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ガンバロウ福大!行政の「結」

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に端を発する東日本大震災をきっかけに、福島大学行政政策学類の教員有志でブログを開始しました。福大行政に関わる情報共有・情報発信の場として、このブログが、読者のみなさんとわたしたちの、また、みなさん同士の結節点になれば嬉しいなと考えています。一緒に手を携えて、この難局を乗り切っていきましょう。     (2012年3月26日記)

「気持ち」を「形」にするには…愛媛・松山での復興支援①

 6月16日の「愛媛新聞」に、「今治出身福島大生と岩手出身愛媛大院生 復興支援の架け橋に 18日松山でコンサート企画」という記事が掲載されました。愛媛・松山で活躍する福大生…興味がわきますよね!
 今治出身の福島大生=楠橋さんは、人間発達文化学類3年生。
 同じ四国出身ということで興味をもったぴたがお願いする形で、「ひろやすの部屋」に来ていただくことになりました。
 楠橋さんは、311には南福島にある自宅で被災したそうです。その後、今治に帰り、松山で復興支援にかかわるまでどのような経験をし、また再び大学に戻って以降、自分の活動を振り返って考えることや、今の心境について、お話していただきました。
 「学生として何かしたい!」「自分たちにできることをやりたい!」という気持ちを持っている人は多いと思います。その「気持ち」を「形」にするには…その難しさとともに、その可能性を感じるとても印象的なインタビューになりました。
 2回に分けて掲載します。

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(ひろやす)こんにちは。所属している学類も違うのに、わざわざありがとうございます。愛媛新聞の記事を、いろんな方がこちらに送ってくださったので、以前からぜひお話を聞きたいと思っていました。よろしくお願いします。
 311当日の様子を教えてください。

(楠橋さん)当時は南福島のアパートにいました。バイトに出かける前の休息中でした。緊急地震情報でびっくりして目を覚ましましたが、その後すごい揺れで、部屋を飛び出しました。立っていられないくらいの揺れでした。部屋はテレビが倒れたり、トイレのタンクから水があふれたりで、大変でした。自宅は電気とガスは使えましたが、水は止まってしまいました。

(ひろやす)その日はその後、どのように過ごしましたか?

(楠橋さん)自分の家にいました。陸上部の友人が合宿で千葉に行っていて、頼れる人があまり近くにいなくて…。電話が使えずなかなか連絡が取れなかったんですが、兄弟からメールが来てようやく連絡がつきました。夜には親とも話すことができました。その後もしばらくは一人で過ごし、友人が合宿先の千葉から戻ってきてからは(バスで10時間以上かけて帰ってきたそうです)、一緒にいました。

(ひろやす)福島にはいつまで?

(楠橋さん)実家に帰りたいとは思っていましたが、公共交通が止まってしまったり、臨時で飛んでいた飛行機は満席だったりで帰れませんでした。Mixiに書き込みをしていたのですが、「新潟か山形に出ないとその先に出られない」、と教えてくれた人がいて呆然としました。
 しばらくして新潟出身の先輩が福島まで迎えに来てくれることになりました。新潟からやってきてアパートで一泊したあと、翌日、周辺に住んでいる友人にも声をかけ、軽自動車に4人で乗り合わせて新潟に出ました。それに膝の上にはハムスターを乗せて(笑)4日目の朝だったと思います。その日は新潟の先輩の家で一泊させてもらい、その後新幹線で東京→岡山→愛媛と乗り継いで今治の実家に帰宅しました。

(ひろやす)福島に残った4日間はきつかったでしょう。

(楠橋さん)はい。なにより心細くて…周りに人がいない、水がでない、そのうえ連絡がつきにくいという状況でしたから。テレビで情報を得て、Mixiで励まされて…という状況でした。福島にいる間に大学からは連絡がありませんでした。その後、愛媛に帰ってから、指導教員の先生から安否確認の連絡がありました。

(ひろやす)福島に残っている間の食べ物はどうしていましたか?

(楠橋さん)蓄えというほどのものはなく、お菓子くらいしかありませんでした。あっ、お米がたくさんあったかな。当日はバイトの予定が入っていたので、揺れがおさまった後、バイト先に行きました。店長が出勤していていろいろ心配してくれました。水がないというと水を分けてくれ、その水で米を炊いて食べていました。その日、ミニストップで買い物ができることが分かったときは、水を使わなくても、レンジやガスだけで調理して食べられる物を買いました。おにぎりはなかったので、カロリーメイトやコーンフレークですね。「たこわさび」も買いました(笑)。翌日、ヨークベニマルが駐車場で物を売り始めたので、一時間待ちでしたが、食料はいろいろ買えました。

(ひろやす)ひとりで全部やるのは大変だったよね。

(楠橋さん)はい、ニュースもチェックしたいし、バイト先も手伝いたい。買い物も行かなければいけないしで…何からやればいいんだろうと悩みました。食べる物の調達は最優先でしたが。

(ひろやす)新潟から愛媛に戻るまではスムーズに行けたんですか?

(楠橋さん)新潟までの道中、福島県内でガソリンをいれられず、どきどきしましたが、なんとか新潟に入ったところで給油はできました。新潟からは新幹線だったんですが、電車が大宮で停止し一時閉じ込められました。これは怖かったです。東京から岡山までは、切符は取れたんですが、大混雑で、多くの人が通路に立っていました。東京駅のホームでは、お父さんがホームに残り、お母さんと子どもだけが電車に乗って…というシーンをいくつも見ました。

(ひろやす)お父さんを残し、母子で東京を脱出する人も多かったみたいですね。
 ところで、愛媛に帰ってから、どのように活動にかかわることになったんですか?

(楠橋さん)その後関わることになる愛媛の大学生グループは、私がまだ福島にいるときから募金活動をしていたようです。高校時代からの知り合いで愛媛大にいる友人がMixiで「松山市で募金活動をします」、と書いていました。福島にいるときから、そういう友人たちの動きに勇気をもらっていました。
 自分は、福島に残っている友人、福島を出ていけない友人がいる、ということになんとなく罪悪感を感じていました。長野に戻った友人とも、「俺たちにできる復興支援をやろうな」、と話もしていました。
 今治に戻った翌日、「愛媛学生支援組織」の代表の人にブログを通じて連絡をとり、その翌日から、松山市での募金活動に参加させてもらうことにしました。今治から松山まで毎日通うのは大変なので、愛媛グローバルネットワークというNPO法人のスタッフの家に泊めてもらっていました。松山に泊まりこんでの活動は、ほぼ2カ月くらいでしょうか。泊まり込みで活動していたのは私だけで、市内の大学(愛媛大、松山大、東雲大、聖カタリナ大学など)の学生中心で活動していました。当時、募金活動への参加者リストには100名近くの登録があったと思います。

(ひろやす)募金活動というのはどんな感じで進めたの?

(楠橋さん)高島屋の前に立っての街頭募金です。1日3時間ほど募金活動を行い、その後1時間程度の話し合いと反省会、という感じでした。

(ひろやす)町の人の反応はどうでしたか?

(楠橋さん)初めのころは反応がすごかったですね。一日20~30万円くらい集まったと思います。日が経つにつれて、募金をしている団体も増えたこともあって、金額自体は減ってきました。少ない時は1万円、平均で2万円くらいだったでしょうか。

(ひろやす)募金活動の期間は?

(楠橋さん)3月の間はほぼ毎日でした。募金活動でも警察に届けなければならなくて、月末に何日か休みましたが。4月は大学の授業の開始までは毎日でしたが、その後は週末だけの活動になりました。

(ひろやす)募金活動以外にも活動はありましたか?

(楠橋さん)NPOの方と一緒に、愛媛県社会福祉協議会のボランティアネットワーク組織の会議に参加させてもらって勉強しました。また、航空会社の「スカイマーク」と連携した「元気スカイプロジェクト」という無料で支援物資を送る活動にかかわった人の話を聞きに行ったり、被災地の現場にボランティアに行っているNPOの活動報告会を主催したり、といったところです。メガネ屋さんがメガネを被災地に送ったという話を聞き、そうした面白い活動をしている人を招いた報告会もやりました。そうそう、「炊き出し訓練」というのもやりました。愛媛の人に対する啓発活動を目的としたもので、炊き出しをやって、イベントにやってきたひとに食べてもらう、その収益は募金に回す、という活動です。

(ひろやす)被災地に直接出向いていく、ということはあったのですか?

(楠橋さん)そうですね…私たちは愛媛にいて出来る活動を、ということがあったので、被災地に出向くということはなかったです。愛媛県社協は、ボランティアバスを出していて、学生や技術者を被災地に連れていくということもやっていたようです。学生団体の代表なんかは参加していました。

(ひろやす)活動には大学の教員などは関わっていましたか?実は、福島大学出身で、現在、愛媛大学で教えている教員もいるんですよ。また、東北出身の学生さんの参加などもありましたか?

(楠橋さん)教員の方でこの活動にかかわった人はいないと思います。東北出身は、新聞に載っているように、一緒に活動した上館さんは岩手出身の愛媛大生でしたが、基本は愛媛にいる学生さんが中心でした。また、一緒になって動いたのは、大学というよりもNPOや社会福祉協議会の方ですね。

(ひろやす)主催した報告会への参加者は多かったんですか?

(楠橋さん)学生がほとんどでした。それも支援組織に登録している人です。広報がうまくできなくて、参加者もそれほど多かったわけではありません。何かをやろうとしても空回りして、なかなか形にならずにもどかしい思いもしました。

(ひろやす)活動をやってみて、「学生ならでは」と思ったところはありますか?

・・・・・・(→次回に続く)

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