが、賛成してくれる人もいました。親も、「自分のやりたいことをやればいい」、って言ってましたし。そこで、「やろう!」、って決めて、公務員試験の勉強をやめて、農業法人で働かせてもらうことに。
 最初はとてもきつくてもう行きたくない、とも思ったんですが、2回目のときは、「このきつさの中でやっていけるようになれば、今後やりきれるだろう」、って思うようになり、3回目に社長に相談したところ、「それなら、来い」、って言ってくれて、行くことになりました。

○川田農園にひかれたところは?→次回に続く…

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