FC2ブログ

ガンバロウ福大!行政の「結」

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に端を発する東日本大震災をきっかけに、福島大学行政政策学類の教員有志でブログを開始しました。福大行政に関わる情報共有・情報発信の場として、このブログが、読者のみなさんとわたしたちの、また、みなさん同士の結節点になれば嬉しいなと考えています。一緒に手を携えて、この難局を乗り切っていきましょう。     (2012年3月26日記)

ぴたは政治学者か? えー、ウソでしょ~!(2)

 こんにちは。ぴたです。
 熊本や大分での大きな地震に、多くの人が心を痛めています。
 東日本大震災のあと、やるべきことがたくさんあり、苦しんだ私たちでしたが、今回は、「自分には何ができるのだろう」、と悩んでばかりいます。当時、多くの方々からいろいろな支えと支援を頂いた私たちとしては、できる限りのことをしたいと思っているのですが、「何を」、という最も大事なところがなかなか見えません。
 熊本や大分など九州の皆さんがこれから、長い間にわたって、避難生活や復興という課題に取り組まなければならなくなることを考えれば、遠く離れた私たちにもできることが、これから見えてくるのではないかと思います。
 行政政策学類内では、「とりあえず」、ということで、義援金集めが行われ、近く、熊本大学にお届けすることになっています。
 また、大学としても、遅ればせながら、東日本大震災後の経験をお伝えする福島大学なりの取り組みを始めたようです。
 熊本大学にお世話になった知り合いがたくさんいるぴたも、東日本大震災の際の支援へのお返しを、少しでもできればと思っています。
 今日は、熊本大学の紺屋博昭さんの勧めで少しずつ書いている、「原発事故被災地の政治学研究者としての日常生活」の続きを少し掲載させていただきます。以前、こちらにも載せてもらった記事(→コチラ)の続きです。

******
原発事故被災地の政治学研究者としての日常生活(2)
(著者)福島大学行政政策学類 ぴた

□ はじめに

 実を言うと、私は、2011年3月11日に福島を襲った激しい揺れを経験していない。翌日からの高知市への出張を控え、実家の香川にある自宅に着いた直後であった。出迎えに来たはずの父親が、青ざめた表情で、「東北地方が恐ろしいことになっている」、と言っている。慌ててテレビをつけると、地震のニュースに加え、大津波警報が発令されて、東北地方が大変な事態になっていることを伝えている。南相馬市の波の音が聞こえるほど海岸近くに自宅のあった友人、岩手県釜石市に住む大学時代の親友の両親――その安否が気になる。その後、福島県内の原発が危険な状況に陥っているというニュースが加わり、不安で胸が張り裂けそうになった。
 そんななか、大学の同僚からは、「福島に戻ってこないほうがいい」、というアドバイスが届いた。「自分たちも、小さな子供を抱え、家族と福島を離れようとしている。県外にいるのなら、そこに留まるほうがいい…」。
 そのメールを読んで私は、逆に、福島に戻ることを後押しされたように感じた。自分には、幼い子供も守るべき家族もいないのだから。実家のテレビで福島の状況を見て以降、すぐにでも福島に戻りたいと思っていたが、それを躊躇する必要がない、ということに気付かされたのだ。その時、「これは自分がそうしたいと考えて決めたことなのだから、あとで後悔はしないようにしよう」、と強く思ったことを、今でもはっきりと覚えている。
 福島に戻りたい、と思った理由のひとつは、私の姪である。まだ中学生だった姪が、私が喰らいつくように見ているテレビの前を、携帯電話を使ったゲームをしながらうろうろとしていた。焦りで気分が悪くなっている自分と、のんびりゲームを楽しんでいる(ようにみえた)姪との間の意識の差に、私は次第に耐えられなくなった。東北に知り合いや友人がいるかどうかということが、これだけ大きな意識の差を生むという現実を、その後幾度となく感じさせられることになるが、震災直後の姪の振る舞いに、私は、「こんな人たちとは一緒にはいられない」、という切羽詰まった気持ちになった。
 もう一つの理由は、福島にいる学生のことであった。福島大学は全国で1,2を争う小規模国立大学である。大学全体で4年間にわたって少人数教育のゼミが必修科目となっており、私の所属する行政政策学類では、ゼミ単位でのフィールドワークが奨励されていることもあって、学生と教員との距離はとても近い。教授会を開く学類の「大会議室」は、時に、ゼミ単位で開かれるパーティーや芋煮会(東北の方なら分かっていただけるだろう、秋にはこれが欠かせない!)、ゼミを超えた飲み会、餅つき大会や映画上映会などの会場になる。教授会が、前日の「キムチ鍋」の匂いのなかで開かれるなどという大学は、おそらく、うちの学部だけであろう。当時私も1年生と3,4年生のゼミを担当しており、まさにすべての事態が不気味な破局へと突き進もうとしているなか、いま彼らがどうしているのか、そのことが頭を離れなかった。
 しかし、このときは、福島に戻って自分が何をするのか、何ができるのかについて、なにかはっきりとしたイメージがあったわけではなかった。学生のことが気になるといっても、地震、津波に加え、今後さらなる事態の悪化が予想される原発の状況をまえに、学生のために自分に何ができるのか、想像もつかなかった。さしたるアイデアもないまま、ただただ、「早く帰らなければ…」、という切迫した思いだけで、福島に戻ったのであった。
 福島大学の学生に対して、自分は何ができたのか、そしてできなかったのか――震災からこれまでの5年間、微力ながら私が大学教員として取り組んできたことを、今回はご報告させていただこうと思う。

□ ドナルドの言葉

 原発事故被災地の政治学研究者としての日常生活(1)(以下、「日常生活(1)」と記載)でご報告したように、私は、臨時教授会の翌日の15日に大学に出向いた直後、学類長に連れ去られるように学類の震災対策室のメンバーとなった。当日学類長室に集まった同僚とともに、さっそく学生の安否確認作業に取り掛かったが、この作業は震災対策室からの依頼に基づき、それぞれのゼミ担当教員(学類教員全員)が、担当するゼミの学生と個別に連絡を取る形で進められ、作業はおおむね順調に進んだ。4年間ゼミが必修で、かつ、ゼミ内でメーリングリストの作成が一般的だったため、3月17日までに95パーセント以上の学生の無事が確認された。過年度生でゼミ所属がない学生や、被災地域で連絡が取れない学生については、本人や家族への電話はもちろん、職場への連絡や各地の避難所の掲示板情報を確認するなどの方法を駆使し、3月20日には学生全員の安全が確認された。福島大学4学類中、行政政策学類がもっとも早く学生の安否確認を済ませることができたのは、日ごろから、ゼミ単位で、あるいはゼミを超えた形で開かれる、教員と学生の入り混じった「大会議室」の利用の成果でもあった。学生の安否確認は、「日常生活(1)」で詳細を記した「避難バス(帰宅支援バス)」とともに、震災直後の「緊急の」学生対応であった。
 学類生の無事が確認され、「避難(帰宅)」を希望する学生の県外への送り出しが終了したあと、私たち震災対策室が取り組んだのが、①今後、原発の状況がさらに悪化し、福島市内でも屋内退避や避難が必要になったときに備え、県内出身学生や県内に残る学生を迅速に避難させるための計画の検討、②学類と学生との意思疎通のツールとしてのブログの開設であった。
①については、屋内退避時(避難の準備)の部屋利用の計画づくりからはじまり、学生教職員の避難を受け入れてくれる他国立大学の洗い出し等を進めた。また、学類教員からは、福島大学のキャンパスを緊急避難的に会津地方や県外に移転する提案も出されるなど、学生・教職員の被ばくを避けるための方法が、さまざまな形で検討されていた。結局、大学が所在する福島市は政府の屋内退避措置や避難指示の対象地域とはならず、また当時の大学当局も、政府の方針とのズレが生じても独自の情勢分析と内部検討に基づいた行動をとるという姿勢を示さなかったため、教員個々人や学類の震災対策室でほぼ完成していた具体的な計画案は、大学レベルでの検討に付されなかった。しかし、県外の国立大学からも当時、福島大学に対して学生の避難を受け入れるといった申し出があったとの情報もあり、この時期における学生の被ばく防止の対策や避難計画をめぐる大学当局の対応は、その是非も含めて、今後さらなる情報公開と検討が進められる必要があろう。
 ブログの開設は、学類長である塩谷弘康教授の指示で行われた。3月25日に開設されたブログ、「ガンバロウ福大!行政の『結』」(以下、「行政ブログ」)は、震災対策室のメンバーを中心に、学類教員や学生、卒業生、学生の家族、他大学の学生などが幅広く寄稿し、大学の状況報告から在学生・卒業生の活躍、他大学からの応援など、極めて真剣な思索から、大学当局への皮肉と抗議、震災対策の日々のなかで起こる悲喜劇のふざけたの報告まで、多彩な記事に溢れている(ぜひ一度ご覧ください!→http://311gyosei.blog39.fc2.com/)。私は、ブログのなかでも最も多くの記事を書いた一人だろうが、ふざけた記事のなかに、学生に伝えたい大事なことをこっそり書き込む、というスタイルで、いつも楽しく、かつ真剣に記事を書いていた。
 3月27日に私は、地震であらゆるものが床に落下し、ひどい状況になっている研究室の報告をブログに書いた。「教員研究室のドナルド」と題するこの記事の最後には、研究室でひっくり返っていたところを私に救出されたドナルド・ダックが読者に向かってこんな話をしている。

 「みんな、自分が今やるべきだと思うことを、存分にやろう。ボランティアに行きたい人は行こう!仕事をしたい人は仕事に行こう!勉強したい人は勉強しよう!家族の安全を最優先に守りたいという人はそうしよう!ゆっくり休みたい人は休もう!友達に会いたい人は会いに行こう!」

 当時大学内では、震災後に福島でさまざまな業務をこなす教職員がいる一方で、家族とともに福島を離れ、自主的に避難生活を送る教職員もおり、出勤しない(できない)教職員に対する不満が学内で高まっていた。「職員としての当然の義務」としてではなく、「自分で決めたこと」として福島に戻ってきた私としては、今いる場所は異なろうとも、同じように、「自分で決めたこと」として県外に避難した同僚と同じ立場に立っているのであり、その意味で、「出勤は当然の義務」、との意見には強い違和感を持っていた。他学類では、その長が県外避難した学類教員に対してかなり強い調子で職場復帰を求めていたが、私は、行政政策学類内でもそのような声を耳にするようになっていたことを心配していた。私たちの学類では、教授会でこの問題を十分議論したうえ、塩谷学類長の判断もあり、「職場復帰」を教職員に迫るような指示、メールなどは一切出されなかった。福島に戻ってきた自分も、家族とともに避難した同僚も、どんな決断であっても、その決断をぎりぎりのところで尊重し、認めた私たちの学類の決断を、私は今でもとても誇りに思っている。多くの人が亡くなり、また原発事故と被ばくという前代未聞の状況のなかで、それに巻き込まれてしまった人たちが、「今自分が大事だと考えること」、「やりたいと心底思うこと」を、それがどのようなことであっても、自由に実現できるような環境をつくることを大事にしなければ、という思いで、ドナルドに語ってもらったのだった。
 当時の学生たちの行動もさまざまであった。沿岸地域から避難してきた方々を受け入れる避難所となった大学の体育館でさっそくボランティア活動を始める学生、外で何が起こっていようとも毎日大学に来て公務員試験の勉強を続ける学生、4月からの就職の準備を進める学生、友人を福島に残して自分だけ県外避難したことに罪悪感を持って教員にその思いを伝えてくる学生、研究対象であった飯舘村の知り合いを訪ねる学生、何かボランティアをしたいが実際にどういう行動をとればよいのかわからないと相談を寄せる学生…などなど、混乱のなか、学生たちも自分のやるべきこと、進むべき道を模索し始めていた。このころ、学生に対して自分に何ができるのか具体的に思いついたわけではないが、自分が何かをするとしたら「何のために」か、ということについては、少し見えてきたように感じた。

□学生による学長への要望書提出

(つづく)
スポンサーサイト



原発事故子ども・被災者支援法の特徴と問題点

昼の震災対策室からこんにちは、しみず@ブログ庶務担当です。

某Pさんに、「最近記事書いてないでしょ!」と怒られてしまいました・・・(Pさんはどうなんだ・・・笑)。

というわけで、今回は、昨年6月21日に成立した「原発事故子ども・被災者支援法」について検討してみたいと思います(条文はこちら、今日でちょうど1年です!)。

この法律は、避難指示区域外の住民に「避難するか居住を続けるかの選択権」を認め、そのための支援を国に義務付けた画期的な法律です。
原発事故による被害は現在進行形であり、「被災者に寄り添う」という視点に立てば、同法の成立は、非常に重要な意味を持つはずです。
しかしながら、復興庁幹部のツイッター騒動で広く世間に知られるようになった通り、この法律の対象地域等を具体化するはずの、政府の「基本方針」は、いまだに策定されていません。
その結果、自主避難者等に対する国の支援は全く進んでいない状況です。

このような行政実務には、「看過しがたい過誤欠落」があると思わざるを得ません。

実は、この法律については、おやの本来の専門である「行政法」と密接に関わっていることもあり、法律の制定当初から非常に注目していたのですが、多忙にかまけて(?)、記事にしてきませんでした…僕が記事を書いていればと思うと…(そんなに影響力強くないよって突っ込みはナシで)

そこで、今日は、贖罪の意味も込めて、行政法学の視点から、同法の特徴と問題点、そして行政実務のあるべき姿を整理してみたいと思います。
(本ブログで専門に関わる記事を書くのは二回目なので、まだちょっと緊張しています(^^ゞ)


*******


1. 原発事故子ども・被災者支援法は、原発事故被災者の生活支援施策について、その基本事項を定めることにより、同施策の推進と被災者の不安解消・安定生活実現に寄与することを目的としています(1条)。
この法律は、原子力政策を推進してきた国の社会的責任に鑑みて、国に対して施策の実施を求めており、「国民のために役所を縛る法律=行政法」であると整理することができます。


2. この法律の第一の特徴は、「放射線の健康に及ぼす危険が科学的に解明されていない」ことを認めていること、そして、そのことによる被災者の「不安感」を正面から取り上げて、「不安の解消」を目的に掲げていることです(1条)。
ここからは、国は、放射線被害の科学的不確実性を踏まえ、国民の「安全」にとどまらない「安心」を実現するという前提に立って、生活支援施策を進めなければならないことになります。
この点、たしかに、「不安感」という個々人の主観的な価値観を法目的に書き込むことは極めて異例です(3.11以前の例として、ハンセン病問題解決促進法3条など)。
しかし、放射線被害の科学的不確実性からは、個別の被災者に寄り添って、各々の被災者が個別に抱える問題に真摯に向き合う姿勢が、国には求められるはずであり、そのことを確保すべく、本法も法目的として「不安の解消」を立法化したものと言うことができます。
こうして、この法律は、予防原則(=被害発生が科学的に不確実でもその恐れがある以上リスク低減策をとるという考え方)を採用しているわけです。

次に、この法律の第二の特徴は、被災者支援施策の対象者が、避難に関わる指示のある地域からの避難者に限定されていない点です。
具体的には、避難指示基準を下回っているが一定基準以上の放射線量を計測する地域を「支援対象地域」とした上で、同地域の在住者(8条)、同地域からの自主避難者(9条)、同地域への帰還者(10条)に対する生活支援施策を講ずるものとしています。
これらの規定は、上記の法目的に照らして、この法律の「被災者」の範囲を避難指示地域からの避難者以外にも広げるとともに(自主避難者等)、被災地に留まる被災者、被災地から離れる被災者、被災地に戻る被災者、それぞれの価値観を尊重して被災者支援施策を実施していくという趣旨を明らかにしているということができるでしょう。

続いて、この法律の第三の特徴は、被災者支援施策の実施にあたり、子ども、妊婦に対して特別な配慮がなされなければならないとしていることです(2条5項)。
実際に、子ども・妊婦に対する支援施策として、その生活領域における優先的除染(7条)や学校給食における放射性物質検査(8条3項)、生涯にわたる健康診断(13条2項)等が、具体的に規定されています。
この法律は、放射性物質の影響を特に受けやすいとされる子どもや胎児について、一般の被災者と比較してより特別な配慮をすることを明らかにしており、子ども・胎児に対する特別な支援を求めていく上で、法的根拠を提供するものということができます。


3. 以上の点で、この法律は非常に画期的な側面を持っているということができますが、他方で、この法律は、あくまで被災者支援の基本的な方向性を提示しているにとどまる条文が多く、実際に自主避難者等の支援策を実施するには、行政による施策の具体化が必要です。
別の表現をすれば、行政による施策の具体化がなければ、この法律の理念は画餅に帰すことになってしまうということです。

この点、具体的な施策は政府が定める「基本方針」に基づいて行われることになっており(5条)、基本方針は「定めなければならない」ものとされています。
他方で、この法律は、「いつ」「どのような具体的内容を」基本方針として定めなければならないかについては、何も書いていません。
その結果、現在まで基本方針は策定されておらず、「支援対象地域」の範囲ですら確定されていないため、この法律に基づく支援策は全く動いていません。

結局、この法律の最大の問題点は、行政を適切に動かさなければ法律の理念を実現できないこと、そして、それにもかかわらず、行政をどのように動かすかについて法律が沈黙してしまっていることにあります。
法律の条文上は、どの地域がこの法律の対象となるかを決めることも、さらには、その判断を先送りにすることも、政府のさじ加減で出来てしまうというわけです。
もう少し専門的な言葉でいえば、この法律が行政に広く裁量判断の余地を与えているため、不適切な裁量判断(=基本方針策定の先送り)がなされていても、それを違法だとは言いにくい、ということです。


4. では、「基本方針策定の先送り」という行政実務は、はたして許されるのでしょうか(社会的に、ではなく、法的に)。

私見では、「否」、つまり、これ以上の先送りは違法であり許されないと思っています。
 
たしかに、被ばくリスクに関わる行政の専門知識、放射能汚染に対する臨機応変な行政対応の必要性、行政リソースの有効活用といった事情に鑑みれば、基本方針の策定時期や策定内容について、一定程度の行政裁量を許容すべきということはできそうです。
この法律が広く行政に裁量を与えているのも、そのような実質的理由に支えられているのでしょう。
しかしながら、そもそも、行政裁量とは、「法律が行政に対して与えた自由な判断の余地」のことですから、法律が行政に与えた権限の枠内でのみ許されるもののはずです。
以前、電気使用制限についての記事でも触れたことがありますが、行政の裁量判断は、根拠法令・関連法や憲法・社会の一般常識から導かれる「裁量行使の法的指針」に沿っていなければ、違法となるのです。
そのため、原発事故子ども・被災者支援法の下での行政判断についても、同法の趣旨や関連法・憲法等から導かれる法的指針に適う形で、適切な時期に、適切な対象者に、適切な施策を実施しなければならないはずです。

このとき、「基本方針策定の先送り」という行政実務は、「策定時期」をめぐる裁量判断が適切なのかどうかという問題と捉えることができます。以下、もう少し詳しく考えてみましょう。

まず、原発事故子ども・被災者支援法は、「先送り」について何も述べていません。
しかし、5条が「(基本方針を)定めなければならない」と規定していることや、基本方針を定めなければこの法律の理念は実現され得ないという法構造からは、基本方針の策定を無期限に先送りにできないことは明らかです。
そうすると、どの程度の期間までであれば、裁量判断として「先送り」を許容できるかが問題となります。
この点については、残念ながら、絶対的な基準はなさそうです。
基本方針として定める事項に関わる情報収集等にどれくらいの時間がかかるのか、他の原子力災害対応施策との関係で基本方針の策定がどの程度優先されるべきか等について、はっきりとしたことは言えないからです。
だからこそ、ここまでの「先送り」が黙認されてきたということもできるかもしれません。

ただし、相対的な基準としては、同じような法構造を持つ放射性物質汚染対処特別措置法の下での行政実務が参考になると思われます。
放射性物質汚染対処特別措置法は、除染行政等の根拠法ですが、この法律も、具体的な施策は、内閣の定める「汚染対処の基本方針」(7条)に基づいて行われることになっています。
そして、この「汚染対処の基本方針」は、法律が制定されてからわずか2ヵ月半で策定されています。
放射性物質汚染対処特別措置法も、原発事故子ども・被災者支援法も、いずれも、現に人が居住している地域の放射能汚染対策を主要な内容とする法律です。
そのうち、片方の基本方針が2ヵ月半で策定されているにもかかわらず、もう片方の基本方針が1年たっても策定されていないというのは、憲法14条から導かれる平等原則の観点からも、明らかに異常ではないでしょうか。
「2ヵ月半と1年の差」を説明できる合理的な理由がない限り、原発事故子ども・被災者支援法に基づく基本方針の未策定は、違法との評価を免れないと思います。


5. では、さらに一歩進んで、行政実務のあるべき姿として、どのような内容の基本方針を定める必要があるでしょうか。ここでは、とりあえず、喫緊の課題となっている「支援対象地域の範囲」について取り上げることにしましょう。

支援対象地域の範囲をめぐっては、現在、年間1m㏜以上の線量を計測する地域にするという案と、同5m㏜という案が対立しています。
前者の案は、日弁連やNPOが支持していますが、政府は、後者の案も検討していると言われています。
ちなみに、前者は、一般公衆の年間被ばく線量限度の基準であり、かつ、放射性物質汚染対処特別措置法に基づく除染対象となる「汚染状況重点調査地域」の設定基準です。これに対して、後者は、飲食等の日常生活が禁止される「放射線管理区域」の設定基準とほぼ同レベルです。

私見では、支援対象地域は、除染対象地域とバランスがとれていることが重要であり、1m㏜基準が適切な結論です。
すなわち、「除染が必要な地域」=「除染なしに居住すべきでない地域」=「避難するか除染を待つかの選択権が認められる地域」という発想です。

この点については、年間1m㏜が「通常時の」一般公衆の被ばく線量限度とされていることが問題になりえます。
すなわち、「事故後の」対策という意味での基準は、支援対象地域についても、除染対象地域についても、もう少し高い線量でもよいのではないかという議論が考えられるのです。
しかしながら、原発事故子ども・被災者支援法は、既に述べたとおり、予防原則を採用しています。そうである以上、1m㏜基準こそが妥当といえそうです。
(この点については、本当はもう少し詳細な議論をすべきなのですが、諸事情〔学生のみなさんに対する教育的配慮です←笑〕により、後日改めて検討させてください)


6. 本日で、原発事故子ども・被災者支援法の制定から、ちょうど1年がたちました。
基本方針が早急に策定されること、そして、読者のみなさんがこの法律に少しでも興味を持ってくれることを期待して、本日はこれにて筆をおきたいと思います(長文乱文駄文失礼しました…orz)。

WBC(ホールボディカウンター)を無料で受けられます!

 こんにちは。寒い冬の日曜日、おひとりさまのぴたです。こんにちは。
 このたび、体内に取り込まれ残留している放射線量を知ることができるホールボディカウンター検査を受けられる体制を整えました。
 ドイツからの義援金(を大学に「奨学寄付金」として入れていただきました!)をもとに、ひろやすとぴたが、「NPO法人 CRMS市民放射能測定所 福島」(⇒詳しくは、コチラ)の協力のもとで企画、実施するものです。
 本来国が、あるいは県が、あるいは市が、もちろん大学が、被災地で生活する人すべてに自らの被ばく量を知る機会を保証すべきだと思うのですが、そうしたところが動くのを待っていては、いつまでも動きません。現在福島県内では、WBC検査をうけることのできる機関はいくつかありますが、県外在住の学生も含め、福島大学生が、直ちにかつ自由、無料で受けることができる仕組みにはなっていません。
 今後、本来責任のある組織を動かすためにも、まずは、市民による市民のための方法として、私たちができることをやろうというのが、今回のプロジェクトの趣旨です。
 実施にあたって大学当局からは、

①このプロジェクトがひろやすとぴたの(と大学がいうわけもなく、「塩谷・大黒の」といっていますが…笑)個人プロジェクトであること
②検査を受けるかどうかは、学生の自主的な判断を尊重すること

 というキツいお達しを受けています。
 とりあえず「行政政策学類生が対象」、ということになってはいますが、他の学類の学生さんを排除するものではありませんし、教職員のかたも受けていただけます。まずは、「事前研修会」に参加いただいて、放射線防護の取り組みについて学んだうえで、検査をうけ、みなさんそれぞれの放射線防護に役立ててください。

************
「CRMS市民放射能測定所 福島」と連携したWBC検査の実施について

行政政策学類 塩谷弘康・大黒太郎

 東京電力福島第一原発事故から1年9ヶ月が経過しましたが、私たちの周りでは、平常時と比べて依然として高い放射線量が測定されています。福島大学では、学生の放射線防護対策として、キャンパスの除染や放射線量計の貸出、ガイドブックの作成等を行っていますが、それだけで被ばくを低減させることはできません。みなさんが、放射線や放射線防護に関する正しい知識を身につけ、自分の被ばく状況を把握し、不必要な被ばくを回避する努力を行っていくことも大切です。
 今年度、行政政策学類では、「放射線防護教育アーカイブ化事業」を実施しています。わたしたちはその趣旨をさらに発展させて、「NPO法人 CRMS市民放射能測定所 福島」と連携して、WBC(ホールボディーカウンター)検査を実施することとしました。

WBC検査によって、体内に取り込まれ残留している放射線量を知ることができますが、現在、福島市では、だれもがこの検査を受けることができる体制は整備されていません。検査を受けるかどうかは「任意」ですが、貴重な機会ですので、皆さんの放射線防護に役立ててください。

○ 事前研修会

WBC検査を希望する方、興味がある方は、事前研修会に参加してください。放射線被ばくの現状、WBC検査の仕組み、方法などを説明し、検査の受付も行います。

第1回研修会   1月9日(水)  13時~14時30分   M-24教室
第2回研修会   1月12日(土)  13時~14時30分   M-24教室
第3回研修会   1月16日(水)  13時~14時30分   M-21教室
※ 内容はいずれも同じです。都合の良い日に参加してくだい。他学類の学生や教職員の参加も大歓迎です。また、研修会への事前申し込みは不要です。

○ WBC検査の実施

行政政策学類生を対象とした集中検査期間は、2月12日(火)~28日(木)を予定しています。
※今回のWBC検査は、年齢を問わず「無料」で実施されます。ゼミ指導教員も一緒に検査を受けてみてはいかがでしょうか。
※上記期間に検査を受けることができない場合は、ご相談に応じます。

○ お問合せ先

今回のWBC検査は、教員の大黒・塩谷の個人プロジェクトとして実施します。
不明な点がありましたら、下記までお問い合わせください。
a027@ipc.fukushima-u.ac.jp (大黒)
shioya@ads.fukushima-u.ac.jp (塩谷)

キッチンガーデンビル・オルタナティブスペース整備計画、スタート!

 こんにちは。昼の研究室から、お久しぶりのぴたです!
 ぴたが皆さんの前から姿を消してから、はや数カ月…
 大変な数カ月を経て、そして、ひとまわりもふたまわりも大きくなって(太って=体重激増…笑)、ぴたが戻ってきましたよ。
 いろんな活動をしてきましたが、全然みなさんに報告できていませんね。すいません。
 今日はひとつ、学類としての取り組みのお知らせをさせていただきますね。
 福島駅東口の駅前商店街内に、学生の活動拠点ができることになりました!
 福島大学生だけの場所ではありません。
 今の福島で必要とされていることは何かを考え、実践しておられる方は様々です。
 そうしたみなさんに、ぜひ積極的にかかわっていただきたいと思ってます!

******

行政政策学類では、来る11月7日(水)午後1時半から、

 ふくしまキッチンガーデンビル2階オルタナティブスペース整備計画第1回フォーラム
アウェイとホーム-福島と東北・日本を結ぶ試み

 を開催することとなりました。

ご案内
<第一回フォーラム:アウェイとホーム>


 本学類では数年前から、福島市の中心市街地に学生や教員が、そのゼミ活動や地域活動の拠点とできるような場所を探してきましたが、今年10月から、福島駅東口のJAキッチンガーデンビル(旧・博向堂ビル)の2階のワンフロアを、学生や市民が描く「夢」を実現できる場所にするべく、整備を進めることにしました。
 かつての博向堂書店の在庫倉庫として利用されていたかなりの広さのあるオープンスペースです。

 しかし、「学生や市民が自由に使えるスペース」というだけでは、おそらく有効な活用はできないでしょう。
 このスペースをうまく活用して、いろいろと面白いことを仕掛けていかなければなりません。
 また、震災後の福島だからこその活用、仕掛け、コンテンツも考えなければならないと思います。
 そのためには、本学類の学生ばかりではなく、他学類、他大学の学生のみなさん、さらには、県内外の市民のみなさんとの協働を広く呼び掛けなければなりません。
 
 今回のフォーラムは、キッチンガーデンビル2階というスペースの有効な使い方を考えるための第一歩です。
  また、このスペースを使って、商店街の活性化、文化を通じた復興支援、福島からの情報発信、学生同士の交流、被災者が集う機会の創出、新規事業の立ち上げ、工房やギャラリーとしての活用、福島とかかわりを持ちたいと考える人々の結節点の創出、などなど、今の福島で必要とされている活動をじっくり考えるための機会にもなります。

 これまで、「芸術家や技術屋さん、学生が集まって、作品を生み出すアトリエとして使いたい」、「ギャラリーとして利用したい」、「被災者や高校生が気軽に立ち寄れる場所にしたい」、といったアイデアが少しずつ出てきています。みなさんや学生さんのアイデアをぜひどんどん出していただき、それを取り入れながら、魅力的なスペースにしていきたいと思ってます。

 パネリストとして、各地で空き家の活用や建物再生企画、またシェアオフィスの実践をされてきた方々をお招きしています。
 近年、中心市街地の空きビルや空き家を活用して、商店街の活性化や若者が集う街づくりなどを目指すプロジェクトが注目も浴びています。こうした取り組みに学び、自分たちのオリジナルな展開を目指して行きたいと思います。

 当日のフォーラムのあとには、参加者のみなさんを集めて、今後スペースの活用を実践してくれるグループを作りたいとも思っています。何か面白いことやってみたい!と思っている方は、ぜひご参加ください!

 なお、キッチンガーデンビル1階では、近く、「かーちゃんの力プロジェクト」として、街中農産物直売所+カフェをオープンします。1階のカフェや直売所と連携した取り組みも可能になります。

 多くの皆さんのご参加をお待ちしています!

**********
◎ふくしまキッチンガーデンビル2階オルタナティブスペース整備計画

第1回フォーラム
「アウェイとホーム 福島と東北・日本を結ぶ試み」

<日時>11月7日 13:30〜16:30
<講師>野田恒雄氏・藤城光氏・柿崎慎也氏
<司会>川延安直(福島県立博物館学芸員)
<会場>ふくしまキッチンガーデンビルビル2階(福島県福島市栄町10-3)
<内容>
○講演 
野田恒雄氏 「アウェイとホーム」(仮称) 13:30〜14:30
○報告
藤城光氏 「いわきの声・ふくしまの声を紡ぐ」14:45〜15:15
柿崎慎也氏 「クリエイティブ•シェアオフィスの可能性」15:15〜15:45
○フリートーク 15:50〜16:30

・参加費:無料
・定員:50名
・共催:ふくしまキッチンガーデン運営協議会/国立大学法人福島大学行政政策学類

<講師略歴>
○野田恒雄氏
福岡市在住 no.d+a(number of design and architecture)代表、TRAVELERS PROJECT事務局TRAVEL FRONT主宰。店舗や展覧会・舞台美術のデザイン・ディレクションのほか、「冷泉荘」「345project」「紺屋2023」等の建物再生企画・運営を行う。
○藤城光氏
いわき市在住。多彩な手法で表現活動を展開するアーティスト。いわき市で聴き書きのプロジェクトPRAY+LIFEを展開中。
○柿崎慎也氏
仙台市在住。仙台クリエイティブ•クラスター•コンソーシアムプロデューサー。クリエイターと地域企業とのマッチング、ネットワーク及びアーカイブ構築プロジェクトに携わる。クリエイターのためのシェアオフィス「TRUNK | CREATIVE OFFICE SHARING」事業立ち上げ及び運営を担当(2009-2012)。

<問合せ先>
ふくしまキッチンガーデン運営協議会
国立大学法人福島大学行政政策学類
FKGフォーラム実施委員会
Tel/Fax:024-548-8026
Mail:a027@ipc.fukushima-u.ac.jp

「ラッキードラゴン」と「ラッキーアイランド」

夜室長のひろやすです。こんにちは。
二十世紀アメリカを代表する社会派リアリズム画家として知られる、ベン・シャーン(1898~1969年)の20年ぶりの回顧展、「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」が、現在、福島県立美術館で開催されています(7月16日まで)。公式サイトは→コチラ

ベン・シャーンと言えば、日本では、1954年3月1日、ビキニ環礁付近でアメリカの水爆実験によって被ばくさせられた遠洋マグロ漁船「第五福竜丸事件」を題材にした、「ラッキードラゴン・シリーズ」の作者としてよく知られています。

ベン・シャーンの絵に、詩人アーサー・ビナード氏が文をつけた絵本
『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)

kokogaieda.jpg

そして、その中でもっとも有名な作品、9月23日に原爆症で亡くなった無線長・久保山愛吉さんを主人公とした作品「ラッキードラゴン」は、福島県立美術館が所蔵しています。詳しくは→コチラ

詳しい経緯は分かりませんが、英訳すれば、「ラッキーアイランド」の福島に、「ラッキードラゴン」の絵があるということに、運命的なものを感じてしまいます。

原爆や水爆といった「核」は戦争の象徴であり、ヒロシマ、ナガサキ、そして第五福竜丸を経験した「唯一の被爆国」日本は、反核・平和運動を進めてきたわけですが、しかしその一方で、同じ核の平和利用を進め、狭い国土、地震大国に多数の原子力発電所をつくりあげてしまいました。

アーサー・ビナード氏は、原発事故の6日前の昨年3月5日に、「原爆の図 丸木美術館」で、第五福竜丸の元乗組員、大石又七さんと対談し、「人類はみな、第五福竜丸に乗っている」と語ったそうです(→コチラ)。

これも偶然なのでしょうか?

ozawa.jpg
小沢節子『第五福竜丸から「3.11」後へ 被害者 大石又七の旅路』(岩波ブックレット)

今回の美術展は、昨年12月の神奈川県立美術館(葉山)を皮切りに、名古屋市立美術館、岡山県立美術館と巡回し、この6月から福島県立美術館で開催しているのですが、福島にだけは、アメリカの複数の美術館が所蔵している作品がきませんでした(朝日新聞2012年2月26日付)。

この事態に対して、詩人の和合亮一さんが、ツイッターで詩を書いています(→コチラ)。


・ベン・シャーンよ、あなたは、何を想う。あなたの手がけた絵が、福島に届けられなのだ。私は悔しい。ベン・シャーンよ。あなたは、何を想う。私は、悔しい。

・「米美術館 原発の状況考慮」 米国の美術館 7館が 所蔵作品 69点 出品停止 あまりに悔しくて 指が 震えて キーが打てない

・ベン・シャーンよ あなたの精神は このようにも あなたの精神の外に置かれている 人間とはかくも恐ろしい 芸術すら 殺されていく 

・私は 6月に 福島県立美術館の展示室で あなたの絵に 再会するのを 葉山で会った 全ての あなたの真顔と 横顔に会うことを ずっと 心待ちにしていたのだ

・あなたが 裏切ったのか あなたの 絵が裏切ったのか あなたの未来が 私たちを 裏切ったのか ひどいじゃないか私は 涙と指の 震えが止まらない 

・いや ベン・シャーンには 何の罪もない ならば 問う なぜ ベン・シャーンの 全ての絵が 福島には来ないのか

・ベン・シャーンの 精神性こそが 福島とそれをめぐる時間に 最も 必要なことだ

・風は裏切るか 空は裏切るか 海は裏切るか 雲は裏切るか 裏切らない ベン・シャーンが描いた 風は 空は 海は 雲は 人は 街並みは 愛は 強さは 悲しみは 心は 慈しみは 人生は 正しさは 誠実さは 子どもたちの 髪の分かれ目は 路地裏の風は 約束は裏切らない なぜだ

・なぜ 福島の私たちに 「ベン・シャーン」の全てを 与えてくれないのか この世に 芸術は存在しないのか 正義は存在しないのか 私たちは存在しないのか 悔しい

・奪わないで欲しい 私たちから「ベン・シャーン」を 

皆さんも、この悔しさを胸に、ベン・シャーンの精神を求めて、福島県立美術館に行ってみてはいかがでしょうか。