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ガンバロウ福大!行政の「結」

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に端を発する東日本大震災をきっかけに、福島大学行政政策学類の教員有志でブログを開始しました。福大行政に関わる情報共有・情報発信の場として、このブログが、読者のみなさんとわたしたちの、また、みなさん同士の結節点になれば嬉しいなと考えています。一緒に手を携えて、この難局を乗り切っていきましょう。     (2012年3月26日記)

ひろやす、ウロコを落とす…鈴木典夫さんインタビュー

約1ヵ月ぶりの「ひろやすの部屋」の登場です。あの伝説の?ブログ記事、「『ぴた』と『ぺた』」以来、「ひろやすの部屋」は「封鎖」されていたわけではないのですが(現実の「ひろやすの部屋」は封鎖されているという話も・・・)、すっかりご無沙汰してしまいました。

今回は、福大に開設された避難所支援で中心的な役割を担った、鈴木典夫さん(地域教育論)に来ていただき、学生災害ボランティアについて語っていただきました。

******

<ひろやす> 典夫さんのゼミでは、毎週、保育園にボランティアに出かけているとか?

<典夫さん> ゼミでは、「被災地に行く、避難所に行く、避難者に接する」ことをテーマにフィールドワークをしています。授業開始の翌週には、新地町に行って、区長さんにお話をうかがい、津波で側溝に溜まった砂さらいをしました。相馬市原釜のみなと保育園には、子どもの遊びのボランティアでこれまで4回行っています。

<ひろやす> 保育園からボランティアの要望があったんですか?

<典夫さん> いえ、まったくのカンで行きました。みなと保育園とは、学生課職員のマクマイケルさんを通じて、福島大学から物資を送ったという関係はあったのですが、GWのときにいきなり訪ねたら、「はじめて人が来た」と言われました。教育機関である幼稚園はサポートが入っていましたが、福祉施設である保育園は後回しになっています。県の災害対策本部に福祉行政が入っていないことも原因かもしれません。

<ひろやす> 地震や津波で避難した人も多かったんですか?

<典夫さん> ええ。保育園は、海が目の前なので、津波が押し寄せ、園児たちは全員屋上に避難して、流されてくる船をただ黙って見ていたそうです。最初に訪れたときは、たまたま休日保育の日で、170人いる園児のうちの3人だけが通ってきていました。先週の段階で120人が戻ってきたようですが、まだ50人は避難したままです。そして、120人のうちの半数は、避難所や仮設住宅から通ってきています。

<ひろやす> 一緒に遊んでいて普通の子どもたちと何か違いがありますか?

<典夫さん> 先生たちの話によれば、どちらかというと元気な子が多かったようですが、避難先で友だちができないとか、遊びができないままに、2ヶ月間過ごしていて、ストレスを発散する場がなかったようです。

<ひろやす> どんな遊びをしていますか?

<典夫さん> 前回行った時には、着古した白いポロシャツを着て逃げ回る学生を園児たちが追いかけてサインペンで落書きを書くフリー・ペインティングをしました。ボディタッチやふれあいにもなります。あと、年長組は段ボールを壁に見立てて鬼ごっこをしたり、年少組は新聞紙をちぎってプールにしたりして遊びました。みんな大声をあげて、キャッキャッと騒いでいました。

<ひろやす> 楽しそうですね。

<典夫さん> ただ、ストレスを発散させて終わりではなく、最後に落ち着きを取り戻すことも大切です。フリー・ペインティングしたポロシャツを完成品としてみんなで見せ合います。新聞紙を散らかしたあとは、友だちと協力して片付けもします。子どもたちは瓦礫の山を見ているので、協力して片づければきれいになるんだよという、メッセージも込めています。まあ、これは大人の理屈かもしれませんが。

<ひろやす> 外では遊ばないんですか?

<典夫さん> 保護者からも放射能が心配だという声が上がっていて、外遊びをさせていません。ただ、そうすると、抑うつ的になったり、過度に発散したりという問題が出てきます。相双地域の放射線量は低いと言われているのですが、きちんとしたデータがないので、うちの保育園はどうなっているのか、砂場、園庭、水場はどうなのか、心配になっているんです。きちんと放射線量を測定することが大切です。

<ひろやす> ゼミでは今後もボランティアを続けるのですか?

<典夫さん> 先週、相馬保育園からオファーがありました。ボランティアには、うちのゼミの学生だけではな
、「福島大学学生災害ボランティアセンター」に登録しているメンバーも参加しています。

<ひろやす> 「福島大学学生災害ボランティアセンター」について教えてください。

<典夫さん> 今回の大震災をきっかけに、福島大学には避難所が設置され学生ボランティアが活躍しましたが、それ以外にもさまざまなボランティア活動が行われてきました。避難所ボランティアを始めとする災害ボランティアを継続的に行っていくために設立したのが、学生災害ボランティアセンターです。現在、150名ほどの学生が登録しています。

<ひろやす> ずいぶんと多いですね。みな福大生ですか?

<典夫さん> 桜の聖母短期大学や医療専門学校の学生など、福島大学以外の県北の学生も登録しています。実際に中心になって動いているのは30名ほどのスタッフです。これは、これまで福島大学の避難所を運営してきた学生、あづま総合体育館でボランティアをしてきた「ふくらぶ」の学生、そして学生支援や岩手宮城内陸地震をきっかけに設立された学生ボランティアグループ「key's」の学生が中心になっています。

<ひろやす> 既存の学生ボランティア団体を統合したわけではないんですね。

<典夫さん> それぞれの団体はこれまで通りに活動していきますが、バラバラやるよりはセンター化して企画をやったり、ニーズを発見したり、外からの情報を受け取り流したりすることが必要になってきます。福島大学が県北の核になって、いずれは、郡山、会津、いわきなど大学間でネットワークをつくっていきたいですね。

<ひろやす> 学生災害ボランティアセンターではどんな活動をしているんですか?

<典夫さん> 今のところは、他の避難所(あづま総合運動公園、郡山市ビックパレット)への支援活動や、さきほどの保育園でのこども支援などの被災地現場での復興支援活動が中心です。仮設住宅での支援活動、各種活動の協力、復興支援活動のイベント開催なども計画しています。当面の計画としては、7月上旬に、新地高校の生徒たちとビーチクリーニングをして、かつての美しい風景が再現できたらいいなと考えています。

<ひろやす> 活動資金はどうしているんですか?

<典夫さん> カンパで集めたお金が数万円あるので、活動費はそこから捻出していますが、交通費(ガソリン代)などはお互いに出し合っています。

<ひろやす> 大学からの補助などはないのですか? 他大学では大学の組織としてボランティアセンターを位置づけているところもあると聞きますが。

<典夫さん> 大学からの助成金などはありません。6,7年前に、大学としてボラセンをつくりたいという話をしたこともありました。でも、組織改革や業務分掌を伴うのでやりたくないということでした。いまは学生登録団体としての位置づけです。

<ひろやす> そうすると一番のネックは資金問題ということになりますね。

<典夫さん> そうです。個々の活動については資金を出してもらわなくてもよいですが、運営や企画に対する経費は出してほしいですね。学校が本来やるべきことをやらないのであれば、学生が学生をサポートすることに対する支援はあってもよいのではないでしょうか。

<ひろやす> 資金があれば実現できそうな企画というのはありますか?

<典夫さん> たとえば、夏休みに福大生がキャンプリーダーになって子どもたちを沖縄に連れて行くとか、他大学の学生と一緒にビーチクリーニングをやるとか。被災地の受け皿として、福大には他大学からは一緒にやりたいという要望がたくさん寄せられています。それに応えるためには、広い意味での「環境整備」が望まれます。

<ひろやす> 「環境整備」とは?

<典夫さん> 中越地震のときには、ボランティア学生に対する「授業についての特段の配慮」をお願いできただけで、学生のフットワークが軽くなりました。あっ、ボランティアに行ってもいいんだな、と学生が思ったのでしょう。あと、活動拠点をつくるとか、ネットワーク機材を整備するとか、ボランティアを存分にやってくれという条件を整えることが大切です。

<ひろやす> 学生からは、ボランティアを授業できちんと位置づけてほしいという要望がでています。大学では、ボランティアを「自己学習プログラム」として単位化する措置をとりましたが、これで十分でしょうか。

<典夫さん> ボランティアは一人ひとりの指導ができないので、授業での単位化には限界があります。150人がボランティアセンターに登録したように、ボランティア・アクションニーズはかなりあるでしょう。ボランティアをやる動機は人それぞれで、いま何もしなかったら、5年後、10年後に後悔するんじゃないかとか、精神衛生上よくないとかいう学生もいます。授業にするとかなり学生数は絞られるのではないかと思います。
自己学習プログラムだとそれぞれが活動できるので敷居が低い一方、災害補償・事故補償の問題や教育的誘導の問題は残ると思います。自己学習プログラムに参加した人は、年度末に懇談会を開き、お互いの経験を総括してみるのもいいかもしれませんね。

<ひろやす> なるほど。授業にするのは、ボランティアの自発性との兼ね合いも難しいですね。学生とボランティアとの関係でいうと、学生災害ボランティアセンター設立のきっかけとなった、福島大学避難所のお話を聞かせてください。詳しくは、避難所ブログで紹介されていますが、文科大臣も来学時には立ち寄るなど、相当話題になりましたね。

<典夫さん> 今回の大震災で、国立大学法人に避難所が設置されたのは、福島大学だけだったと思います。阪神淡路大震災のときもなかったかもしれませんね。

<ひろやす> 他の避難所と違って、大学に避難所が設置されることのメリットというのはなにかあるんですか?

<典夫さん> 一般的にいえば、「人がいること、情報があること、機能があること」でしょうか。でも、本当はそれがなければ避難所ができないとうことではなくて、なければつくっていくということだろうと思います。逆に、大学にそういうものがあったとしても、活かしきれるかどうかは別問題です。たとえば、今回は大学生協の食堂を使わせてもらったわけですが、それは生協に対して場所の提供を求めて、使い方のルールを決めて初めて実現することです。

<ひろやす> なるほど。それは機能だけではなく、人や情報についても同じことが言えるんですね。

<典夫さん> ただ、ヒューマンネットワークについては、強みがあると思いました。一人の教員から網目のようにネットワークができている。学会、研究会、プライベートも含めて、それはタコ足のようなつながりです。なにか発信すると、まったく知らない人から物資や情報が届けられる。これはすごいですね。災害対策本部などが一つのルートしかもっていないのとは違って、大きな強みだと思います。

<ひろやす> 大学での避難所運営には、典夫さんのこれまでの経験が活かされたのだろうと思いますが、とくに気をつけた点はありますか?

<典夫さん> 一つは「日常生活を確保する」ということです。福島大学の避難所に来られた方は、相双地域からバラバラに避難してきたので、コミュニティをつくることを意識しました。そのうえで、寝る場所、食べる場所、遊ぶ場所、勉強する場所、くつろぐ場所などを区分しました。体育館を一つの家としてとらえて、プライベートな空間を確保するとともにお隣とも交流できるようなスペースをつくりました。

<ひろやす> 他の避難所では必ずしもそのような配慮はできていませんか?

<典夫さん> 個人的には、避難所の規模は200~300人が限界だと考えています。あづま総合運動公園やビックパレットのような数百人、千人規模は大きすぎます。それに、どんどんと受け入れると、早い者勝ちでよい場所を確保してしまう。たとえば、テレビの前から埋まっていて、あとから来た人はテレビが見られない。あるいは、寝たきりのお年寄りの周りで、子どもたちが走り回っているとか。それで人間関係がギスギスしてしまう。

<ひろやす> 空間を分ける以外にどんな工夫がありましたか?

<典夫さん> 支援物資をマーケット方式にしたのもその一つですね。配給方式にすると、人数分揃わないと配分できなくなる。必要な物を必要な人がとっていけば、こんなバカなことは起こりません。日常生活と同じように、一つの街として、今日は買い物、今日は公園というかたちにしました。
5日目からは、お母さん方と一緒にご飯をつくりましたし、おばあちゃんたちには漬物を作ってもらいました。お父さん方は、図書館の本の整理とか物資の搬入とか。こうして日常生活を取り戻すことで、人間間の軋轢はだいぶ解消されたと思います。一度、メンタルヘルスの診察がされましたが、この避難所は誰も問題がないといってそれ以降は来ませんでした。

<ひろやす> ほかに留意した点はありますか?

<典夫さん> 「段階に応じた被災者とのつきあい」ということです。最初は緊急避難的に対応するけれど、つぎに日常生活を安定させる。そして個別ニーズに対応する、さらには、避難所生活が安定してくると一種の停滞感が生まれてくるので生活のアクセントをつける、といったことです。

<ひろやす> 個別ニーズに即応できた秘訣はどこにありますか?

<典夫さん> 常に「10日後に何をしたらよいか」を考えていたからだと思います。避難所を開設して5日後の3月20日の時点で、ランドセルの手配をしていました。学年に応じて、何がどれだけ必要か。裁縫セット、書道セット、ピアニカなどを必要な数だけピンポイントで集めていきました。だから、鉛筆や画用紙がやたらに集まるということはなかった。たとえば、女の子の服と言ったら送る側もイメージがつかないけれど、15歳の女の子の服というように限定して、ネットで流せば、それに見合うものが集まってきます。

<ひろやす> なるほどキメ細かいですね。そこに学生ボランティアはどのように係わっていったんですか?

<典夫さん> はじめは避難者の支援というよりも、学寮や金谷川に残った学生の支援でもあったんです。大学に来れば食べるものがあるから生協に来ないかって。でも、どんどん避難所への協力そのものが自発的なものになっていきました。
普通は、ボランティアは個人的な係わりをもたずに一定の距離を保つのですが、僕は、学生に対して避難所に来た人と積極的にコミュニケーションをとるように勧め、プライベートな空間にも係わらせました。学生ボランティアも避難所の中で寝泊まりして距離感を近くしていった。その結果、学生の方から、「だれだれさんがどうこう」という情報があがってきて、個別のニーズや問題を把握することもできました。
避難所にいた方々が、4年生のために卒業式を開いてくれたり、ポケットマネーを出し合って贈り物をしてくれたりという交流もありました。学生も楽しみながらやっていたのではないかな。

<ひろやす> 学生だからこそできたということもありますか?

<典夫さん> われわれ大人がいろいろ計算づくでやるのと違って、学生は開放的な付き合いができるというのは利点だと思います。ただ、学生に対しては、被災者であることは忘れてはならないということは徹底しました。気をよくしてやってくれているからといって勘違いしてはダメだよ、ということです。だから、「避難者」とは呼ばないで、「利用者」「こっちに来ている人」「○○出身の人」などと呼ばせるようにしていました。

<ひろやす> GW明けに大学の授業が再開するため、4月末に避難所は閉鎖されましたが、そのことについてはどう考えていますか?

<典夫さん> 本来であれば、仮設住宅までのつなぎをすべきであったと思いますので、本意ではありませんでした。ほとんどの学生も反対していました。
福島大学の避難所に来るまでに、3か所も避難所を転々としてきた方もいます。学校の避難所が閉鎖されて、避難所を転々とする「ジプシー行動」は望ましいことではありません。災害というのはいつ起きるのか時期を選びません。春休みや夏休みでなければ、大学に避難所を開設しないということにはならないでしょう。授業が始まるから避難所を閉鎖するというのとは別の選択肢もあったと思います。避難所から仮設住宅へという思いは貫きたかったですね。

<ひろやす> 避難所の閉鎖は本当に残念でしたが、今後の経験として活かしていかなければいけませんね。

<典夫さん> そうですね。学生自身もそうですが、避難所開設によって教員や職員の意識が大きく変わったところに意味があったと思います。

<ひろやす> 福島大学に避難していた方々とのつながりはまだあるのですか?

<典夫さん> 避難所を出るときに、次の避難先や携帯の連絡先を教えてもらっているので、連絡をとることは可能です。また、何人かとは電話でのやりとりもありますし、福島大学に遊びに来る人もいます。避難所で同窓会でもやろうかという話も出ています。みんなで箱根の温泉に行きたいって話をしているんですよ。

<ひろやす> ぜひ実現するといいですね。今日は長時間ありがとうございました。

*******

〔インタビューを終えて〕

大震災発生以来、典夫さんはまさに「水を得た魚」のように大活躍されています(けっして普段はイキイキしていないということではありませんが)(笑)。避難所での典夫さんの実践はまさにプロの技を見ているようでした。

今回のインタビューでも、夜室長は目から何枚も鱗が落ちました。

これまでのように他の地域に出かけて行って災害ボランティアを行うのとは違い、被災地福島においてさまざまなニーズに応えたり、他地域からのボランティアの受け皿になったりすることも求められます。

大学としては、学生のボランティア活動を支援する体制や環境整備を積極的に進めていくことが重要だと感じました。

コメント

福大の皆様、本当にお疲れ様です!
私は、今回のブログに登場されていた典夫先生のゼミOBで、県の社協職員の者です。
今回の震災からすぐに、県社協が中心となり県災害ボランティアセンターが立ち上がりまして、今は浜通りの災害ボラセン中心に職員が派遣されています。私も新地町にGWの1週間と、その後の土日に現地入りして、スタッフとして活動しております。実は今週もで、相馬市原釜のホテルに滞在中という状況です。
実は3週間前の土曜日にもスタッフとして入りまして、そのときに典夫先生が学生を連れていらっしゃったんです!
ゼミ生もいれば学生ボランティアの方もいる。。
胸に熱いものを感じました。なぜなら、中越地震から「福島大学震災ボランティア」として生まれた活動が、時を経てもこうして繋がっている…そのように強く思ったからです。
私たちが作り上げ、後輩達に託した取り組みは、確実に育ちながら進んできたんだ… 本当に感慨深いことです。
自分も微力ながら、自分を育ててくれた福島の復興のために、できる限りのことをしていきたいと思っています。それと同じ思いで日々の活動に取り組んでいらっしゃる先生方や後輩達に、エールを送らせていただきたいと思います。
共に進んでまいりましょう…!!

  • 2011/06/12(日) 00:00:23 |
  • URL |
  • 典夫ゼミOBのとある県社協職員 #-
  • [ 編集 ]

新地町プロジェクト??

典夫ゼミOBさん、コメントありがとうございます。典夫ゼミをはじめとして多くのOBOGが活躍されているのですね。学類教員としてとても心強く思っています。
ちょうど中越地震のときにボランティアに関わったのでしょうか?ブログでも取り上げように、そのとき学生ボランティアから学習支援を受けた中学生が今年度福大に合格し、福島にボランティアに来てくれました。なんだか因果は巡るというか、不思議な縁を感じます。
ボランティアの流れは脈々として受け継がれ、発展し続けているようですね。昨日開催された、「東日本大震災災害復興シンポジウム」では、典夫先生が、「福島大学における避難所開設と被災者支援」というテーマで報告されていましたが、そこで流されたビデオは感動的でした(あとで正式にアナウンスしますが、Ustreamで見ることができます)。
これから、福島大学からいろいろなボランティアの動きが起きてくると思います。その中には、新地町での極秘プロジェクト?もあります(こんなことを書いたら極秘でもなんでもないですね)。典夫ゼミOBさんにもお世話になることでしょう。どうぞよろしくお願いいたします(ついで、ブログ記事も書いていただけると嬉しいです・・・笑)。

  • 2011/06/12(日) 12:41:33 |
  • URL |
  • 夜室長により #-
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  • 2011/07/03(日) 03:16:47 |
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