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ガンバロウ福大!行政の「結」

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に端を発する東日本大震災をきっかけに、福島大学行政政策学類の教員有志でブログを開始しました。福大行政に関わる情報共有・情報発信の場として、このブログが、読者のみなさんとわたしたちの、また、みなさん同士の結節点になれば嬉しいなと考えています。一緒に手を携えて、この難局を乗り切っていきましょう。     (2012年3月26日記)

そうだ、京都、行こう。(後篇)

夕方の震災対策室からこんばんは、オレンジ・やきのりです。

お待たせしました、「そうだ、京都、行こう」後篇が夜室長から届きましたので掲載します!

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「そうだ、京都、行こう。」後篇では、講演会の様子を、夜室長のコメント付きで紹介していきましょう。


会場になった6‐001教室は、300人は収容できそうな長方形の緩やかな階段教室。佛教大学では、5時限目は16時10分から始まるようで、16時を過ぎると徐々に学生が集まってきました。新入生歓迎企画ですが、授業のない2年生以上の学生も参加してくれたようです。

16時10分になると、なんと授業開始のチャイムが鳴りました。しかも、厳かなメロディ。今回の訪問で唯一、佛教系の大学であることを感じさせる一幕でした。

まずは、司会の学生さんによる新入生歓迎企画の趣旨説明があり、ついで、社会福祉学部長の植田章先生からのご挨拶がありました。植田先生は穏やかな口調で、今回の講演会をきっかけとして、この国の政治のあり方を考え欲しいという期待を述べられました。


そして、いよいよ最初は、のりのり、いや、わるのり、いや、やきのり先生の登場です。

やきのり先生の講演タイトルは、「メディアでは語られない(?)こと~福島の実情と行政政策学類の取り組み~」です。

事前に配布された自己紹介の文章は、「授業再開後は、震災対応業務と通常業務のハザマでもがき苦しむ日々(?)を送っています」とか、けっこう柔らかめですが、講演の内容はいたって真面目。大学の授業もこんな風なんでしょうか?(笑)

清水さん報告
[トップバッターのやきのり先生、いつもと違う?]

さて、講演は、東日本大震災の概要、福島県の被害の特徴の話から入り、3.11後の福島市の状況の推移が、写真とともに詳しく紹介されました。なかには、「平成の泉」で試飲する夜室長の写真もあったりして、思わず赤面してしまいました。

その後は、行政政策学類の取り組みが、①学生支援、②教員支援、③避難所支援、④地域支援の4点にわたって説明され、これまでの反省点や課題が語られました。対策室の中心メンバーだけあって、簡潔で要領を得た説明でした。夜室長の人選に間違いはなかったですね(笑)。

反省点・課題としては、支える人間には余裕が必要であること、教員間や学生間に情報格差があったこと、大学の意思決定に学生が関わる視点が不足していたことなどが語られましたが、この間、一緒に震災対策に取り組んできた者として大いに考えさせられました。

さらに、学類の特徴を活かした「復旧→復興」のプロセスが、具体例ととともに語られ、大震災以来、さまざまな地域や国の人々から受けた物的・人的・精神的な支援が行政政策学類のエネルギー源となっており、それらを活かして、学生支援、地域支援などを行い、「支援の循環」を実現していくことが重要だとの指摘がありました。

最後に、やきのり先生から、佛教大学の学生さんに対して、①自分も当事者として大震災の問題を考えてほしい、②情報を知り共有すること、そして、自分とは異なる意見を知ることが大切である、③過度に自制するのではなく余裕をもって支援することが必要である、との問いかけがなされました。

真剣な学生さん
[参加した学生さんはみな真剣そのもの。]

松波さんと木村さんの報告につないでいく講演としてぴったりでしたが、唯一問題は、持ち時間をオーバーしたことでしょうか。30分しか時間がないのに、パワーポイントのスライドが39枚もあるのですから、時間が足りなくなるのは当然です。一回も予行演習をしないからこうなるんですよ。反省してくださいね!


次に登場した松波さんの報告タイトルは、「福島のこどもたちの『いま』」。

商業高校教諭をめざしているのに、福島での採用試験中心という問題に直面している松波さんからは、広島県から福島県に引っ越してきたときに感じた「違和感」と、教育実習を通じて垣間見た相双地区のこどもたちの「いま」について語られました。

松波さん報告
[多くの聴衆を前にして堂々としたものですね。]

夜室長も初めて知ったのですが、松波さんは、お父さんの仕事の関係で、愛知県、広島県(広島市の隣の海田町)で暮らしたことがあるそうです。広島の小学校・中学校時代には、「反原子力」「反原発」という教育を受けたのに、福島に引っ越してきたら、「原発はまちを豊かにするもの」と教えられ、大きな違和感を覚えたが、友人の多くが東京電力やその関連会社で働くという環境の中では、それを口に出すことができなかったとのこと。

相双地区の経済が原発で支えられてきたという知識はありましたが、高校卒業後、原発関連の仕事に就いて二十歳になる前に新車の外車を乗り回しているのが珍しくない、という松波さんの話はリアルで心に響いてきます。

ついで、教育実習での経験が語られました。彼女は、母校の小高商業高校が避難区域に指定されたため、そのサテライト教室の一つが置かれている福島商業高校で教育実習をしたそうですが、そこで厳しい現実を目にしました。ほとんどの生徒たちは私服や中学校の制服のまま。間借りしている教室に書かれた今週の目標は、「存在を消す」。

松波さんは、この目標を書いた生徒にその真意を聞いたそうですが、サテライト教室でも避難所でも自分自身の身の置き場がなく、できるだけ目立たないように存在を消してしまいたいと、語ったそうです。

進路をあきらめ、勉強に身が入らない生徒さんもいるそうで、夜室長は、本当に悲しい気持ちになりました。

最後に、松波さんからは、かりに原発を誘致した福島県民が加害者だと指摘されることがあったとしても、子どもたちに何の罪はないこと、そして、原発事故が「人災」だからといって誰かを糾弾するのではなく、福島のために自分が出来ることは何かを、日本人として考えていきたいと語りました。

一緒に銀閣寺に行ったときに、東山をわたる涼風に触れて、これからどういう暮らしをしていくべきか、どう生活していくべきかを考えたそうです。「向月台は、ぷっちんプリンのように作るのでは?」なんて会話していた、やきのり&ひろやすとは、月とスッポンの差がありますね。お恥ずかしい。


いよいよトリは、木村さん。木村さんは、院生自治会長として、この間、学生諸団体の意見をまとめて、学長との交渉に当たってきましたので、その話かと思っていましたが、報告タイトルは、「飯舘村の現状 私ができること」。2009年以降、飯舘村の地域づくりにかかわりながら、院生としての研究活動を進めてきた経験や思いが語られました。

木村君報告
[木村さん、ちょっと緊張気味?]

話は、まずは飯舘村の紹介から始まりました。人口・世帯、地理などの概要、過疎・高齢化に悩む中山間地域であること、この20年間にわたって住民主体の地域づくりが展開されてきたこと。飯舘村の名前を初めて聞く学生さんにも、飯舘村のことを知って欲しいという木村さんの気持ちが伝わってきます。

そして、話は、木村さんが飯舘村のS地区(スライドでは、実名がでていましたが(笑))に入って、地域の活動を体験しながら学び始めたこと、「福大までいプロジェクト」を立ち上げて、福島駅前でS地区の方々と協働しながら物産を販売したことなど、実践的な取り組みが紹介されました。

そして、これから「までい」な地域づくりを進めていくという矢先に、今回の大震災、原発事故が起こり、生活基盤そのものが崩壊させられてしまったのです。木村さんは、飯舘村のボランティアを続けながら、村民の方々から聴いた言葉を紹介していきました。

「死の大地になってしまった。おれたちが作りたかった野菜じゃねぇ。だれも欲しがらない。」「こんな村には二度と戻りたくない。でも、こんな状況だからこそ村を守らなければ。」「子どもたちにどんな親の背中を見せてあげればよいのか・・・」等々。

いろいろな思いが去来して、木村さん自身もうまく言葉にならないようでしたが、これからの暮らしにどう向き合っていけばよいのか葛藤する村民の気持ちは、学生さんにも伝わったのではないでしょうか。

最後に、木村さんからは、村民が人間不信に陥っている中で、学生としてできることは何か、という問いかけがありました。木村さんは、徹底的に寄り添うこと、無理に押し進めるのではなく、一緒に歩んでいくという「までい」な取り組みこそが必要ではないか、具体的には、学生間や行政・NPOとのネットワークをつくって、地域の人の声を大事にしながら支援をしていきたいという決意が表明されました。


と、ここで、授業終了のチャイムが。どうも3人とも仲良く時間をオーバーしたようで、まだ質疑応答が終わっていないのに、講演会の終了の時間になってしまいました。事前打ち合わせはなんだったんでしょうね??

あわてて一同壇上に上がり、一つだけ質問(「どういうことが支えになりましたか?」)を受けて、質疑応答は終了。実行委員会の皆さん、本当にすみませんでした。引率者として心からお詫びいたします。

一同壇上へ
[一同壇上へ]


でも、佛教大学の学生さんはやさしいですね。

ここで、サプライズ。なんと、松波さん、木村さん、やきのり先生の3人に花束贈呈です。

花束贈呈
[あわてて写したらピンボケに。]


そして、もうひとつサプライズが。“We are the world”の全員合唱です。

言うまでもなく、アフリカの飢餓と貧困の解消を目的につくられたキャンペーンソングですが、

「人々が死んでゆく
 いのちのために手を貸す時がきたんだ
 それはあらゆるものの中で最大の贈り物」

「見放されてしまったら、何の希望もなくなるものさ
 負けたりしないと信ずることが大切なんだ
 変化は必ず起こると確信しよう
 僕らがひとつになって立ち上がればいいんだ」

という歌詞が心に響いてきます。神さまも仏さまも関係ありませんね!

みんなで合唱
[みんなで合唱]

合唱する実行委員会
[合唱する実行委員会]


かくして、講演会は無事に(といっても時間は大幅に超過しましたが)、終了しました。

講演会が終わって
[控室にもどって、ほっと一息。記念撮影。]


その後、実行委員会の学生さんや社会福祉学部の先生方とご一緒に、「思風都(シーフード)」という障がい者の方々も働いているレストランに行って、懇親会。

佛教大学の学生さんもぜひ福島大学に来たいという希望が出されたり、京都にいる県外避難者の支援を手伝いたいという申し出が出たり、懇親会は大いに盛り上がりました。

夜室長は、「記録係」の任務を終了して、大いに飲んで語ることに専念したので、写真はありません。悪しからず。


でも、「記録」にはなくても、仏さんチームの「記憶」には残っているでしょうから、最後に、佛教大学の講演会に参加しての感想をきいてみたいと思います。

夜室長としては、佛教大学の学生さんや先生方が真剣に被災地の支援のことを考えて行動してくれていることに大いに元気づけられましたし、これまで自分たちがやってきたことを振り返るよいきっかけになったと思います。

また、被災地の中にいて考えていることと、外から見えていることは異なりますから、大学関係者だけではなく、さまざまな方々と交流する中で、これから自分たちが何をすべきかについても次第に見えてきたように感じました。


講演・報告した3人はどうだったかな。

まず、松波さんからどうぞ。

今回は非常に貴重な経験をさせて頂きました。今まで、県外の人に震災のことを話した経験がなかったので、福島をどのように見ていたのか、どのような感情を持っていたのかを知ることができたというのが、とても大きいです。

佛教大学の学生さん、先生方、それから、宿のオーナーや銭湯の常連さん、タクシーの運転手さんなど、旅先で出会った人々からいろいろな話を聞くことができ、私自身も多角的な視野から震災を考えることができました。

それは、決して良いものだけではなく、いわゆる「偏見」を含むものもありましたが、多くの人々が福島県を心配してくれており、今後の人間の在り方を考えていたように感じます。

そして、触れ合いの中で、私が感じたことは、もっと日本全体、さらには世界全体で今回の複合型災害を考えていけたらいいのにな、ということでした。

浜通り、中通り、会津。

それぞれ特色の違う福島県だからでしょうか。福島県の中にも、浜通りは加害者だと言うひとがいます。昨日も、帰りの新幹線の中で、「福島原発と言わずに浜通り原発と言ってほしい」と福島市の方が言っていて、悲しい気持ちになりました。

もちろん全ての福島県民がそうではありませんが…学内で過ごしていてしんどいことが多々あります。もっと、多くの人々で考えていくことが、これからの社会には必要なのではないでしょうか。

社会福祉を学ぶ学生さんたちは、自分の専門分野からこれからの未来を考えることを約束してくれました。

私自身も、教育に携わることを目指すものとして、これからの未来を考えていきたいと思います。


次に、木村さんどうぞ。

6月24日に佛教大学で開催された「わかっていないことってなんだろう~メディアでは語られない福島の真実~」で、計画的避難地域に指定された人々の状況と、私が聞いた地域の声を佛教大学の皆さんにお伝えしてきました。

言いたいこと、伝えなければならないことなど様々な想いがあったのですが、うまく話すことができず後悔が残ります。今思えば「哲学の道」で起きた、ドン引きするほどの大転倒がその前兆だったと確信しています。

しかし、私にとってこのような他大学との交流、意見を話し合う場は、「自分に何ができるのか」、「何をしたいのか」を考える大きな一歩でした。まずは、自分の様々な想いの整理をするということを焦らずにやってみたいと思います。また、佛教大学の皆さんも、清水先生、松波さんの話も聞いてこのように感じてくれたら幸いです。

講演後には佛教大学生とのおいしい海鮮料理をいただきながら親睦会を開いていただきました。特に企画準備をしてくださった中心メンバーの一人、末原くんとお話することができました。全然お話ができずに終わってしまった学生も多くいましたので、是非また機会を設けて話せたらと思います。(せっかくの交流会のなか一人反省会みたいになってしまいすみませんでした!!)

最後にこのような機会をくださった藤松先生、実行委員の佛教大学の皆さん、講演に来てくれた皆さん、大変お世話になりました。ありがとうございました。今後とも連絡を取り合って考え何か行動ができればと思います。


最後に、やきのり先生、バシッと締めてくださいね。

今回、佛教大学社会福祉学部の新入生歓迎企画で講演するというお話をいただいてから、「どのような報告をすればよいだろう」と日々考えていました(考えすぎて、当日になっても準備が終わらなかったわけですが・・・)。

そもそも、3月11日に福島に居なかった私が講師として適任なのだろうかと思い悩む日々もありました。当日は、3.11後の福島市の状況と、3.11後の行政政策学類の取り組みを報告し、自分の経験を通じて感じたこと、これまでの取り組みの問題点と課題をお話しましたが、これは、「自分が何かを伝えられるとすれば、それは自分自身の経験だろう」という考えに基づいてのものです。

福島の現状と私自身の経験を共有してもらい、私(ないし学類)の行動の問題点を一緒に考えてもらい、私の価値観が学生の皆さんの価値観と異なる場合にはその相違点を意識してもらうことを、報告にあたっては心がけていました。ただ、実際には、持ち時間を大幅にオーバーしそうなスライド量だったので、どこまでそれが実現できたのかは心許ないですが…

それでも万一その試みが成功していたとすれば、今自分にできること、今自分がすべきことを、各々の学生さんが見つける契機くらいにはなったのではないかと考えています(実際に、講演会後の懇親会の場では、「京都の佛教大学の社会福祉学部生だからこそできること、すべきこと」を真剣に考えてくれている学生さんたちと交流することができました)。

今回の講演会を通じて、佛教大学の学生さんに、今後、福島、福島大学、そして行政政策学類とつながるきっかけを掴んでもらえたら、本当にうれしいです。このブログのテーマでもある「結」を通じた情報の共有・発信、そして人と人との交流・議論は、何よりも復興のパワーになります。今回の企画が種まきだとすれば、まいた種が芽を出し、つぼみを膨らませて花を咲かせていく姿を、私も、皆さんと一緒に支えていきたいと考えています。

P.S. 私自身、今回の京都行において、学生さんたちとお話したり、猛暑の哲学の道を散策したり(苦笑)、夜室長のイビキを聞きながら瞑想したり(爆)する中で、色々と自分自身を見つめ直すことができました。佛教大学の藤松先生、新入生歓迎企画実行委員会の学生の皆さん、このような機会を与えていただきありがとうございました♪
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