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ガンバロウ福大!行政の「結」

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に端を発する東日本大震災をきっかけに、福島大学行政政策学類の教員有志でブログを開始しました。福大行政に関わる情報共有・情報発信の場として、このブログが、読者のみなさんとわたしたちの、また、みなさん同士の結節点になれば嬉しいなと考えています。一緒に手を携えて、この難局を乗り切っていきましょう。     (2012年3月26日記)

仮設住宅での大カラオケ大会‼-葛尾村斎藤里内仮設

 こんにちは。ぴたです。
 ぴたのゼミでは、震災以降、いろいろな仮設で、それこそ様々なイベントを開いてきました。
 一躍有名になった足湯活動もやりましたし、仮設のみなさんと弁当を一緒に食べてお話ししたり、たい焼きを焼いてお配りしたり、さらには、プランターと野菜苗をセットにして配る「緑のカーテンプロジェクト」などもやりました。

 こんな言葉を聞いたことがあります。

 「放射能が降って避難生活を送ることになるなんて、考えたこともなかった」。

 本当にそうだと思います。
 そう話をしてくれたのと同じ方は、こうもおっしゃっていました。

 「自分が大学の先生と熊本大学に行って、大学生や先生の前で話をすることがあるなんて、考えたこともなかった」。

 この方には、僕のお願いで一緒に熊本大学に行っていただき、二人で「今の被災地」について、お話する機会がありました。
 こうもおっしゃっていました。

 「ときどきこんな思いもしなかった機会をもらえる。だから、いろいろあるけど、いいんだ。ありがたいことだな…」。

 どんな思いでこういう話をされたのか、今でも時々、考えることがあります。

 「避難生活」も「熊本旅行」も、この方にとってはどちらも、「想像もできないようなこと」、だったのでしょう。
 でも、感謝したくなるような「想像もできなかったこと」、ってのがあるのか、と、そのときはっとしたことを覚えています。
 「旅行」のような小さなことでも、心から喜んでくれる人がいる。ぴたにはそのことが驚きでした。

 その後、仮設のみなさんにとって、「想像もできなかったほど楽しい経験って何だろう」、と考えるようになりました。避難生活のような悲しい体験ではなく、旅行のような楽しい体験をしてもらいたい、それも「想像もできなかった」くらい。

 そんな体験をしてもらうことが、学生と僕でできるのだろうか?いや、難しいことはわかっています。でも…
 ない頭を絞って思いついたのが、「ダンス」でした(2015年度)、笑!

 新入生を半分騙して(「大学生になったんだから、ダンスくらい踊れなければなりません!」)ダンスを練習し、新入生ゼミでは、アルゴリズム行進から、妖怪体操第一、恋するフォーチュンクッキーを徹底的に練習し、男子学生には特にプリキュアを学んでもらい、仮設住宅で披露しました。仮設の皆さんにはとても喜んでいただき、そのお返しに、盆踊り「葛尾川」を教えてもいただきました。仮設の方のなかには、涙を流しておられた方もいました。少しは、目的に近づいたのかもしれません。

 「ダンス」の翌年、2016年度はどうしよう…またまた、ない頭を絞っていた時に、4年生くん(櫻井君、さく)から発言がありました。

 「カラオケ大会がいいんじゃないか」。

 うん、それいい!
 ぴた選曲で学生さんが歌う(学生さんには選択権なくて、すみません、フフフ)。
 仮設の皆さんにも加わっていただき、できればデュエットも…。
 今年はこれに決めました。

 7月8日(土)。
 学生手作りのカレー、みんなで作った柏餅、仮設の方々の手になるごんぼっぱもちを食べながら、大いに盛り上がりました。

からおけ1
大カラオケ大会、開始!トップバッターは緊張する…

kashiwamochi2016.jpg
柏餅づくり

karaoke2.jpg
最後は学生と永沢さんのデュエットでした

 驚きました!新しい発見も。
 学生は意外と歌、ヘタなんじゃないかなあ…。
 仮設のおじいちゃん、おばあちゃんの歌は、うまい下手を超えたところに価値があって、本当に味がある!
 男子学生はおばちゃん歌手の、女子学生は若手女性歌手の歌が合っていて、おじいちゃんおばあちゃんは、なんでも合う!
 大泉逸郎の「孫」なんて聞いたの、何年振りだろ…それも言い出しっぺのさくが歌ってました、笑。

 仮設住宅でおじいちゃんおばあちゃんとカラオケ大会を共催するなんて、学生も「考えたことなかった」でしょう。
 葛尾のみなさんにとっても、考えたこともなかったほど、楽しい時間を過ごしてもらえたかなあ。

 さて、来年の1年生には何を仕掛けるか…またまた考えます。
 ぴた
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福大×上智大=??Part 4 フィールドワーク③震災後の食と農―福島でのキムチづくりを通して(福島市松川町)

 こんばんは。毎晩出てくるぴたです。
 以前、インフルエンザをこじらせて、蓄膿症になってしまったことがあります。
 鼻がいつも詰まっていて、気分がいつもなんとなくすぐれない、嫌なにおいのする鼻水がでる、頭痛い、と悪いことづくめです。そのうえ、何か月も抗生物質を飲まなければならず、鼻の中に変な棒を突っ込まれたりして…
 半年以上も治らずにこんなことを繰り返していたところ、ある日、ジャムづくりをしていて、桃ジャムの炊ける湯気が甘くていい匂いがしていたため、思いっきり吸い込んだんですよ、そしたら、すすーっと鼻が抜けて…あっという間に完治しました!!
 いやー、食品加工の力はすごいですねー。蓄膿症まで直してしまう力があります。
 食品加工が持つ力、それは、蓄膿症の治療だけではないこと、ぴたはよく知っています。
 かーちゃんの力・プロジェクトを通じてです。
 食品加工に携わる人にとっての生きがいになったり、加工食品を食べる人を笑顔にしたり、放射能汚染で奪われてしまった福島の「食」と「農」が、それでもそこで生き、生活している人々のところに残り続けられるように…その力を発揮します。
 福島でキムチづくりを経験した、福島大学と上智大学のみなさんは、どんなことを感じたでしょうか。
 報告書に語ってもらいます!

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震災後の食と農―福島でのキムチづくりを通して

はじめに

【テーマ設定の動機】

 2011年3月11日の東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故により、放射能汚染の被害を被った福島県。5年が経とうとしている今日においても、いまだに課題は多く残っている。特に福島県では、風評被害による農産物の被害が深刻化している。
私たちは「福島の食と農」にスポットを当て、震災後の福島の食と農、そしてそれにかかわる人たちの“今”を考え、福島が抱える困難、その中で生きがいを持って静かに頑張っている人たちを知ってもらいたいと考え、このテーマに設定した。

【活動概要】

活動日
2016年2月12~13日

活動場所
福島県福島市松川町
コミュニティ茶ロン「あぶくま茶屋」


出典:かーちゃんの力プロジェクト・協議会公式ホームページ

活動内容
原発事故で被害を受けた飯舘村や浪江町から非難した方々が立ちあげた「かーちゃんの力プロジェクト」のメンバーの一人である高橋トク子さんにお話しを聞き、実際にキムチ作りを体験する。このキムチ作りには、福島県松川町の菅野さんから頂いた白菜と大根を使用。つくったキムチの放射能検査を実施。



かーちゃんの力・プロジェクトについて

【プロジェクトの概要】

 このプロジェクトは、原発事故により避難を余儀なくされた主にあぶくま地域(川俣町山木屋、浪江町津島、飯舘村、葛尾村、田村市都路町、川内村)のかーちゃん(女性農業者)たちが、故郷の味を作りながら自立を目指すべく、2011年10月19日に「福島大学小規模自治体研究所」の支援を受けて立ち上がったもの。
 まず、今できることからはじめようと、それぞれ道具や機械を持ち寄り、「もちづくり」をして販売イベントの開催、「漬け物」などの加工品づくりを始めた。
 かーちゃんたちの知恵や技術、食の伝承や、離れ離れになったかーちゃんたちのネットワーク化を通し、地域と福島の復興に寄与することを目指している。


出典:かーちゃんの力プロジェクト・協議会公式ホームページ

【高橋トク子さんのキムチ】

 今回の活動の講師である高橋トク子さんは福島県飯館村のかーちゃんで、20年前に本場韓国でキムチ作りを学び、震災前からキムチを作り販売、多くのファンができるほどの人気を博していた。
 震災後もこのかーちゃんの力プロジェクトを通してキムチ作りを再開し、今でも風評被害に屈することなくキムチを作り続けている。


キムチづくりを教えてくださった高橋トク子さん(写真左)

【コミュニティ茶ロンあぶくま茶屋】

かーちゃんの力プロジェクトの本拠地である、コミュニティ茶ロン「あぶくま茶屋」には、かーちゃんたちが作った農産品が並んでおり、地域の方のコミュニケーションの場として活用されている。震災前は飯館村で、震災後は福島市で店を構えるカフェ「椏久里珈琲」の自家焙煎米を使ったコーヒーや、桑の葉茶、カボチャのアイスや酒粕アイスなどが味わえる。



フィールドワークのようす

【2月12日】
白菜収穫
福島県福島市松川町で農業をされている菅野さんに、今回のキムチ作りで使用する白菜と大根をいただいた。



下準備
収穫した白菜は、水洗いし塩を塗り込んで重しを乗せ、一晩漬ける必要がある。トク子さんに教えてもらいながら作業を進める。



【2月13日】
訪問
福島大学の学生と上智大学の学生が合流し、「あぶくま茶屋」に訪問。



トク子さんのお話し
キムチ作りを始めえる前に、トク子さんにお話を聞いた。キムチ作りを始めた背景や、かーちゃんの力プロジェクトについて、また震災後の自身の経験などについてのお話をしてくださった。



調理開始
トク子さんの指導のもと、調理開始(写真1)。千切りにした大根に、刻んだニンニク、生姜、ニラを混ぜ、さらにミキサーにかけたイカのゲソと胴体を1センチ角に刻んだものを混ぜ込む。

chorikaishi1.jpg

そこに二種類の香辛料と白醤油、小エビとダシとトク子さんの愛情を加え、均一になるまで混ぜる(写真2)。
これでキムチのもとが完成。

chorikaishi2.jpg

次に塩漬けした白菜450gにキムチのもと300gを用意(写真3)。

chorikaisi3.jpg

白菜の葉と葉の間にキムチのもとを入れ、丸め込む(写真4)。それを真空パックに入れ、一晩冷蔵庫で寝かせて完成。

chorikaishi4.jpg

完成したキムチは、放射線測定器で検査(写真5)。あぶくま茶屋では、完成した商品はすべて検査している。私たちが作ったキムチも、放射線は検出限界値以下であった。

chorikaisho5.jpg

まとめ―フィールドワークを通して

【上智大生】

 今回トク子さんのような福島の「食」と関わる方と一緒に行ったキムチ作りを通じて、普段触れている情報の信憑性について考えさせられた。
 福島を訪れる前は「福島の食は放射線の影響を受けているから危ない」という報道から受けるイメージが先行してしまう部分が多少なりともあり、たとえきちんと数値測定をして基準をクリアした商品だとしても懐疑的な目で見ている自分がいたように思う。しかし実際に放射線量測定の機械を見せてもらい、福島の方々の食に対する関わり方を知り、報道を鵜呑みにし、一面的にしか捉えていなかったことに気付くことができた。
 今後は今回体験したことを大切に、出来る限り自分の目で見て情報を判断していきたいと思う。

【福島大生】

 今回フィールドワークの大きな目的は、上智大生に福島の“今”を知ってもらうことであった。
 震災から5年が経とうとしている福島の農と食を見ていき、私たちは改めて福島が復興に向けて一歩一歩、困難に立ち向かいながら進んでいるということを実感することができた。
 私たちは福島に関わるものとして、本当の福島の“今”を見ていくこと、そしてそれを伝えることの必要性を、今回のフィールドワークを通して学んだ。

【最後に】

 福島の食と農にスポットを当て、福島の“今”について考え、現場で復興に向け歩んでいる人たちを知ってもらうために行った今回のフィールドワーク。福島の「かーちゃん」たちの温かさに触れ、福島の復興にはまだ多くの課題があるものの、着実に復興に向け進んでいることを実感できた。
 最後に、今回のフィールドワークに協力してくださった、高橋トク子さんはじめ「かーちゃんの力プロジェクト」の方々に感謝の意を示したい。

参考
かーちゃんの力・プロジェクト協議会|公式ホームページ http://www.ka-tyan.com/
かーちゃんの力・プロジェクト(福島市) | みちのく仕事 http://michinokushigoto.jp/project/8453

レポート執筆
飯山沙稀 村上しおり 谷口智子 日高智也 猪俣和弘 石井勇多  齋藤由佳 幡谷明里 末永俊彦 野崎智也  菊池康太
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 報告書そのものは、デザインにも時間をかけて作ってくれました!レポートありがとう。 ぴた

福大×上智大=??Part 2 フィールドワーク➀再生可能エネルギーの現場(伊達市霊山町)

 こんにちは。ぴたです。久しぶりに書いたブログ記事を読んでいただき、ありがとうございます。
 これから、3月11日まで、2月13日、14日の両日に行った、福大と上智大との合同研修旅行の報告を、何回かに分けて行います。
 今日は、初日の2月13日に、3グループに分かれて行ったフィールドワークのうち、伊達市霊山町の「再生可能エネルギー」の現場報告です。上智大学と福島大学の参加者全員で書いた報告書を掲載します。

 その前に…なぜ、伊達市霊山町で学ぶのか?
 このフィールドワークを企画した学生さんが、事前調査のうえ、以下のようにまとめてくれています。
 (*なお、報告書は、誤植等も含め、内容の一部を3月10日午前8時に修正しました。)

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なぜ霊山のバイオマスに見学に行くのか?

 原発に代わる代替エネルギーが注目されている。そのエネルギーの一つにバイオマス発電があるが、バイオマス発電は、震災及び、放射能の被害にあった福島県内でも実践が始まっている。放射能汚染が日常となった福島、それも避難を余儀なくされた地域の一つである伊達市霊山町で行われているバイオマス発電には、どのような意義があるだろうか?今回のフィールドワークでは、被災地霊山町でのバイオマス発電の意義を学びたい。

・霊山プロジェクトの目的

 バイオマス発電はドイツをはじめ、世界各地で実践されているが、その多くが大規模なものであるとともに、発電された電気は電力会社が買い取っている。いわば、産業としての発電である。たとえば、日本の身近な例でいうと山形にある下水処理場では、集めた下水を使ってバイオマス発電をしており、それによって毎年6千万から7千万分の電気代を浮かすことができ、また下水のにおいを抑えるのにも成功している。またバイオマスで出た残りかすなどを肥料として農家に販売している。収入源としてのバイオマス発電である。バイオマスの目的は、発電と売電、ということになるだろう。

 しかし、霊山で行われているバイオマス発電は、発電と売電が第一の目的とはいえない。ここでは、放射能に汚染された、道路、河川の刈り草や農作物などを処理するための手段としてバイオマスを使っている。またもっとも大きな特徴としては、地域の特産物である柿を原材料として使っていることである。放射能汚染によって地域の特産物である柿は販売できなくなってしまった。使われなくなった柿は大量に農地に放棄されてしまった。無駄になっている柿をなんとかりようしたい、また、農地に放置されることで放射能汚染が広がりかねない柿の力を使って、放射能の回収とを行えないか―そんな思いから霊山のでのバイオマス発電は始まっている。

 また、霊山での試みには、ホームセンターで買えるような道具しか使っていない。誰でもが手にして、簡単な知識と技術で実践できる試みである。

 また、こうした地域での試みを通じて、避難勧奨地点の指定に伴って生じた地域の分断が修復されつつある。再び地域の人たちがつながり、活動が芽生え、その活動が霊山に人を呼ぶきっかけになり、それによってバイオマスのことや霊山及び被災地を知ってもらおうとしている。

 さらにこの計画は、バイオガス製造装置を整備し、この中に地元の汚染された野菜等の測定残渣や食品残渣などを材料として投入し、メタン発酵させ、残渣の形で濃縮した放射性物質を、行政等が進めている仮置き場等での一時貯蔵ルートに乗せて適正に管理していこうという取組みでもある。放射能に汚染された地域で長期間生活をしていかざるを得ない福島県民にとって、バイオガス製造装置を設置することにより、身の回りにある汚染物質をしっかりと管理していくことが可能になる一つの方法なのかもしれない。

<解き明かしたい疑問>

・このプロジェクトはホームセンターで買えるものでの発電にこだわっている。それはなぜか?
・クイズ:バイオマスに使う食品の中の一つにあんぽ柿がある。あんぽ柿1キロからどのくらいのガスが発生するか?
・どんなものが一番ガスが出るのか?
・個人で行っているこのような事業を支援していくためには、行政にはどのようなかかわりが求められるのか

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この「趣意書」を読んで行ったフィールドワーク…
以下が、フィールドワーク後にグループがまとめた報告書です!とても勉強になりますね。

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福島県伊達市霊山村「霊山プロジェクト」のバイオマス発電施設見学

<導入>

 2015年2月13日、上智大学と福島大学との合同ゼミが開催された。本ゼミは、原発事故後の福島の現状を知る、というテーマのもと上智大学の学生が福島県を訪れるという形で行われた。私たちは、「霊山プロジェクト」と呼ばれる、小規模なバイオマス発電が伊達市霊山町で行われていることを知った。霊山町は、原発事故後、一部の地域が避難勧奨地点とされた。私たちは、避難対象になっていない地域では最も放射線量が高かった地域である霊山の小国地域でバイオマス発電を行っている霊山プロジェクトの一人である大沼豊さんのもとを訪れ、バイオマス発電の意義や過疎化が進む農村と復興の結びつきを考えるためのフィールドワークを行った。
 大沼さんが一員として活動している霊山プロジェクトは、日本工業大学名誉教授佐藤茂夫先生の指導のもとバイオガス活用を実践している。その活動の1つとして霊山プロジェクトでは、小国地区の小さなプレハブ施設でメタンガスの生成の実証実験を実施している。実験では、放射性物質に汚染された食品残渣、農作物、刈り草、汚泥、生ごみを家畜の糞尿と混ぜ発酵処理することで、メタンガスを発生させた後、どの物質でどのくらいのガス発生効率があるのか、また、発酵処理後、物質にどのくらいの放射線量が残るのかを実験している。下の写真のプレハブ施設は、ホームセンターで購入した資材を使い、手作りで立てられたという。発生させたメタンガスは、プレハブの隣の建物のガスコンロで実際に使用されている。




<プロジェクト開始のきっかけ>

大沼さんは、震災以前、建設業の仕事をされて、バイオマス発電とは深い関わりはなかった。震災後このようなプロジェクトを始めたきっかけを3つ話してくださった。まず1つ目は、大沼さんの奥さんの一言だった。大沼さんのバイオマス発電施設のある小国地区は福島第一原発の事故後、放射線量に応じて避難勧奨地点が指定された。そのため、同じ地区に避難勧奨地点とそうでない場所が存在していた。避難勧奨地点の住民は、月10万円の支援金を受け取っていた。しかし、この支援金を巡って地域の和が乱れてしまった。支援金を受け取っている住民が車など何か新しいものを買うと、避難勧奨地点ではないところに住む同じ地区の住民が「10万円の支援は不公平だ」という感情を持つことになったという。「同じ地区なのに不公平だ」という声が高まっていった中、大沼さんの奥さんは「この避難勧奨地点として受けている10万円を何か復興のために使えれば良いのでは。」と大沼さんに話したそうだ。
 次の理由としては、大沼さんの息子さんが東北大学の名誉教授である野池達也先生と知り合ったことが挙げられる。野池先生との出会いは、特定非営利活動法人再生可能エネルギー推進協会の方々が来町することにもつながった。また、その理事の方達の中に東芝(OB)の方も数名いたそうだ。東芝は、福島第一原発の建設に関わった会社だった。息子さんが関東で東芝の社員の方と知り合い、大沼さんが行おうとしているバイオマス発電について話したところ、「自分たちが建てた原発がこのような事故を起こしてしまい申し訳ない。罪滅ぼしのために、協力して再生エネルギー事業を進めさせていただきたい。」との言葉を頂いたそうだ。
 最後に挙げられていた理由は、「生まれ育った場所に留まりたい」というものだった。「自分たちで復興を進め、生まれ育った場所で暮らし続けたい」という気持ちが大きいと大沼さんは話していた。以上の三つの理由によって、大沼さんはバイオマス発電によって地域を復興させる取り組みを始めたという。


<現在の展望①ビニールハウス栽培>

 現在、霊山プロジェクトは、さらなる展開を見せている。霊山プロジェクトでは、ビニールハウスを造り、ハウス栽培を実施している。このビニールハウスの暖房には、発酵メタンガスを燃焼させた熱を利用している。ここで栽培されたトマトは、ピクルスや醤油漬けに用いられており、商品化もされている。プロジェクトでは、このような経営を多角化させるいわゆる6次産業化にも力を入れている。青トマトのピクルスや醤油漬け、ナツハゼジャムは、仙台のイベントにも出展され高い評価を得た。見学の際には、奥様手作りの蒸しケーキ、漬物やフルーツをおいしくいただいた。



 霊山プロジェクトでは他にも信夫冬菜(福島の伝統野菜 薄い緑色をしており、縦に伸びてやや柔らかい葉が特徴的です。)の蒸し菓子やモロコシ団子、モロコシクッキーといった様々な地元の農作物の商品化に取り組んでいる。さらに、団子やクッキーに使用するモロコシの茎や葉の部分は、メタン発酵原料としても使用されている。
また、霊山プロジェクトでは、農作業等に使用されるバックホウ(ショベルカー)の燃料として、使用済みの天ぷら油をジーゼル燃料に変えたものを利用するなど、環境にも配慮している。
 こうした環境に配慮した手法でつくられた商品を、道の駅などで販売することを霊山プロジェクトは計画しているが、商品を作るための加工場が資金面の問題などで実現出来ていない。農作物の加工場の建設には、相当のお金が必要になる。以前元養蚕場を加工場に改装しようと考えたが予算の問題で実現しなかった。
しかし、その対応策として、大沼さんは農業体験やバイオマス事業の見学に観光客を誘致する際に、小国地区で作られた商品も紹介・販売するということを提案している。販売が実現すれば、加工食品を通して霊山プロジェクトの一連の活動を多くの人に知ってもらうきっかけになりうるだろう。


<②小学生への課外授業>

 霊山プロジェクトでは、自らが行っているバイオガス発電などの再生可能エネルギー事業について小学生向けに課外授業も行っている。原発事故で飛散した放射性物質によって被害を受けた地域だからこそ、若い世代に対して、小さいころからバイオガス発電などの再生可能エネルギーがいかに重要であるかを知ってもらいたいという想いから、この課外授業は行われている。授業は我々が説明して頂いたような専門的な難しい話をするのではなく、研究に協力して頂いている大学教授に依頼し、小学生向けに優しくとっつきやすい内容で説明している。例えばバイオガス発電についての説明では、ペットボトルを利用してガスの発生方法を簡単に、楽しく、小学生が興味を持てるように説明をしている。また、小学生が身近に再生可能エネルギーというものを感じ取れるように、学校内に無償で太陽光パネルを設置し、それを利用して再生可能エネルギーについて説明もしている。
 このように、霊山プロジェクトは再生可能エネルギー事業を将来的に普及させるべく、その鍵を握っている若い世代に、自らの活動を通して授業を行っている。


<「全部お金をかけずにやる」>



 こうした様々な取り組みに際し霊山プロジェクトでは、できる限り費用をかけないことを信条とする。
例えば、上の写真に見えるペットボトルは、発生させたバイオガスの貯留タンクに圧力をかけてパイプに抽出させるためのものである。また、バイオガスの発酵槽を保温する壁にU字溝、発生したガスを溜めるパイプに水道パイプ、ガスの発生量を図るための目盛りには差し金や金属製の巻尺、そして電動ドリルなどを用いる。もともと建設業に携わっていた大沼さんにとって身近な建材や道具、あるいはホームセンターなどで調達できる安価な資材を利用し、装置の製作費用を抑えることに成功している。
 また、施設の訪問者を案内する休憩所も、養蚕小屋として作られた木造の小屋を利用している。最近は視察に訪れる人も増えているが、「立派な新しい建物ではなく昔からここにある小屋の雰囲気も味わいながら休憩してほしい。」と、敢えて小屋へ案内するそうだ。私たちが訪問した日も、この小屋で休ませていただいた。小屋の中にもあるバイオガス貯留槽から引いたガス沸かした湯でコーヒーを入れてくださった。手づくりのバイオガス装置と、その働きを目の前で見ながら、プロジェクトの現状や展望を話すのにぴったりの空間だった。


<課題①地元と行政のあいだで>

バイオガス実証施設を手づくりし、大沼さん達が所有していた施設や資材を活用するなどの工夫によって活動してきた霊山プロジェクト。一方で、さらにプロジェクトを推し進めるためには資金面の課題が残る。例えば、6次産業化で生まれた青トマトのピクルスやモロコシクッキーなどを商品化し、販売するために必要な加工場の建設及び運営には費用がかかる。しかし行政からの補助金を受け取るにしても、困難は多い。地元負担額が大きく十分な資金を得られなかったり、申請の手続きが複雑でなかなか進まなかったりするからだ。復興庁からの交付金を得るためにも厳しい条件がある。まず月ごとの計画の提出と実績が求められる。新たな取り組みに際しては臨機応変な対応が求められ、急な計画の変更も予想されるので、こうした条件を満たすのは難しい。加えて、3年後に形に残るものを作ることも条件に含まれており、「5年あれば」と、時間的制約に悩まされることも多いそうだ。地元の復興を目指して軌道に乗ってきたプロジェクトを、さらに広めて地域振興につなげるために、行政は長い目で、柔軟な姿勢でプロジェクトを見つめ助ける必要があろう。

<課題②>

 大沼さんは、プロジェクトが抱えるさらなる課題を私たちに語ってくださった。それは、バイオマスで生成したメタンガスの実用化に関する問題である。一般家庭や工場でさらに実用的にガスを使うとなるとメタンガスをガスボンベに抽出するための機械が必要になる。ガスボンベに入れてしまえばどこでも利用が可能になるが、ボンベに注入する機械は、高価なものである。一度企業に機械の見積もりを提示してもらえるよう交渉したが企業側は見積もりを渋った。ボンベに抽出する機械自体は値が張るものではないが、一個人に向けて安く提供してしまうと法人向けにも値下げせざるをえないため企業は協力的でないのだ、と大沼さんは推測する。霊山プロジェクトの施設は現在、実験的機能を主に担っているが、経営を拡大するべく、大量のメタンガスが生成できるようになればそれを活用するための設備は必ず必要になる。また霊山プロジェクトの取り組みを参考に学校や施設単位でバイオマスを導入するとなればそこに企業の力は不可欠だろう。
 加工場にせよガスの実用の問題にせよ、ここまで形になっているプロジェクトを今後一般に広めるため企業や市町村が協力して推進できれば確実に大きな一歩に繋がるだろう。

<大沼さんの想い>

 最後に大沼さんは、将来のプロジェクトの展望について話してくださった。平成29年度に霊山町を通る高速道路が完成する予定なので、その休憩地(IC)にバイオマス発電でエネルギー全てを賄うことができる道の駅を設置したいと考えている。道の駅に自然エネルギーを活用するというこの展望は、霊山プロジェクトだけではなく、プロジェクトに協力している再生可能エネルギー推進協会の夢でもある。大沼さんは、この計画が達成されれば、「再生可能エネルギー発電の霊山町」という触れ込みで全国、さらに世界へアピールができ、地域を盛り上げることにつながるはずだろうと話されていた。
 また、山形県の下水処理場を引合いにだし、紹介してくださった。そこは人糞を利用し、バイオマス発電を行い、施設の電気を回している。この下水道局が行うバイオガスシステムでのガスタービンは一台1億円という巨額の費用がかかるが、数年で元は取れる計算だそうだ。行政がバイオマス発電に目をつけ、検討し行動に移した結果が持続可能なエネルギー政策を達成することができた。例に挙げた山形県の自治体のように福島県の自治体は原発事故の被害があったからこそ再生可能エネルギーに力を入れるべきではないか。しかし、近くの霊山町で行っているプロジェクトのバイオマス発電にでさえ、視察にも来ることがなく、むしろ他県からの方が多いそうだ。大沼さんのバイオマス発電を普及していきたい想いと行政の行動が逆行しているのが現状だ。大沼さん自身その実情に憂うことがあるが、地域のコミュニティー形成のため、我々学生含め未来ある子供たちにこの活動を知らせるために続けていきたいと考えている。

レポート執筆:
菅生玲子(上智大学)、名和ゆいの(上智大学)、大河原楓(上智大学)、山崎海里(上智大学)、中村華子(上智大学)
鈴木北斗(福島大学)、菅野なつみ(福島大学)、菊池早苗(福島大学)、遠藤侑弥(福島大学)、樋口孝輝(福島大学)
*****
(つづく)

福島大学行政政策学類×上智大学外国語学部ドイツ語学科=??

 こんばんは。ぴたです。
 ずいぶんご無沙汰しています。
 まもなく3月11日。大震災から6年目となります。

 ぴたは、全国の学生さんたちに、行政政策学類の学生さんたちと友達になってもらいたい、とずっと思ってきました。
 震災から1年の時点で、当時の学生さんたちとともに実施した、「世界の学生とつながろうプロジェクト(学つな)」(詳しくはかつてのブログ記事をご覧ください→コチラ)は、その初めての試みでした。

 こうした交流事業を行う目的はなんでしょうか?

 もちろん、福島の「今」を実際に見て感じてもらいたい、というのも大きな理由ですが、個人的には、福島に住む学生と全国、いや世界各地の学生さんが「友達になる」ことのほうが、その目的としては、ずっと大切だと思っていました。

 なぜなら、「友達」のことは、いつも気にかかるからです。

 「福島のことを気にする」、それも長い時間をかけて、ということは、実は、思いのほか難しいのです。ですが、「福島に住む『友人』のことを気にする」、というのは、おそらく人の自然な感情であり、友達であるかぎりそれは、ずっと続くのではないかと思うのです。
 また、「友達」同士なら、公の場ではなかなか言いにくい意見でも、気兼ねすることなく率直にいうこともできます。
 悩みや怒り、笑いを共有することも、そして、それに寄り添うことも、「友達」同士だから、できることなのではないでしょうか。
 仲良くしている人がいる、今どうしているか気になる人がいる…そういう相手がいることによってはじめて、福島が、自分にとっての課題になるのではないでしょうか。

 だとすれば、福島や震災について風化が進んだり、忘れてしまったりしないためには、そして、福島からなにか自分なりの教訓を持とうとすれば、「友達づくり」が一番大切、ということになります。

 6年目を迎えようとする今、そんなことを考えています。

 今年の2月には、ぴたの専門演習のゼミと、上智大学外国語学部ドイツ語学科の木村先生のゼミとが合同で、福島合宿を行いました。フィールドワークあり、研究発表あり、そして、仮設住宅でのイベント実施あり、と盛りだくさんの内容でした。
 なぜ、上智大学外国語学部ドイツ語学科と一緒に??
 そうですよね、笑。ま、理由はいろいろとあります。
 理由も含めてまたご報告しますが、今回の合同合宿の最大の目的は、今年の秋に、上智のみなさんとぴたのゼミ合同で、ドイツ研修旅行に行こうと企画を始めています。今回はその目標に向けた第一歩=「友達になる」ことです。そう、一番大切なことですね。
 今年の秋に計画しているドイツ研修旅行の目的はまた改めてご報告するとして、今回は、数日をかけて、ぴたゼミ(福島大)と木村ゼミ(上智大)の合同合宿研修の模様をご報告します!

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Fukushimaの課題を「自分の課題」にするための2日間合同ゼミ(企画書)

<企画の趣旨>

 地震、津波、原発事故、放射能汚染と避難生活、帰村と村の消滅――この5年間の間に福島で起こり、また今後、深刻な問題となることが予想される「Fukushimaの課題」。世界的にも例のない事態であり、自分たちに大きくかかわっている課題であることは明らかですが、福島の「外」にいる人も、福島の「内」にいる人も、この課題がどのような意味で「自分の課題」であるのか、理解しできているとはいえないのではないでしょうか。
 合同ゼミに参加する一人ひとりの個人史も性格も、問題意識も福島とのかかわりもさまざまです。それぞれが、福島がこの5年間に経験した「何か」から、「自分の課題」を持ち帰ってください。

<日程>

○2月13日(土)
11時00分 上智大学生 福島駅に到着(福島大学生出迎え)→グループごとに昼食
13時~17時頃まで 3グループごとのフィールドワーク
 ①再生可能エネルギー班/伊達市霊山町
 ②子供と震災班/福島市渡利地区
 ③被災後の農と食班/福島市松川町
17時頃 福島大学行政政策学類大会議室に集合→夕食と交流会
21時頃 交流会終了→上智大学生は福大生のアパートにホームステイ

○2月14日(日)
9時00分  福島大学行政政策学類棟前集合
9時00分  福島大学出発→→福島市飯野地域福祉センター
10時00分 明治飯野仮設住宅(飯舘村)のみなさんとともに凍み餅づくり
12時頃   仮設のみなさんとともに昼食(五目おこわと煮物、キムチ)→片付け
13時00分 福島市飯野地域福祉センター発→→福島大学
13時00分 フィールドワーク報告と意見交換
 ①「子供と震災」班
 ②「被災後の農と食」班
 ③「再生可能エネルギー」班
14時00分 上智大学からのプレゼンテーション
 〈テーマ1〉原発の経済効果
 〈テーマ2〉代替エネルギー
 〈テーマ3〉健康、食と農
16時49分 金谷川駅発福島駅行き(16時59分着)→ 東京へ
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 いやいや、盛りだくさんですね。フィールドワークやプレゼンについては、これから少しずつ報告しますが、今日のところは、一番のお楽しみ、「交流会」の模様だけ…(笑)。


キムチ鍋、なんだべ~

上智交流会
交流会はこんな感じ、ひえ~


円盤餃子、こげてる~

上智交流会1
交流会はこんな感じ、うわ~

<つづく>

斎藤里内からはじめよう。Part 2

ビックブラックゼミナールの学生さんの活動報告。
「斎藤里内からはじめよう」パート2。「大黒」だから「ビックブラック」という安直な名前とは違って、活動内容やその目指すものは、これまでの活動のなかから、学生さんが考えたこと、感じたことを反映したものになっています。
福島大学生だから、ビックブラックゼミナールの経験があったからこそまとめられた活動とその報告を、ぜひ読んでみてください。そして、福島大学の学生がどれほど真摯にがんばっているのか、ぜひ感じてもらえたら、ぴたとしても、とてもうれしいです!

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葛尾村斎藤里内応急仮設住宅プロジェクトⅡ
「復興」は、ここからはじめよう。
活動最終報告書
2015年3月
福島大学ビックブラックゼミナール

(…続き→前の記事は、こちら

○味噌つくり・梅干しづくりプロジェクト

 こちらも昨年からの継続した活動であるが、昨年度の梅干しづくりに加え、2014年度は味噌づくりも行った。梅干し作りに使用した梅は、仙台市根白石中学校から提供されたもので、県外の中学生との斎藤里内仮設住宅との新たなつながりが生まれた。この活動を通じて、仙台の中学生に福島の原発災害の現状を伝えることができたこと、また彼ら中学生が、斎藤里内仮設の皆さんの「復興」への取り組みを支えることに寄与するきっかけを作り出せたことは、2014年度の新たな成果でもあった。中学生と大学生との交流は、その後も、「交流野球試合」などの形で継続している。
味噌は私たちビックブラックゼミナールのメンバーを、「ばっち息子」と呼んでくださった仮設の皆さんが「ばっち息子が材料を集めてきてくれたからできた味噌だ」、と喜んでくれたことから「ばっち息子の味噌」と名付けてた。ちなみに「ばっち息子」とは、阿武隈地域の方言で「末息子」という意味である。

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○お正月料理&しめ縄づくり

 きっかけがあれば、家族や集落、仮設住宅に住む人たちのために、やれることはやってみたいという、仮設の皆さんの気持ちを形にしたいという思いで、仮設住宅に住む皆さんにご協力いただきながら実施した事業である。料理作りは仮設住宅の女性の皆さん方を中心に、そして、しめ縄づくりは、男性の皆さんが集まって進めていただいた。仮設住宅のお住まいの皆さんの、前向きな気持ちを実際に形にすることができた活動となったことは、とてもうれしい成果である。しめ縄づくりを行ったことで男性の参加が増え、2014年度は前年度よりも多くの方に参加していただくことができたイベントとなった。しめ縄づくりのための稲わらを、斎藤里内仮設の周辺にお住いの三春町の方にご提供いただいたが、仮設住宅とその周辺住民の皆さんの交流も、少しずつ広がっている。このプロジェクトの成果の一つでもある。

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○干し柿づくり

 ビックブラックゼミナールの学生11人と葛尾村仮設の方々との共同作業である。愛媛県の方から格安でご提供いただいた渋柿420個約120キロを、2人1組で20個ずつ干し柿へ加工した。イベントに参加した人もしなかった人も、仮設の皆さんに柿を配ることができた。みなさん、近所の人たちのことを気にして、「○○さんにも配っぺ」、と作業をしてくださった。葛尾村ではみんな普通にしていたことで、避難によってできない、あるいはやらなくなってしまったが、「きっかけがあればぜひやりたい」、との声を受けて実施できたことは大きな成果である。参加してくださった仮設住宅のみなさんは、だれもがてきぱきときれいな手仕事で進め、私たち学生は多くのことを学んだ。葛尾村の日常生活の中で自然と培われていた手仕事の技や力を実感する1日となった。それを、再び復活できたのは、私たちとしては、本当にうれしい。

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○2014年度の活動を振り返って

 2014年度の活動を始めるにあたり定めた3つの指針は達成されただろうか。その確認をしておく。
 まず第1に、農業(とそれにまつわる作業)を活動の中心にという指針をめぐって。
 トマトやナスの栽培や梅干し、しめ縄や干し柿は、大地がつくり出すものに人が手を加えて作り上げるものである。その過程で生きがいが生まれ、1人1人の個性が発揮されるものである。一連の過程で、根白石中学校との交流という新たな成果も生まれた。農業が持っている役割を、仮設住宅での日常生活の中で、これまでより充実した形で復活させよう、という意図は、実現できたように思われる。
 第2に、仮設の高齢者は支援の「対象」ではなく、あくまで復興の 「担い手」、という点に関して。
 さまざまな活動に積極的に参加して、家庭や集落、ご近所さんのために自分のできることはやろう!という仮設の方々の前向きな気持ちは、干し柿づくりやしめ縄づくり、正月料理作りなどで、形となった。本当は力も技もアイデアもあるが、それがうまく見えない、現れていないときに、そうしたものを引き出すためのきっかけをどう工夫するか、私たち学生にとっても、貴重な学びの機会となった。
 第3に、葛尾村の人々の日常生活のなかに潜む力を発揮してもらう ことで、ここから始まる復興の道筋を示すという指針について。斎藤里内仮設住宅にお住いの方々の、普段の何気ない日常生活の中に潜む力を発揮してもらうことで、葛尾村やさらには福島の復興につなげる第一歩にする――これが3つ目の目標であった。一連の活動を通じて、斎藤里内仮設住宅のみなさんが、長年の葛尾村での生活の中で身についていた手技や、加工食品、料理の腕には、大きな力が宿っていることがよく伝わった。こうした皆さんの日常生活に潜む力を、少しずつではあるが、取り戻すことができつつあると思う。仮設住宅を素通りすることなく、ここから始まる「復興」の形は、少しずつではあるが、見え始めているのではないだろうか。

 だとすれば、この道筋を少しだけ広げていくこと、斎藤里内仮設のみなさんが2年間に見せてくださった「家族やご近所さん、集落や村などで必要とされるなら、ぜひ自分たちでやろう」という想いや、農を通じて人々とつながる力、梅干しや味噌、干し柿づくり、さらにはしめ縄づくりの技や力を活かす形での「復興」を、次へのステップへと発展させることはできないか?斎藤里内仮設のみなさんが活躍することで、葛尾村、さらには福島県の復興につながるような展開を、どのように構想すればよいのか、これが次の私たちの課題となる。

○2015年度に向けて、さらなる展開を!

 斎藤里内仮設住宅の方々の想いや、かつての葛尾村での日常生活の中で培った手技やコミュニケーション力を活かす「さらなる復興」をどう目指すか?私たちの提案は、

①斎藤里内仮設ブランドの農産加工品販売
②「葛尾御膳」の開発とレストランでの提供

の2つである。梅干し、干し柿、味噌等を直売所等で販売することは、きちんとした加工場の整備などを行うことができれば、すぐにでも可能なことである。学生である私たちとしても、梅干しを利用したスイーツやジュースなど、干し柿を利用した柿ジェラートや柿餅など、今後いろいろと提案していくことができるように思う。
また、お正月料理の創作と提供で見せてくれた料理の技は、すぐにでも、レストランで提供できるはずである。干し柿や梅干し、味噌、餅などをふんだんに使った「葛尾御膳」を構想し、ぜひ、多くの方々に食べていただけるような提供の形を考えていきたい。

○復興は、ここ斎藤里内からはじめよう!

 仮設住宅を素通りする「復興」ではなく、仮設住宅から始まる「復興」を目指す――2年間の活動で見えてきた斎藤里内仮設住宅のみなさんの想いや手技、秘められた力は、そこからはじまる「復興」が十分可能なことを、私たちに確信させてくれたと思う。この2年間で私たちは、みなさんから多くのことを学ぶことができた。それは、どんなことがあってもみんなでつながり、毎日自分のできることをして生きていこう!とする力だと思う。その力が発揮される形は、ナスやトマト、味噌など形として現れるものもあり、料理の知識やしめ縄づくりの手技のように、見えにくいものもある。しかし、私たちの目指す「復興」は、昔からその地域で暮らしてきた人々の「毎日できることをして生きていこう」、とする力を大切にするところから始まるものである。私たちのスタートラインは、斎藤里内にある小さな仮設住宅ではある。そこから始まる「復興」が、被災地全体の復興につながるのかどうか、疑問に思う方もいるかもしれない。しかし、大きなことは小さなことの積み重ねによって達成されるのではないか。私たちは、斎藤里内仮設住宅のみなさんとともに、この小さな取り組みをこれからも積み重ねていくつもりである。そこから始める「復興」こそが、福島が目指すべき「復興」になることを目指して!
 最後に、私たちの結論を…
 「福島の復興はまず、斎藤里内仮設住宅からはじめよう!」

(終わり)