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ガンバロウ福大!行政の「結」

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に端を発する東日本大震災をきっかけに、福島大学行政政策学類の教員有志でブログを開始しました。福大行政に関わる情報共有・情報発信の場として、このブログが、読者のみなさんとわたしたちの、また、みなさん同士の結節点になれば嬉しいなと考えています。一緒に手を携えて、この難局を乗り切っていきましょう。     (2012年3月26日記)

いまここで、憲法を考えるということ

昼の震災対策室からこんにちは、しみず@ブログ庶務担当です。

リレー日記、今度は金井さんの登場です。

金井さんにも、「『震災』と『憲法』」というテーマで記事の執筆をお願いしたところ、「いまここで、憲法を考えるということ」というタイトルの記事を寄せてくださいました。

金井さんの見解を踏まえ、皆さん自身が、自分の問題として、「いま、ここで憲法を考えるということ」に思いを馳せてみてください。

それでは、金井さん、よろしくお願いします。


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「いまここで、憲法を考えるということ」


こんにちは、金井@憲法です。授業開始初日の「憲法Ⅰ」の担当です。

ひろやす室長から、「憲法記念日もあったことだし、憲法学者なんだから今回の震災と絡めて憲法について何か書きやがれっ!」と脅迫を受けたので(←ウソです)、ちょっぴり、みなさんに憲法について考えてもらうきっかけとなる話でも書こうかな、と思います。

                    §
5月3日、日本国憲法施行後64回目の誕生日を迎えました。
現行憲法はその誕生時からはじまって幾多の困難に遭遇してきましたが、その度に苦難を乗り越えて、大日本帝国憲法よりも長生きしてきました。

いま再び、日本国憲法は、大きな試練に立たされています。
2011.3.11.の東日本大震災と、2001.9.11.アメリカ同時多発テロの首謀者と見られる人物の殺害の中で迎えた憲法記念日に、「危機と安全」という観点から日本国憲法が問われています。今年も例年どおり、全国各地で憲法に関する集会が開催されて多くの参加者で賑わったそうですが、やはりこのテーマに関心が集まったようです。
保守的改憲派の人々はここぞとばかり、緊急事態に備えていないという点を衝いて日本国憲法を非難します。反対に、護憲派の人々は、日本国憲法の可能性に賭けています。
たしかに、憲法も人間が作ったものである以上、なんらかの欠点もあるものでしょう。「不磨の大典」ではないのですから、主権者による民主的創造物としての本当の意味での「改正」であるならば当然認められるものでもありましょう(そのことは憲法自身が認めていることです)。しかしそれは、現行憲法の理念や原理を一層実現し促進するための進歩的改良のためであって、退行や改悪のためではありません。

いまここで、緊急事態であるからこそ冷静に見つめなければならないのは、今回の悲劇を生んだ原因はなにか?という点です。きっかけは天災といえども、その後の被害の拡大と後手後手の対応による悲劇は人災以外の何ものでもありません。
日本国憲法は普遍主義にもとづいて、基本的人権の尊重、国民主権(民主主義)、平和主義を謳ってきました。本来であれば、戦後60年この国は、この理念に則り、民主的対話を基調としつつ、個人の尊重および幸福追求権(13条)と平等(14条)や生存権の保障(25条)にもとづいて平和な社会を築いてくるはずでした。憲法学をかじった人なら百も承知でしょうが、近現代的意味の憲法とは、人権に裏打ちされた主権者の権利自由を保障し実現するために、公共サービスとしての公権力(とその担い手である公務員)を義務づけ統制する法です。国民のために国家が実現すべき理念を記した社会契約的文書なのです。
しかしながら、この憲法をハナから嫌悪し軽んじて単なる政争の道具として扱い、その理念から逸脱する路線を押し進めてきたのは他ならぬ従来の政府・与党でした。

憲法にかりに緊急事態の規定がないとしても、それが問題なのではありません。
平時から憲法の理念に沿って個々人を尊重する真に平和で幸福な国家を建設する政策を怠ってきたツケと、その理念に沿った震災対応と被災者支援を迅速かつ適切に行ってこなかったツケが、今回の災難を一層の悲劇にした原因でしょう。
時々の支配的権力者層が自分たちのそういった怠慢を棚に上げて、感情論的にすべて憲法のせいにするなどということは破廉恥極りない。感情は大切です。すべては感情から始まるのですから。しかし高ぶる感情だけに流されて冷静かつ合理的な判断力を失い、下からの多様な見解を無視するような中で、保守的改憲だけを叫ぶのは危険です。しかもその叫びは国民(特に少数者)の声を疎外した上からの一方的な声であることがしばしばです。かつての戦争に向かった日本もナチスの台頭も、いわば「緊急事態の対処」の名目で国民に優しい顔をしてエセ科学的に現れてきた歴史的事実を忘れてはなりません。
実際に、「緊急時に私権の制限ができないから避難や対応策の徹底もままならない」とか「個人主義だからみんなワガママ勝手し放題でダメだ」として、憲法上の権利の制限を国民に義務づけるための改憲を提唱する人もあるようですが、憲法学を学んだみなさんは、言うまでもなく、こうした発想の根本的なおかしさに気づくはずです。むしろ危機にある時にこそ、デマや一面的な情報に踊らされて一時的な感情に流されるのではなく、自覚的に冷静に物事を熟慮するように努めなければなりません。そして多様な見解に耳を傾け、応答責任を全うしつつ民主的に物事を決めていかなくてはなりません。そうしないとお上の独断的な決定により最悪の事態を招来してしまうことになりかねません。

現行憲法の枠内でも、災害対応についてやれることやるべきことはたくさんあります。
個人の尊重と生存権にもとづく被災者支援は言うに及ばす、地方自治にもとづく被災地の行政的措置、労働権・職業選択の自由にもとづく失業対策、学問の自由・大学の自治にもとづく大学の授業開始等や震災/原発研究、思想・表現の自由にもとづく過度の自粛への批判や行政情報公開、そして自己決定権にもとづく自己の生の実現…、等々。
日本国憲法には人類の叡智を結集した法権利がほぼ網羅されており、新しい人権も憲法13条で認められることからすれば、不充分なものでも欠陥だらけでもありません。今回のような災害についても、民主的な対話を通じた、憲法上の権利と公共の福祉との適切な調整のうちできちんと対応することが可能なのです。むしろ問題は、憲法や憲法学の本を真面目に読んだこともない人(政治家?)が多い、ということのほうではないでしょうか。

僕は、憲法学者としてという以前に、ひとりの常識的な(と思っている)人間として、順番としてはまずは現行日本国憲法を熟知し血肉化し、その可能性を最大限に実現することが最優先なのではなかろうかと思います。まずは手元のものを使いこなし、使い切ったうえで、その不備や欠点を考えて補う、というのが筋だと思います。「憲法が悪い、まず改憲ありき」では、自分の足りなさを周囲のせいにする、だだっ子のようです。

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。…日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」(憲法前文)

こう謳う日本国憲法は、防災防犯も含めて、全世界のこれまでの教訓を踏まえた、世界に誇るべきすばらしい贈り物(世界から日本への/日本から世界への)なのだと思います。
みなさんはどう考えますか?そして、どう行動しますか?
僕も人間として、憲法学者として、福島大学行政政策学類教員として、大学の内部にあって僕なりの仕方で、憲法の理念を実現できるように、三者自治に則って学生のみなさんとともに歩んでいきたいと思います。
一緒に考えていきましょう。幸福とは、自分たちで創り上げていくものなのですから。

いま、民主主義と日本国憲法が、そして、みなさんが試されています。
                    §

―― ちょっと真面目な話になってしまいました。。。
これもすべて、ひろやす室長の脅迫のせいです(笑)。

最後に気分を変えて、少しばかり、ちょいとイイ話を。
かつて指導した学生でいまは障がい者職業カウンセラーとして活躍している人から、福島のことを心配して先日連絡があったのですが、その際、新たな赴任地が福岡県に決まったという報告を受けました。
その人は関東出身者なのですが、大学で福島県に来て、今度は福岡県…。
「次の転勤先は、『福』つながりで福井県かな?」などと冗談を返しておきましたが、僕は内心なんだかとってもうれしくなりました。元福大生が社会で一生懸命がんばっているということはもちろんですが、福島と同じ「福つながり」という点で。

だって、「福」は幸福の福なんですから。


すべてのみなさんに、Rechtの祝福がありますように☆

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