ガンバロウ福大!行政の「結」

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に端を発する東日本大震災をきっかけに、福島大学行政政策学類の教員有志でブログを開始しました。福大行政に関わる情報共有・情報発信の場として、このブログが、読者のみなさんとわたしたちの、また、みなさん同士の結節点になれば嬉しいなと考えています。一緒に手を携えて、この難局を乗り切っていきましょう。     (2012年3月26日記)

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地域の自立は、女性の自立から-渡邊とみ子さん

朝の震災対策室からおはようございます、おやです。

今日は、久しぶりに「ひろやすの部屋」をお届けしようと思います。
では、夜室長、おねがいしまーす♪

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以前このブログでお伝えしたように、飯舘プロジェクトでは、昨年、『小さな自治体の大きな挑戦-飯舘村における地域づくり』を出版し、この本をテキストに使いながら、学際科目「小規模自治体の実践から学ぶ地域づくり学」の授業を進めています。飯舘プロジェクトにかかわった教員が講義を担当してきましたが、1月17日と24日は、村民の方から直接、地域づくりの実践について語っていただくことになりました。

17日の講師は、「かーちゃんの力・プロジェクト」でもコーディネーターとして活躍されている、渡邊とみ子さん(前田・八和木地区)。ご自身もブログをやっているので、ご存知の方も多いかもしれませんね。ブログは⇒http://blogs.yahoo.co.jp/ madeikouboubisairento
前の晩に三重県四日市市での研修から戻ってきたにもかかわらず、疲れも見せずにさっそうと登壇した渡邊さん、最初は自己紹介から。渡邊さんは松川町水原のご出身。大学のすぐ近くですね。縁あって飯舘村に嫁ぎましたが、最初から今のように、地域づくりに積極的に係わり、発言・行動していたりしていたわけではなかったようです。

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転機となったのは、1993年、村の「第4次総合振興計画」の地区別計画策定委員となったこと。当時は、女性が表舞台に出ることは少なく、一家の男性(家長)が決めたことに従うだけだったけど、地区で女性のリーダー育成に取り組んだことによって、初めて、自分の意思を伝えることができる、地域の女性が輝ける場をもつことができたそうです。
その後、地区の有志と自主学習グループ「夢見る老止(おとめ)会」を結成して、一人一役をこなし、ハーブ教室や工芸などを学んでいきました。その結果、村のクオリティーライフの顕彰〔クオリティライフは、第4次総合振興計画のキャッチフレーズで、田園生活の質を向上させるために、「すてきな田舎人」の発掘・表彰が行われました〕を受け、「イータテベイク」の生みの親である菅野元一先生(相馬農業高校)とも出会うことができました。

2000年度から、村は村民企画会議と庁内研究会を発足させ、合併問題の検討を始めましたが、渡邊さんは村民企画会議の委員として、市町村合併について考えることになります。政治のことはよくわからないけれど、「自分の地域がどうなるのだろう」という普通の主婦の感覚で会議に臨んだそうです。松野さんが仕掛け人になった、「合併の是非をめぐるディベート」では、意に反して合併賛成の立論をしましたが、そのことによって、このまま高齢化が進んだら集落がなくなるかもしれない、という現実を知ることができました。

6市町村で構成する合併任意協議会(2003年)、4市町村で構成する法定協議会(2004年)にも代表委員として参加しましたが、飯舘村との落差を痛感したそうです。「今までの飯舘村での地域づくりと合併特例債を利用した箱モノづくりとでは相容れない」、「合併は結婚と同じであり、自分の人生を決めること、そう簡単に離婚はできない」と感じた渡邊さんは、飯舘村が合併せずに残ってよかったとおっしゃっていました。

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「までいライフ」を理念とする「第5次総合振興計画」の策定時には、農村計画部会の委員となり、村職員とともに年間20数回の会議を重ねましたが、渡邊さんは、その中で「合併せずに自立を選んだ村のために、自分は何ができるか?」ということを考えました。2005年、遊休農地を利用して、飯舘オリジナル品種である「イータテベイク」と「いいたて雪っ娘」を生産・販売するために、「イータテベイクじゃがいも研究会」を設立。会合に遅れていったばかりに会長にさせられてしまったのだとか。本当かな?

そして、今度は、商品開発と加工・販売に取り組みたいと考え、起業について学んだうえで、2007年、「までい工房 美彩恋人(びさいれんと)」を、立ち上げました。実は、この名称、メンバーの名前の頭文字を織り込んでいるとともに、男社会からのパッシングを受け続けてきた渡邊さんが「お黙り(be silent)」という意味を込めているんだそうです。美しいだけではなかったんですね!

「人」という文字は支えあっているように見えるけれど、上のつっかえ棒(男性)が取れると、女性はぐんぐん伸びていくんですよ。渡邊さんの話はユーモアたっぷりで、ちょっと男には耳が痛い。でも、ご主人やご家族にはすごく感謝されていました。念のため。

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こうして、「じゃがいも」と「かぼちゃ」の生産・加工・販売を手がけることになったのですが、とくに「種いも」の生産には並々ならぬ苦労があったそうです。

調べてみると・・・じゃがいもは、栄養体で増えるために増殖率が低く、しかもウイルス病にかかると収量、品質ともに大きく低下するという難点があります。そのため、1947年には国営の馬鈴薯原原種農場(現在は独立行政法人種苗管理センター)を設置して、原原種の生産・供給を開始しました。また、植物防疫法に基づいて植付前の元だね(種いもの親)、栽培中の植物体、生産物(種いもそのもの)の3段階で、植物防疫官が厳密な検査を行っていて、この検査に合格しなければ種いもとしては販売できないのだそうです。

ようやく昨年から種いもの生産が認可となった矢先に、今回の原発災害に遭遇しました。福島市内のイベントに参加していた渡邊さんは、慌てて村の自宅に戻ったところ、電気は止まり工房は散乱していたものの、商品は無事で、自分が生かされていたことを実感し、いいたて雪ん娘のムシパンをつくって村に届けました。

しかし、その後、原発事故によって被ばくしたことを知り、長野県白馬村に自主避難したのですが、やはり気になるのは種いものこと。これまでやってきたことが無駄になってはと、村にとって帰り松川町の実家に種いもを移しました。そして、なんとか生産を続けていきたいと考え、福島市の避難先に55aの田んぼを借りて、それを畑にしたそうです。飯舘村のフカフカした土とはちがって、高ウネやマルチもつくれないほどのゴロゴロとした土。でも、そんな中でも、芽が出た時は本当にうれしかったそうです。
地域の方への御礼の意味を込めて、10月には収穫祭を開きました。そして、世界一厳しいウクライナ基準よりもさらに厳しい放射能基準値20?/?(現在の国の暫定基準値は500?)という、安全・安心の基準を決めて、出荷することにしたそうです。それにしても、渡邊さん、逆境の中でもすごい決断力と行動力ですね。

渡邊さんは、最後に、「かーちゃんの力・プロジェクト」のコーディネーターとしての思いを語ってくれました。

自分と同じく、今までやってきたことを失って悔しい思いをしている「かーちゃん」たちはたくさんいる。自分たちでつくったものを販売することを生きがいにしてきたけれど、何もできない、どうしよう?という思いをもっている。
でも、仮設住宅で与えられるだけの生活はいやだ、今までやってきた生活をもう一度取り戻してみたい。そんなかーちゃんたちと出会って、精神的にギリギリの状況で餅プロジェクトに取り組んでみたら、新潟県南魚沼市石打地区からのもち米の提供など、いろいろなところから応援隊がでてきた。人は一人では生きていけない。

考えてみれば、自分はすべてを失ったわけではなく、加工施設が残っているし、あるものを利用するところから始めていけばいい。原発災害は、福島や飯舘の名前を勝手に宣伝してくれたのだから、ピンチをチャンスに変えて、消費者が安心して買ってくれるようにきちんと測って、かーちゃんの力でデータを示しながらやっていきたい。

「凧は風が強くなければ高く上がらない。目標も同じで多少の風当たりが強いのは自分のため」という渡邊さん。どこから見ても、「普通の主婦」ではなく、「スーパーかーちゃん」です。前向きで、明るくて、強い女性としか思えませんが、実は、不安な気持ちでいっぱいだったんですね。今年の年賀状には、次のように書きました。

暗闇の中から僅かの光を探してきました
ずっと、道なき道を歩いてきました
つらくて、悔しくて、沢山泣きました
あきらめないで小さな一歩を踏み出しました
そしたらね
いつの間にか大きな和が生まれたの
だから、頑張っていくことにしたの

渡邊さんのお話の後には、教員から一言ずつコメントがありました。

西崎さん:「今まで飯舘村の地域づくりについて話してきましたが、どうしても総論になりがちでした。今日の渡邊さんのお話からは、飯舘村の地域づくりを支えてきた個人個人の力の大きさが伝わったのではないでしょうか。」

岩崎さん:「飯舘村を含めた阿武隈地域では、それぞれの女性起業グループは頑張っているのに、自己完結してしまって横のつながりが弱かったように思います。でも、399号線沿いのネットワークをつくる活動があったからこそ、かーちゃんの力・プロジェクトのつながりも生まれたのだと思います。」

松野さん:「僕自身は、必ずしも専門の行政学の立場で飯舘村と付き合ってきたわけではありません。でも、村の現実や地域からたくさんことを学ばせてもらっています。皆さんには、なぜ行政の教員がこれほど飯舘村に惹きつけられているのか疑問に思って欲しい。そして、メディアを通じてではなく、人と接して、その地域で人がどう生きているかを学んでほしい。」

ひろやすもコメントを求められたのですが、コーディネーターの五十嵐さんに無茶振りしてしまいました。ごめんなさい! でも、五十嵐さんから受講生に対しては、「かーちゃんの力・プロジェクトも含めて、いま自分に何ができるかを考えてほしい!」というエールが送られました。よかったです。

当日(阪神・淡路大震災の日からちょうど17年目)は、神戸芸術工科大学4年生の方も、「かーちゃんの力・プロジェクト」の応援のために駆けつけてくれました。かーちゃんたちが頑張っている姿は人を勇気づけ、その笑顔は人を元気づけるんですね。

最後に、受講生の感想を一つ紹介しましょう。

「とみ子さんの講義を聞いて、人間の強さ、女性の強さを感じました。私自身福島で生まれて、今も大学に通っていて、本当につらく、どうしていいのか分からなくなる時があります。私よりずっとずっと大変な状況にあるふくしまのかーちゃん達の力を感じ、こんな時だからこそ、頑張って、ピンチをチャンスに変えなければと思いました。
今までの講義で飯舘村の協働のまちづくりについて学んできたが、実際に村民の方のお話を聞いたのは初めてでした。ディベート、合併委員への参加、起業など普通の主婦ではできないだろうという考えではなく、普通の主婦にしか思いつかないこと、できることを自ら楽しみながらやり、成長できたということを聞き、そして今もそこでの学びや、そこで生まれたつながりが残っていることを感じ、村の状況は良いとはいえないけれど、今までの飯舘の歩みはムダじゃなかったのだと思いました。
私も、とみ子さんのような強く美しい福島のかーちゃんになれるように生きていきたいと思います。」

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