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ガンバロウ福大!行政の「結」

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に端を発する東日本大震災をきっかけに、福島大学行政政策学類の教員有志でブログを開始しました。福大行政に関わる情報共有・情報発信の場として、このブログが、読者のみなさんとわたしたちの、また、みなさん同士の結節点になれば嬉しいなと考えています。一緒に手を携えて、この難局を乗り切っていきましょう。     (2012年3月26日記)

地域の絆に学ぶ―陸前高田市と大船渡市で

6月19日~20日、中井さん、「おや」こと清水さん、夜室長の3人で、陸前高田市と大船渡市に行ってきました。岩手県の三陸沿岸の釜石、大船渡、陸前高田からは、毎年、何人もの学生が福島大学に入学しており、多くの卒業生が地元で活躍をしています。

東日本大震災では、陸前高田市では市街地が津波で壊滅的な被害を受け、日本の渚百選に選定された景勝地の高田松原は跡かたもなく押し流されてしまいました。

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そして、行政社会学部(行政政策学類)の卒業生5人が市の職員として働いていましたが、市庁舎の屋上まで津波が押し寄せ、残念ながら2人の卒業生が犠牲になってしまいました。

今回の訪問では、ご家族をお見舞するとともに、「卒業生の今Ⅰ」(こちら)で紹介した、大和田智広さんから被災の状況、復興支援の取組みについてお話をうかがい、大学としての支援のあり方について意見交換することができました。

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また、地域の絆を活かして、住民自らの手で仮設住宅を建設した長洞(ながほら)地区の取組みについて、地区副会長の村上誠二さん(現・大船渡市立北小学校事務職員)にお話をうかがうことができました。
ここでは、村上さんのお話を紹介したいと思います。

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(ひろやす・教員)長洞地区は、震災直後、住民が民家に分かれて避難生活をしていたそうですが、どのような状況だったのですか?

(村上さん)3月までは陸前高田市立第一中学校の事務職員を務めていました。3月11日の午前中はちょうど改築が終わった体育館の竣工式をして、午後に震災を迎えました。中学校は高台にあったので津波の被害はなかったのですが、負傷者や避難してきた住民が続々と集まってきて、竣工式で使った紅白の幕を外して寒さをしのいでいました。中学校からは、気仙沼市方面の空が火事で真っ赤に染まっている様子が見えました。

 翌日朝5時に起きて、同僚の車で行けるところまで行き、そのあとは瓦礫の山を歩いて長洞地区まで戻りました。広田半島は、3キロメートル離れた広田湾と大野湾の両側から津波が押し寄せて海がつながり、半島全体が島のように孤立した状態になってしまいました。

 長洞地区は、広田半島の付け根にある地区です。電気も通信手段もなく、道路が寸断されていつ支援物資が来るか分からないことが、目で見た情報ですぐに認識できました。地区は、海岸部にある「下組(したくみ)」と高台にある「上組(うえくみ)」に60世帯が住んでいましたが、下組は壊滅的な被害を受け、28棟が被害を受けました。そこで、地区内の民家に分かれて分宿するとともに、コメやガソリンを出し合って分けあいながら、避難生活を続けました。

(ひろやす・教員)長洞地区は他の地区に比べてとくにまとまりがあったのですか?

(村上さん)他の地区と比べてとくに結束力があったとは思いません。でも、他の地区ではいろいろな集まりを年々縮小していたのに対して、運動会でも一緒に炊き出しをするなど、地区としてのつながりを保つようにしてきました。

(ひろやす・教員)村上さんは長洞地区のご出身なのですか?

(村上さん)もともとは黒崎半島の大祝の出身です。長洞地区に住んでから17年になります。小友町のほうに土地を求めたいということで不動産会社にあたったのですが、地元の方は身内にしか土地を売らないので、10年以上たってからようやく土地を手に入れることができました。

(ひろやす・教員)長洞地区を選んだ特別な理由はあるのですか?

(村上さん)とくにありません。自分は二男なので、長男とは違って海の仕事にはつかないだろうことで、小さいころから海から遠ざけられてきました。そこで、海の近くに住みたいというあこがれはありました。

(ひろやす・教員)地区ではどのような活動をしてきたのですか?

(村上さん)長洞地区は有力な家が2つあって、どちらかというとまとまりにくい地域だったようです。私はどちらにもしがらみがないということで、来てからすぐに地区の役員になりました。妻が中学校の数学の教諭をしていたこともあって、広田町の小中学校の先生に声をかけて、子どもたちを岩手山網張国民休暇村にスキーやスノボをさせに連れていくという活動を13年間続けてきました。また、長洞太鼓の同好会の結成も呼びかけました。

(ひろやす・教員)今回の震災では、仮設住宅建設以外にもなにか活動をされたのですか?

(村上さん)長洞元気学校を開設しました。震災後、学校は避難所になっていつ授業が再開できるのか見通しが立ちませんでした。そこで、校長先生に「青空学級をやりましょう」と提言したのですが、やろうにも場所がありませんでした。そこで、地区でやるのはどうかと考え、スキー教室などでつながりのある地元出身の先生に呼びかけ、3月23日から4月16日までの間、学校を自主運営しました。授業は、8時30分から11時30分までの午前の3時間。場所は一中の元校長先生のお宅を借りました。長洞地区の小中学生のほか、避難してきた子どもたちも含めて30数名が学んでいました。高校生や大学生もボランティアで手伝ってくれましたし、小友町のキャンプ場モビリアまでの往復12キロの遠足には、15人の保護者も参加してくれました。保護者に元気を届けることができ、支援の輪が拡がっていったと思います。

(ひろやす・教員)仮設住宅建設について教えてください。どんなきっかけで始まったのですか?

(村上さん)他の被災地に先駆けて、陸前高田市では3月19日から仮設住宅の建設が始まりました。3月26日から入居申込の受付を開始することになり、前日に市内8か所で入居の説明会が開かれました。それ以前に、長洞地区の住民で集まったときに、コミュニティを維持していきたいという話をしていたので、市の担当者に質問したのですが、市のほうは公平性を保つためにすべて抽選で入居を決める方針で、コミュニティのことはまったく考えていませんでした。これでは、復興に向けた取り組みができないし、むしろマイナス要因になるということで、地権者の同意を得たうえで、地区の民有地に仮設住宅を建設したいという要望書を28日の受付締切り前に出しました。

(ひろやす・教員)地権者との調整はすんなりといったのですか?

(村上さん)地区の中で仮設住宅を建てることができる場所は限られています。私が地権者4人と交渉しましたが問題はありませんでした。場所は農地ですが、耕作されていないところが6~7割を占めていました。あとは野菜を作ったり、花づくりのために人に貸していたような土地です。住居の部分は5年間、駐車場の部分は2年間、無償で借りるという約束です。最初は、5年間は長すぎるという地権者もいたのですが、その地権者自身も仮設住宅に入らなくてはならないということで、納得してもらいました。

(ひろやす・教員)民有地に仮設住宅をつくることについては、市はすぐに了承したのですか?

(村上さん)要望書を提出したときは、公有地にどれだけの仮設住宅を建てるか分からない状況だったので、まったく検討の俎上に乗りませんでした。
 でも、4月2日に放送されたNHKの「ニュース深読み」で長洞地区の避難所や仮設住宅のことを取り上げてもらったせいで、世論が動いていることを市や県の担当者も感じ取ったようです。マスコミの力は大きかったですね。この番組を観た「仮設市街地研究会」の研究者たちが長洞地区に来て、さまざまなルートで行政や住宅会社に働きかけてくれました。民有地に仮設住宅を建設するという動きは、長洞地区から拡がっていきました。

(ひろやす・教員)村上さんは、ブログやニュースでも情報発信をしていますね。(「長洞元気村」のブログのアドレスは、http://iwate03.blog.ocn.ne.jp/)。

(村上さん)ブログなどは前からやりたいと思っていたのですが、震災前には経験がありませんでした。津波で自分のパソコンも流されてしまったので、仮設市街地研究会のメンバーに「何か欲しいものはないか?」と訊かれたときに、「酒とパソコンが欲しい」と答えました(笑)。
 遠野市災害ボランティアセンターがパソコンをもってきてくれたときに、ホームページをつくるように勧められました。立ち上げは専門家がやってくれて、更新の仕方を教えてもらいました。忙しいときは文章や写真を送信して、ボラセンの人にアップしてもらっています。

(ひろやす・教員)反響はいかがでしたか?

(村上さん)TVやブログを見て応援したいという人が出てきました。長洞地区にピンポイトで寄附をしたいという人や野菜を送ってくれた人もいます。
 被災当日からラジオを聴いていましたが、陸前高田市や広田町の情報はまったくありませんでした。市役所も機能不全に陥っていたんですね。被災地から情報発信することが大切だと思いました。

(ひろやす・教員)どのような仮設住宅ができるのですか? 他の場所では、車の駐車スペースの問題もあるようですが。

(村上さん)こちらの要望に沿って仮設住宅をつくることが決まったのは、4月下旬のことです。4月29日に着工し、6月末の完成を目指しています。
 2DKで26棟建設します。21~22世帯の人が入居予定です。私もその一人です。建設課の職員から必要な土地の面積を聞き出して、その倍の土地を確保しました。駐車場は1戸につき1台のスペースを確保していますが、建物の間を8メートル空けているので駐車場のことは心配していません。ただ、ウッドデッキなども置いて交流を進めたいので、決められた場所を駐車スペースにするつもりです。
 それから、12坪の集会所を作ることになりました。トイレ、湯沸かし、16畳の会議室です。災害救助法では50戸を超える仮設住宅地に集会所をつくることができると定めているので、マニュアル通りに進めると、小規模な仮設住宅地には集会所をつくることができなくなってしまいます。でも、長洞地区は、集会所が津波で流されてしまったので、どうしても集会所をつくる必要がありました。仮設住宅の入居者が使うだけではなく、地区全体の役員会もこの集会所で開くつもりです。集会所はなんとか出来そうですが、住民のコミュニケーションを図るために住宅の入口を向い合せにするという案は通りませんでした。本当は、間違って設置してしまったということにしてほしかったのですが(笑)。

(ひろやす・教員)仮設住宅建設後はどんな課題があるのでしょうか?

(村上さん)「仮設」ができたら、今度は「本設」をどうするかです。高台に家を建てるといっても新たに場所を確保できるか、それぞれの経済力の差をどうするか、という問題があります。今の仮設住宅を市や県に買い取ってもらって、公営住宅として提供してもらうのも一つの方法だと思います。
 せっかくこれまでコミュニティを守りたいということでやってきたので、しっかりと考えていかなければなりません。今までの生業だけではなく、漁業を観光に結び付けていくなど、三陸の復興のモデルケースになるような提案をしていきたいと思います。

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〔インタビューを終えて〕

大和田さんの話によれば、陸前高田市には11の地区があり、その中に116の町内会・自治会があるのですが、すでに転作組合や納税組合を解散してしまったところもあるそうです。市では、今後、住民アンケートをとったり、各地区を回って懇談をしたりしながら、市民と協働で復興計画を策定していく予定だということです。

長洞地区のように、地域コミュニティの力を活かしながら、行政に頼らずに復興活動に取り組んでいるところもありますが、すべての地区でそれができるわけではありません。村上さんのようなキーパーソンが不在の場合には、地区の外から復興を支援していく必要があるでしょう。

大和田さんからは、行社スピリットを発揮して、市の復興に学生の若さや柔軟な思考を活かしてもらいたいという申出を受けました。卒業生や在学生の力を結集して、被災地の復興を支援するような取組みをしていきたいと強く感じました。

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