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ガンバロウ福大!行政の「結」

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に端を発する東日本大震災をきっかけに、福島大学行政政策学類の教員有志でブログを開始しました。福大行政に関わる情報共有・情報発信の場として、このブログが、読者のみなさんとわたしたちの、また、みなさん同士の結節点になれば嬉しいなと考えています。一緒に手を携えて、この難局を乗り切っていきましょう。     (2012年3月26日記)

「飯舘村いこいの家」で集う

おはようございます。昼の震災対策室から大黒です。
長らくブログをお休みにしてしまい、申し訳ありませんでした。
大変な3か月でもあった前期の授業期間がようやく終わりましたが、授業から震災対策・復興支援まで多くの仕事に追われる教職員にはこの1週間は過酷でした(学生さんはいまテスト期間中…もう少しです)。
ブログが扱わなければならないのに、掲載できていないテーマや記事はたくさんあります。
安心安全な大学生活を求める学生と大学との交渉から、ホットスポット問題、大学の日本原子力研究開発機構との連携協定締結問題、夏休み中の学類の震災対策、これまでの学類や大学の震災対策に対する反省などなど(もちろん「ハードボイルド飯坂温泉」の続編も忘れられません!)、やるべきこと、みなさんにお伝えすることはまだたくさん残っています。
今後も少しずつ載せていきたいと思っています。少し時間がかかるかもしれませんが、今後ともよろしくお願いします。
復帰後最初の記事は、塩谷さんが書いてくれました。

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こんばんは。夜室長のひろやすです。

7月27日の夜、福島市内で「いいたて有志者交流会」が開催されました。この交流会に、千葉さん、新村さん、加藤さん、丹波さん、松野さん、そしてぴたと一緒に参加してきましたので、その報告をしたいと思います。

今回の交流会は、大井利裕さん(愛する飯舘村を還せ!!プロジェクト代表)、谷川洋さん(いいたてまでいの会代表)、千葉悦子さん(福島大学教授、福島県男女共生センター「女と男の未来館」館長)が呼びかけ人となって実施されたものです。

開催案内には、次のように書かれていました。

「悪夢の3月11日から早4ヶ月の月日が経ちました。
苦渋とか 戸惑いとか 辛いとか 憤りとか 悔しいとか 悲しいとか どんな言葉を並べても、この4ヶ月間の心境は言葉では表現はできません。
今飯舘村民の殆どは住み慣れた家を離れ、美しい村を離れ、避難生活になんとか馴染もうとしています。家族のこと、教育のこと、健康のこと、暮らしのこと、補償のことなどなど、日増しに苦悩は増幅するとも、軽減することはありません。
 しかし子供たちも、変わった学校環境にもようやく馴染んで、子供らしい明るい元気な表情が見られるようになって来ました。
 防犯パトロール隊の詰め所になっているいちばん館は、村民の情報交換の場ともなり、日に日にいろんな話題にあふれ、ささやかな交流の場にもなりつつあります。
 現在の飯舘村の風景は、紫陽花が咲き始め蝶や昆虫が飛び交い、不如帰や小鳥がさえずり、自然の営みは絶えることなく、変わることなく続けられています。
『天は自ら助くる者を助く』・・・・どんな苦境にあっても、それを切り開いていくのは、結局自らの行動であると思います。
村民の安全安心と、一日も早い飯舘村への帰還を着実に進めるためには、国はじめ行政の取組みもさることながら、住民自らの行動も極めて大切であると思います。
そうした観点から下記により、意見交換の機会を設定いたしました。趣旨ご賢察のうえ是非ご出席のうえご意見を賜りますよう、ご案内申し上げます。」

会場になったのは、大学から車で20分ほど走ったところにある、市内荒井の観光名所「アンナガーデン」に隣接する「ゑびす庵」でした。「ゑびす庵」は、創業59年目の老舗の手打ちうどん店で、飯舘村が計画的避難区域に指定された後も、村役場が福島市飯野に転出する前日まで営業を続け、村民の憩いの場になっていたお店です。

村民の強い要望に応えて、7月16日に営業を再開したばかりです。店主が、「この店はみんなの家。ばらばらになった村民が集う場にしたい」という思いを込めて、新しい店の看板には、「いこいの家」と書き込まれています。

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今回集まったメンバーは、総勢約40名。テレビの取材も入って、店内はぎっしりです。

メンバーの内訳は、飯舘村民の「愛する飯舘村を還せ!!プロジェクトメンバー」が十数名、「村応援隊」の福島大学と日本大学の教員が10名、地域政策科学研究科の院生と修了生が6名、そして、震災以前から飯舘村を応援している「までいの会」のメンバーが5名。そして、菅野典雄村長と佐藤長平村議会議長もゲストとしてかけつけてくれました。

交流会は、呼びかけ人とゲストの挨拶に続いて、参加者全員が、自己紹介や思い・意見を語り、最後に、糸長浩司日本大学教授、千葉さん、菅野村長のコメントがありました。

院生以外(木村君がまとめて挨拶をしたので、せっかく来てくれた院生にはちょっと申し訳なかったです)は全員が挨拶をしたので、交流会は、予定終了時間を大幅に超えて、3時間以上に及びました。

ここでは、飯舘村の方々の声を要約してお伝えしたいと思います。

○菅野村長

「飯舘村では、これまでコミュニティや人づくりを大切にしてこつこつと村づくりをやってきたが、このような事態になってしまった。全村避難は飯舘村だけであり、いまや世界のIITATE-MURAになった。この状況を逆手にとって、次の世代に眼を向けながらやっていくしかないと考えている。」
「あと10日ほどで避難は終わるが、避難後の課題の方がもっと大変である。国と県が復興プランをつくり、村もこれから策定するが、村に住んでいる人たちが故郷や家族を思う気持ちが大切である。農地や家畜に込めた思いを活かし、復興の原点にしていきたい。」

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<菅野典雄飯舘村長>


○佐藤議長

「今回の大震災が天災であるならば政府にお願いするしかないが、東電事故は人災であり、東電と国に対しては怒りを込めて対応しなければならない。自分はこの間、笑いを忘れてしまった。しかし、涙を見せてはならない。国の内外からさまざまな支援をいただくが、お金は東電と国からもらうものだと思う。お金ではなく、それを交流に変えていくこと、子どもたちの未来や青年たちの将来につなげていくことが大切だ。」

○愛澤卓見さん

「何より心配なのは子どもの健康問題。過去の公害問題をみると、いまから10年後、20年後に被害が現れるかもしれず、裁判をすれば決着するまでに50年もかかる。いまから、被害の状況についてきちんと材料を集めておくことが重要だ。」

○大井利裕さん

「福島に来たが、なかなか皆で集まる機会がない。ここで話したことを村民に伝えていきたい。子ども手帳については、行政と連携して進めていきたい。」

○大内亮さん

「皆と力を合わせながらやっていきたい。」

○岡本易さん

「皆に被害が及んでいる。一緒に手を取り合ってやっていきたい。」

○菅野茂さん

「飯舘村を離れたいまになってもなかなか現実のものと受け入れられない。一方で、なんとかしなくてはと焦る自分がいて、気持がソワソワして落ち着かない。先日、荒廃した山や田を見て、開き直って、ようやく気持ちが落ち着いた。」

○菅野哲さん

「福島に避難してきて1ヵ月が経つが、いまも村に残っている人、村に戻った人もいる。これからが正念場。飯舘村をなくされて黙っているわけにはいかない。しかし、今のままではすぐには帰れないのも現実。住むことはできても生業がない。山菜もキノコも採ることができない。」

○斉藤政行さん

「先日、村に戻った時に、田畑が草ぼうぼうになっているのを見た。お盆になって村人が村に戻ったらどんな気持ちになるだろうか。これからどうしたらよいか。」

○佐藤健太さん

「実家がテトラポットを造っていたが、屋外作業なので、仕事ができずプー太郎状態である。いま村は草ぼうぼうで、こんなに荒れた村を見るのは初めてだ。若者グループ数名で、子どもや若者の未来を守りたいと思って活動している。村では、18歳以下の子どものために、健康手帳を作成してくれたので、19歳以上については自分たちの手で健康手帳を作成していきたい。8月からは避難先で健康手帳に記入してもらい、それをコミュニティのツールにしていきたい。夏には、ドイツに研修に行ったり、1泊2日千葉県鴨川に子どもたちを連れていったりすることを計画している。」

○佐藤公一さん

「佐須地区は、まだ5.6μ㏜毎時ある。仮設住宅に移ってからは、和太鼓を通じて、栃木県と交流した。8月には長野とも交流する予定である。地区は、上流にあって雑排水がかからずきれいな水で農作物が作れるということでやってきたが、今後はどうなるのか。いつ帰れるのだろうか?」

○鈴木保男さん

「18年前に家族4人で移住してきて、1年間、電気なしの生活を送った。いまから考えると、ラジオを通じてテレビの音声を聴いて想像力を膨らませるなど、豊かな生活だった。避難所や仮設住宅を巡回しているが、仮設に入る人の中には健康に不安のある人もいるので心配だ。」

○小暮さん

「昨年10月に飯舘村に転勤してきた。近所の人がマツタケを差し入れてくれて、定年後に住みたいと思うようになり、2月22日に村民になった。ところが1ヵ月も経たないうちに村をでることになった。自分の夢を取り戻したい。」

○長正増夫さん

「最近、ささいなことでも夫婦で口げんかしている。こうしたことは二度と起こさせてはいけない。なぜ起きるかと言えば、責任があいまいだからだ。東電から政治資金を受け取っているのが誰かはっきりさせるべきだ。個人の責任を明確にして、私財を投げ打って償わさせれば緊張感も出るのではないか。厳しい取組みが必要だ。」

○渡辺富士男さん

「いちど2DKのアパートに移ったが、母が何もすることができず、松川の一軒家に移った。年寄りは、病院とスーパーにしか行くことができない。飯舘村の家は、草ぼうぼうになっている。自分たちは戻れても、孫を飯舘村の家に泊めてよいのかという迷いがある。それでは、父母から受け継いできた土地はもはや故郷とは言えないのではないか。絶対に帰りたい。」

閉会の挨拶の中で、大和川酒造の佐藤弥右衛門社長は、「今の飯舘村では、逃げること、耐えること、戦うこと、の三つが交錯している」とコメントしていましたが、参加した村民の方々の思いもさまざまであると感じました。
いつになったら飯舘村に戻り元通りの生活を送ることができるのか、その見通しが立たないなかで、将来に対する希望を失わず、いまの生活を再建していくことは並大抵のことではありません。

昨日28日、「飯舘村は、ホテルなどから仮設住宅への二次避難を進めていて、8月のお盆前にはほぼ完了する見込み。28日からは松川工業団地第一、30日から同第二、31日から伊達東の合計353戸への入居をスタートさせる。」との報道がありました。

松川工業団地は、国道4号線バイパス沿いにあり、大学からは車でわずか10分ほどの距離にあります。すでに、県内外の仮設住宅からは、コミュニティ、介護、買い物など、さまざまな課題があるとの声がきこえてきます。

夜室長は、交流会の中で、仮設住宅の入居者が農作物をつくる田畑を近くに確保できないかという相談を受けました。福島大学のお膝元でもあり、同じ被災者として、どのようなお手伝いができるか、村民の方々や学生とともに考えていきたいと思います。

コメント

いつも応援ありがとうございます

今回の災害で世界の飯舘村になりました。自主避難計画的避難区域となり、福島市の西部に一軒家を借りて家族で避難しました。イイータテベイクやいいたて雪っ娘の種繋ぎの為に土地も借りて頑張ってます。自分達がどうしたいか?と思って頑張ってきたのに、どうにもならない事もあるのですね。ただ、私は諦めたくないから、今の現状の中でも未来に繋ぐ為の行動をしています。いつも、飯舘村の応援ありがとうございます。感謝します。

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