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ガンバロウ福大!行政の「結」

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震に端を発する東日本大震災をきっかけに、福島大学行政政策学類の教員有志でブログを開始しました。福大行政に関わる情報共有・情報発信の場として、このブログが、読者のみなさんとわたしたちの、また、みなさん同士の結節点になれば嬉しいなと考えています。一緒に手を携えて、この難局を乗り切っていきましょう。     (2012年3月26日記)

震災後の福大生―ぴたは政治学者か えーウソでしょ~!(2)つづき

 ぴたです。おはようございます。
 GWで学生が大学にほとんど残っていないので、学内も寂しいです。
 先週、大学近くの集落「田沢」地区を訪ねてきました。地区活性化協議会のみなさんと、僕と、そして、ゼミの学生との協議です。
 今年は、「たざわさんず」という直売所運営のお手伝い、さまざまな「手業」をもつ集落内の皆さんへのインタビューと実習、集落のみなさんが作る茅葺屋根の東屋づくりなど、を一緒にやらせていただくことになっています。
 こういう場面では、「現場にいる」、という感覚が、強くします。
 学生がいると、集落のみなさんもうれしそうです(僕一人のときとは違います…笑)。
 学生も、いつもと違う雰囲気に戸惑っているようですが、一歩前に進んだような感じがします(研究室でのんきにお菓子を食べているときとは違います…笑)。
 教員として、「がんばらなきゃなー」、と思う瞬間です。
 前回の続きです。今考えると、究極の状況の中で、学生さんも、そして行政政策学類も、ずいぶん頑張ってたなあ、と感慨深いものがあります。

*****
□学生による学長への要望書提出

 4月19日の評議会で大学執行部は、5月の連休明けに大学を再開することを決定した。行政政策学類は大学の早期再開には慎重な立場をとっていたが、全学であれ学類であれ、大学再開の方針が教員のイニシアティブで決められていること、学生の意見や判断が尊重されていないことに危機感をもった私たちは、大学の再開に関して学類生たちがどのような意見を持っているのか、その意向調査を行うこととした。4月11日から18日の間で実施されたこのアンケート(記述式)には181人からの回答があった。

 当時、原発の状況が安定するまで大学再開に反対であった私にとって、意向聴取の結果は大きな驚きであった。予定通りの大学再開(5月9日「新入生を迎える会」、5月12日通常授業開始)に賛成83名、反対42名、どちらでもない56名で、全体の46%が大学執行部の方針に賛成だったからである。回答者は新4年生(4月から4年生)の割合が多く、そのうえ新4年生の賛成率は66%、新3年生が35%、新2年生が40%となっており、卒業が近い4年生に「通常」への復帰の意向が強いことが分かった。しかしながら、より詳細にこのアンケートを読むと、「賛成」としている学生にあっても、実際には様々な不安を抱えており、無条件で賛成という学生は少ない。また、賛成、反対、どちらともいえないという3つの回答に共通の要望として、①大学側が学生に対して説明責任を果たすこと、②原発事故や余震に対して十全の準備をしておくこと、③授業に出られない学生に対する特別な措置が必要であること、が読み取れる。どれももっともな要望ばかりであった。大学再開の日程が迫るなか、私たちがやるべきことはまず、こうした学生の要望に応えることだった。

 そんななか、学生の間からも次第に、大学の再開にあたって学長に要望書を提出しようという機運が高まってきた。とくに、震災後も県外出身の学生が多数残っていて、震災直後は食料や情報の共有などで学生同士の協力関係が深まっていた学生寮や、避難指示を受けた飯舘村を研究フィールドとしていた大学院生が中心となって、学生の意見や要望をまとめ、それを学長に届けようという活動が始まった。彼らは、震災以降たびたび行政政策学類震災対策室に出入りしており、そして私たち教員が学生の意向聴取を行ったことに刺激をうけ、全学の学生団体を動かして福島大学生の意思を示そうと積極的に動き始めた。私は、この動きのとりまとめ役を担った地域政策科学研究科の木村義彦さんのかつてのゼミ教員だったこともあって、学生間協議に供する原案の作成や意見の集約、要望書への反映などについて、よく話し合っていた。

 福島大学には、長らく続いてきた「三者自治」の歴史がある。学生、職員、教員の三者が対等な立場で、大学運営に関わろうという理念は、毎年1回開かれる「キャンフェス」というイベントに具体化されている。「キャンフェス」では、その年のテーマに合わせて、三者が同じテーブルで議論し合う。学長選挙や学類長選挙でも、教職員の選挙に先んじて学生の意向投票が行われ、教職員はその結果を踏まえて最終的な投票を行うのである。大学再開直前の5月6日に学長に提出された「安心安全な学生生活確保のための要望書」も、そうした伝統のなかで書き上げられ、提出されたものである。この要望書には、4学類の学生自治会代表、3大学院研究科の学生自治会代表、3学生寮長、サークル連合会代表というすべての学生団体の代表が名前を連ねた(全文は→コチラ)。短期間で「すべての学生からの要望書」をまとめ上げた木村さんの手腕には脱帽するしかない。また、要望書は直接、学長に提出されている。震災後に、寮生の家族が福島に残った自分たちのことを心配するだろうから、という理由で、葵寮(女子寮)の出来事を積極的にブログ公開してきた松波さんは、私たちとの話し合いのなかで出てきた、「アポなしで学長を訪問し、要望書の受取りの様子を録画してくる」というアイデアを、難なく実行してきた。事前に訪問を申し込んだり、録画の許可を取ろうとすると、事務職員が同席して文書を受け取ったり、録画を拒否されたりするだろうから、あくまでアポなしで、かつ学長室に到着する前から(つまり、学長に録画の許可を取らずに)録画を始めることにする、というアイデアの勝利であった。「言い訳が多かった学長」が「『おっしゃるとおりです』ばかりを連発していた」(ともに松波さん)というこの動画(非公開)は見るものを不安にさせる。学長の頼りなさと、木村さんや松浪さんたち学生たちの自信にみちた積極性との鮮やかなコントラストが眩しかった。

□放射能を学ぶ

 福島県に原発が集中的に立地していることを知りながら、その社会的背景や危険性に鈍感であった私は、放射能が身近に迫ってくるまで、その物理的な特性や人体への悪影響について漠然とした知識しか持っていなかった。原発爆発後は、テレビやインターネットでさまざまな立場の多くの情報があふれ、冷静に放射能のことを学び考える環境にはなかった。あるときたまたま、京都大学原子炉実験所の小出裕章先生の解説を聞いたことがきっかけで、小出先生の本を読み、解説DVDを見てみると、震災以前からの地道な行動と穏やかな語り口には説得力があり、それ以降、小出先生の発言はできるだけ見逃さないようにしていた。そんな折、小出先生の解説DVDを購入した映像制作会社から連絡があり、福島でDVDの上映会を開きたいが協力してもらえないか、という。小出先生の解説をぜひ多くの人に聞いてもらいたいという思いがあって、この申し出を受けることにし、3月までゼミの担当をしていた1年生(このときすでに2年生になっていたが)数名に、「手伝ってもらえないか」と声をかけた。会津若松出身の高畑さんと宮城県出身の曽田さんが心よく引き受けてくれることになった。高畑さんによれば、「何かしらのボランティアをしなければならないが、いざ何をすればいいのかという問題を前に悩んでいた」らしく、できることなら何でも、という考えだったらしい。学生たちは、5月21日福島駅前「コラッセふくしま」、5月22日二本松市男女共生センター、5月25日福島大学の3会場での上映会に協力し(上映会は県内7か所で開かれた)、彼らにとって震災後初めての「ボランティア活動」となった。

 興味深かったのは、この活動が、学生たちにとっては「何かのお手伝いをした」、というよりも、自分たちにとって新しいことを学んだ、これからもっと学んで行きたい、と思うきっかけとして受け取られたことであった。このお手伝いを契機に、「何も知らなかった原発と放射能に関して自分たちでさらに勉強していきたい」、という彼らは、行政政策学類に用意されていた「学生企画科目」という授業科目を立ち上げることを申請し、認められた。この科目は、学生グループが学びたいテーマを設定し、1年をかけてそのテーマに取り組むもので、研究計画とメンバーに教員1名を入れて申請し認められれば、最大10万円の予算が付くという学類の目玉科目の一つであった。彼らはこの科目に、「侍として考える―外からのふくしま、内からのふくしま、君の心のふくしま」というタイトルを付けた。「侍」というのは、この授業科目のキャラクターを作ろうと描いた絵が「侍」に見えたから、という身もふたもない理由から名づけられたものだが、その副題は、会津若松出身、宮城県出身という「外」からの視点と、福島に住む大学生という「内」からの視点が往々にしてずれているのではないか、という問題意識から名づけられている。そのズレがどこから生まれるのか、それを解明して、最後には「内」「外」のズレを克服した自分なりの「君の心のふくしま」を得たい、というのである。気が付いた時には、私もメンバーの一人にとして申請書に名前が記載されていた。

 「侍プロジェクト」(名称としては「君の心のふくしまプロジェクトの方が相応しいが、いかんせん長すぎる…)はその後、プロジェクトのきっかけとなった小出裕章先生に直接話を聞きに行くことを目標に、さまざまな企画を立てた。福井県敦賀市の原発の見学、浪江町から大阪に避難している方との面談とインタビュー、敦賀市議でさまざまな妨害を受けながらも市議として反原発運動を続ける今大地晴美さんや日本科学者会議福井支部代表幹事の山本富士夫さんの訪問とヒアリング、モンゴルの核廃棄物処分場問題に取り組む大阪大学今岡良子先生のゼミ生のみなさんとの交流など、充実したプログラムが整った。すべて学生の手になる企画である。

 浪江町からの避難者の方が、避難先の会津若松で、「放射能汚染が怖いということで宿泊を断られた」という話をした際に冗談半分で使った「会津は敵だ」という言葉に、会津若松出身の高畑さんがひどく困惑し、自宅前に人糞がまき散らされるという嫌がらせを受けたという今大地さんの体験談に全員が唖然とした。福島に残っても非難され、県外に避難してもまた批判される福島県民の悲惨さを悲しみ、避難先の人々のあたたかな支援と優しい心遣いに感激した。また、敦賀の商店街の方が語る「原発なしでは生活が成り立たない」、という厳しい現実、日本の核廃棄物の最終処分場としてモンゴルが狙われているという今岡先生の話など、福島にいるだけでは伝わらないことばかりで、学生とともに私も大きな衝撃を受けた。

 そして、小出裕章先生との懇談。2時間近くにわたる懇談の中で先生は、震災以前から変わらず主張され続けてきた持論に加えて、「福島から来た若い学生たち」だけに語ってくれたことがある。学生たちの正直な「悩み」「愚痴」のようなものへの先生への回答であったが、その後の学生たち、そして私にとっても大きな指針となったことばであった。

 「福島県に住む限り、今日ここに来てくれた学生のみなさんも被ばくは避けられないのです。みなさんがそれを避けられないとするなら、被ばくのリスクをこえる“何か”をつかみ取るしかありません」。

 それ以前の懇談で、「被ばくによるリスクを考えるうえで、大学生は『子供』と考えるべきか、『大人』と考えるべきか」、という私の質問に対して、小出先生は、「大人と考えてよいと思う」、と答えていた。あらゆる被ばくは避けるべきだが、福島に住んで大学生活を送る皆さんが福島に住み続けるという決断をするのなら、「そのリスクを超える何か」をつかみ取れるかどうかが学生のみなさんの人生を決める、という言葉であった。

 「侍プロジェクト」の高畑さんにとって、この言葉は強く印象に残ったようで、「いまでもこの言葉を反芻し、活動を行おうというエネルギーをもらっています」、と当時のブログに書き込んでいる(「侍として考える…のブログ」→コチラ) 。これまで私は、小出先生が、「原発を許してきた大人たちには責任がある。放射能汚染地域の農業と生活を守るためには、大人たちが率先して被災地の野菜を食べるしかない」、と主張していることを知っていた。しかし今回の学生企画による小出先生との懇談で、自分は「原発を許してきた大人たち」であるとともに、原発事故被災地である福島の国立大学で学生教育に携わる一人として、「被災地の野菜を食べる」以上の責任があることをはっきり自覚できたように思う。できる限り被ばくを避ける努力をしながら、にもかかわらず被ばくを免れないとするなら、その「リスクを超える『何か』」を学生がつかもうとすることを、どこまで自分や大学が支援することができるのか…これが、私の責任なのではないか。ドナルドのいうように、学生がつかもうとする「何か」はどんなことでもいいし、学生たちもその模索を始めている。そして、木村さんや松波さんのように、そのための行動を作り出す自信に満ちた積極性は学生に備わっている。だとすれば、自分がやるべきことは、できるだけ多くの、そして多彩なきっかけを作り出すこと、学生が活動するに際しての障害をできるだけ取り除くことではないか。2011年6月の学生とともに実現した大阪訪問の大きな成果であった。


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福大×上智大=??Part 3 フィールドワーク②震災と子供(福島市渡利)

 こんにちは。ぴたです。3月11日6年目を無事に過ごすことができました。なんだか心がざわざわして、この時期に放送される特集番組から目を背け、じっとしていました。こういう態度はどうなんだろう、という疑問はありますが…。放送された特集番組は(録画したので)これから静かに見ようと思っていますし、この時期に届いたお手紙やメールには、少しずつ答えていこうとは思っています。
 さて。
 ぴたの不手際で、すでにアップしていたフィールドワーク報告②震災と子供(福島市渡利)が、勝手に削除されていました!
 すみません。
 そこで、順番が逆になってしまったのですが、再度、掲載させてもらいます。
 今回は、「震災と子供」がテーマです。
 報告書には、いろんな画像があって、無邪気な学生たちと子供たちの楽しそうな笑顔に癒されるのですが、今回は、画像は削除のうえ掲載します。
 それにしても、大学生って…本当に自然に「子供」にもなって遊ぶこともできるし、「大人」としての客観性をもって分析することもできる、という絶妙な存在なんですね。ぴたも、そのなかから、たくさんのことを、おすそ分けのように学んでいます。
 
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「震災と子供班」~交流企画について~
福島大学行政政策学類 大黒ゼミ
上智大学ドイツ語学科 木村ゼミ

○背景:
福島第一原発事故問題に関して、今後の復興発展のためにも人口問題、とりわけ子供について考えることは大切である。今回震災が子供に与えた影響はいかなるものだったのか。震災直後は、外で遊ばせれば放射線の不安、室内に留めると肥満の問題が付きまとう、避難したくてもできないなどの葛藤を持っている人がいるなどのあらゆる情報が流布した。そこで実際に事実と錯綜した情報の信憑性を、現場で確認する必要があると考えた。今回上智大学の学生と一緒に、福島県で子育てする現場(親・先生)の声を聴き、見ることにより理解を深めたいと考えた。


○目的:【事前認識との〝ズレ″を確認し、今後の課題展望を考える。】
渡利学童保育きりん教室は、普通の学校や児童館とは違い、父母の会主体で運営されている。また指導員自身も福島で子育てする保護者であるため、今回の企画に適していると考え、実際にお話を聞くことにした。
企画前に「震災と子供」に関する考えを福島大学生、上智大学生ともに整理しておいた状態で指導員の話を聞く。また親からの子供と実際に触れ合うことによって現在の福島の子育て事情を認識する。フィールドワーク後は各自の認識のズレを整理し、今後の課題を確認する。


○フィールドワーク内容
時期:2月13日(土)14:00~17:00
場所:渡利学童保育きりん教室
→※【きりん教室は、渡利小学校の東部、小学校から歩いて5分の借家に居を構えています。父母の会が運営主体で1979年から続いている学童保育です。築50年とも言われる古い民家に入りきらないほどの子どもたちが生活しています。2013年4月現在66人の児童が登録しています。平屋建てのせいか、東日本大震災で倒壊することもなく、今でも子供たちの生活の場になっています。】
※『あの日からもずっと福島・渡利で子育てしています。』P66
著:佐藤秀樹(指導員)かもがわ出版

活動内容:
・指導員佐藤秀樹さんから「震災と子供」に関するお話を聞く。
・子供たちと実際に触れ合う。
・保護者に事前にお願いしていたアンケートを回収する。

○話内容

震災直後は、政府などからの避難情報などの明確な指示はなかった。「放射能が飛散しているので子供は屋外に出ないこと」「マスクを着用することにより放射能を防ぐことができる」「長袖を着ることで放射能を防止できる」など不明確な情報が流れた。
3/14からきりん教室が再開した。震災直後2ケ月間は室内で飽きるほどゲームをする。この期間に子供たちはストレスを溜めていた。
毎年の恒例行事である5月の運動会は延期となり、秋から外で遊ぶことになる。(外で遊ぶ系統の行事は秋まで無くなる)また、6年生は中学校に上がる前に初めて主体となって経験するはずであった鼓笛パレード、陸上、水泳できなくなってしまった。
山は除染していないので、恒例の「散歩」(山や河川敷にまで歩いていき、遊ぶこと)がなくなる。歩かない生活をさせることが先生・親として心配となり2013年秋から散歩が再開される。しかし、幼稚園や保育園に通う時期に震災を経験した今のきりん教室の子供たちから「散歩」の経験はほぼ抜け落ちている。また、実際のところはわからないが、1,2歳のころに震災にあった子供たちは、以前は乗れたはずの三輪車に乗れなくなっていたり、坂道が登れない、顔から転んでしまったりが見受けられた。
親としても震災直後は子のためにどうしたらいいのか分からない状態が続いた。避難する人たちは皆さん自主避難の形を取っていた。
すべての行事を行うにあたって、放射線量ではなく、保護者の合意を大切にした。放射線問題に関する見解も人それぞれ違うので、外で遊ぶことを決定する際は親と子の納得できる一致点を探すことを目指した。(運動会など、一人でも外で遊ぶことに反対する親がいたのならば、全員が参加するために体育館で行うことになった。)
食に関して米・野菜も安心して食べている。不安な時は検査を実施する。

先生としてのストレスがかかる場面は、子供が除染していない場所を走ったり、触ったりしたときに注意しなければならないところ。(他県の子供が当たり前にしていることを、福島の子供はできないこともあるという事実。)
国や政府はもう信じられない。東電も国も本当の意味で謝っていないのではないか。
原発は数にならない、お金に換算できない被害を子供たちに与えてしまった。癌が出なかったから良いとするのではない。
子供たちから奪われたものは「日常」であり外部から与えられる「イベント」ではない。回復すべきなのも日常。除染していないところを走ってはいけないと注意する心境。
福島の代表→福島を変えられるのは、福島に住む自分たちだけ。全国の人に福島で起きたことを受け止めてほしい。見守ってください。


○アンケート
上智大学の学生には、震災と原発事故に関する事前認識を確認するため、きりん教室の保護者には、震災後から現在における子供に関するアンケートを実施した。その結果をもとに認識のずれを整理し、今後の課題を確認する。

【上智大学の学生へのアンケート集計】
① 原発事故後の、福島の子育てに関する現状を知る機会はあったか?
  はい 2票(15%) いいえ 11票(85%)

② 「学童保育きりん教室」は渡利地区にあり福島第一原発から北西約60km 離れていますが、現在も放射能の影響で遊べない子供たちがいると思うか? 
はい 4票(30%) いいえ 3票(24%) わからない 6票(46%)

③現在の渡利地区の放射線量はいくらぐらいだと思うか?
  0.1μ㏜~16 ㏜/h までの回答があり、実際に見当がつく人はほとんどいなかった。

④ 原発事故直後の3月15日の放射線量は 24.24μSv/h だったが、もし自分が福島市 渡利で子育てしている親だったとしたら避難するか。
  避難しない 1票(7%) 避難する 12票(93%)
・避難する理由:確かな情報がわからないので、できるだけリスクを減らすため避難する。
正確な情報が手に入るまで一時的に離れた場所に移動する。
・避難しない理由:経済的余裕がないし、移動先で職が見つかるとも限らないため。

⑤子供たちが遊べないことによって、生活にどのような影響が生じると思うか。
→運動不足による肥満児の増加。また肥満児に応じた食生活の変更。室内空間のみでの遊びはストレスを溜める原因となる。電子機器への依存度も高くなり内向的な子が増える。生活リズムの不規則化は精神的・肉体的健康にも被害を及ぼす。


⑥ 原発事故前と事故後/事故後から現在にかけての子どもの食生活はどのように変化 したと思うか?
・インスタント食品・支援物資のお菓子などを食べる機会が増え、栄養バランスの取れていない食生活になる家庭が多かったのではないか。
・常に放射線量のことを考えて、福島県産を避けて食事するようになった。
・福島といっても広いので、汚染されていない地域で取れた野菜を買えると想像した。

⑦育児中の親が抱える子育て問題どんなのあるか
→最も多かったのは子供の遊び場所確保に関する心配。外で遊べないことによるストレスが子供にあるのではないか。また震災を経験した子供に対する心のケアを必要としているという意見が多くあった。
 放射能に関する情報は不明瞭なものも多く、どの情報を信じれば良いのかなども問題となっているのでないかと答えた。

⑧ 今後福島にはどのような支援が必要だと思うか?
・仮設住宅ではなく、確立された生活圏  ・信頼できる情報支援
・県外の人も福島の中を知る、関心を持てるような場、サイト、イベントを増やすこと
・風評被害を減らす対策    ・除染作業の人員的経済支援


【きりん教室保護者へのアンケート】

① 子どもと遊びについて、震災前と震災直後では外で遊ぶ回数が0、つまり遊べなくなったが、震災直後と現在では、遊ぶ回数が増えたという答えが多かった。しかし、遊ばせるにしても渡利地区では遊ばせないなどのルールを独自に設けている家庭もあった。震災後、外で遊ばせるようになったのは、2013年の春からという答えが最も多く、原発事故後2年が過ぎ除染済みの地域が広がったことが要因として挙げられる。

② 子どもの食生活について、原発事故直後は実家などの野菜を含め、福島県産の食材を避けざるをえなかったという回答が多く、しかし現在では福島県産のものでも店頭に並ぶ放射能測定がされている野菜なら安全だと思い購入している、という意見が多かった。
国や行政からの支援について、子どもに関するなんらかの支援があったと答える人は無く、原発事故後の子どもの生活に関するケアは十分ではなかったということがわかった。

③ 渡利に住み続ける理由として、最も多かったのは「仕事」と「地域基盤」の問題であった。放射線の不安がある=引っ越す、と単純には問題は解決できず、ほとんどの保護者が放射線への不安を持ちながらも、転職の問題、保護者の親や地域とのつながりが切れることを危惧し、消去法で渡利に住むことを選んだ人が多かった。他にも理由はあったが、やはり突き詰めるとお金が絡む理由になっており、渡利に「住みたい」からという能動的な気持ちより、住まざるをえないもしくは引っ越し後のリスクを考えた上で選択する人が多いように感じた。

引っ越しする当てがない:親の仕事の問題:仕事、家、親、福島を出ることがすべての面において良いことだとは思えなかったから:転職困難、地域のつながりを捨て遠方に引っ越せば、生活が立ちいかなくなることは目に見えている:渡利に土地を購入、家立てた:今までの生活をすべて捨て避難しようとは思わなかったから:両親が近くに住んでいる、事故後避難したが子供に「家に帰りたいと言われたから」:自分で業者に依頼して除染したから:子供を育てる人的環境が整っていたから。不安や葛藤を抱えながら違う土地で子供を育てるストレスの方が大きい:仕事、渡利に住んでいたから:あまり深く考えなかった:家の返済があるから:仕事、転向させたくない


(1)震災後、国や行政、ボランティア団体などから、子供を持つ家庭への何らかの支援はあったか。
  はい 8票 (57%) いいえ 6票 (43%)
【支援内容】 ※()内は支援団体名
 ・放射能の少ない工場地区の旅館へ安価での滞在
 ・県外へのリフレッシュ旅行(全国医療生協)
 ・所属する幼保小中を通じてミネラルウォーターやバナナ、おもちゃ、マスク、ごみ袋などの配布。定期的なものもあり。(横浜市など)
 ・県外施設への宿泊学習(県)
 ・旅行割引(市役所)
 ・リフレッシュキャンプ
(2)(1)の質問ではいと答えた方への質問
 その支援や内容は十分なものでしたか。
  はい 6票 (75%) いいえ 1票 (17.5%) わからない 1票 (17.5%)
十分だった理由
 ・とてもありがたく、心にゆとりができ気分転換になったから
 ・使用せず余ったものがあったから
 ・親切で子供たちも楽しんでいたから
 ・現在まで、回数や頻度は減ったが継続しているため
十分でなかった理由
 ・企画がたくさんあっても年齢によっては参加できないものもあったから
 ・抽選が多く、希望者の一部しか参加できなかったから
わからない
 ・自分たちを思い実施してくれたのはうれしいが、何かを求めたわけではなかったから
(3)(1)でいいえと答えた方への質問
 どのような支援がほしかったですか
  ・一生不安を背負いながら暮らしていかないといけないため、
それなりの代償をしてほしい
  ・目に見える形での支援
・無料で他の地域に親も一緒に行けるもの
・安全な食材の提供や水の支援
・風評被害を受けないこと



➄今後、子供を持つ家庭として望むことは何か?
・国や行政に対して望む支援
原発の廃止、確実な廃炉や徹底的・スピーディーな除染、経済的負担を軽くしてほしい、情報を発信し続けること、現状を正しく理解してもらうように努めること、問題のすばやい解決方法をはやく示してほしい
・解決方法に関する意見
『県内に住んで居てもいまだにどうしていくべきか、どうするつもりか全然知らない、伝わってこない』
・他県の人に対して望む支援
『「福島」という一括りで人を見ず、偏見や思い込みを持つことなく、多くの人の本音を知ろうとして欲しい』
『これから先子供が大人になったとき、結婚する相手の親から福島の子とは結婚させたくない、などど、言うようなひとがいないといいなと心から願っています。』
『あの「フクシマ」と言われることはもううんざり、ほうっておいてください、静かにしてほしい』
『若い方が知ろうとする思いで行動してくださることに感謝しています』
『他県では、原発事故による汚染土のみならず、他の原発にかかる放射性廃棄物はすでに汚染させている福島県だけで処理すべきとの論調があるようだが、大変残念に思う。これは日本全土の問題と考えてもらいたい。』
『他県に行ってしまった人たちのことも考え続けてほしい』

子どもを持つ家庭として今後国や行政、他県に対して望むこととして、最も多い意見はやはり、除染を早く終わらせて、子どもたちが自由に遊べる環境を取り戻してほしい、であった。他にも国や行政に対して、正しい放射線とその影響に関する情報を発信し続け、正しく理解してもらえるように努め続けることを望んでいた。また、他県の方に対しては、除染されたとしても依然敷地内に除染土が放置されたままで、その問題について他県からは「福島県だけで処理すべき」との論調が強まっているのが、残念で仕方ないという意見があった。アンケートの中で気になったのが、2つの対極な意見だった。それは福島をもっと「知ろうとしてほしい」という意見と「フクシマ」と呼ばれることはうんざりで「そっとしておいてほしい」という意見だ。これは、子どもをもつ家庭だけでなく、福島県民の意見を表しているのだろう。震災から5年経過しようとしている今、福島に対して偏見を持ってほしくない、忘れないでほしいと思う人、静かに福島を見守ってほしいと思う人、私たちは5年前の原発事故から徐々に変わりゆく福島の感情に目を向けながら「復興」を考えていかなければならないのかもしれない。


○参加者の考えたこと、学んだこと

 自分自身震災当時は宮城県に住んでおり、震災直後の福島の子供事情を知る機会はほとんどなかった。佐藤さんのお話・親御さんからのアンケートを見て、「放射能」は子供を取り巻く環境に予想以上の被害を与えていたと感じた。今回常置の学生は初めて福島に来る人が多かった。その誰もが福島県の外の景色を見て、福島の名産を食べ、福島の人に触れ、笑顔になったように思う。親御さんのアンケートにもあったようにこれから頑張るのは福島県に住む私たち自身であることを考えると、これかた私たち若者ができることは「“福島の魅力”を発信し続けること」ではないかと考える。(松浦祐希)

今回のフィールドワークで新聞やテレビなどのメディアでは決して知ることのできない、保護者の方の葛藤や不安、思いを知ることができた。特に私の心に響いたのは保護者の方の『あの「フクシマ」と言われることはもううんざり、ほうっておいてください、静かに してほしい』という意見である。私たちは今回、福島の現状を知り、今後の課題を確認するという目的で、フィールドワークを行ったが、その行動が負担になってしまっていたのか、と思うと今私たちができることは何もないのではないかと思った。もしあるとすれば、今回学んだことを発信し続けることと、佐藤さんの言葉を借りる形になるが、見守り続けることの2つだけだと思う。(櫻井佑樹)

 私たちが普段得ることができた「震災と子供」に関する情報はテレビやなどのメディアがほとんどだ。そのため、ただ日常生活を送っていく中で震災による親の〝葛藤〟などに触れる機会はなく、事前段階での理解は十分なものではなかった。実際に訪問し、アンケート結果や佐藤さんのお話を聴くなかで子供たちにとって失った〝日常〟の代償がどれほど大きなものだったのかに気づかされた。佐藤さんがおっしゃっていたように、今私たちが被災者の方にできることは見守ることなのかもしれない。しかし、それは忘れることではなく、まず知ること、そして二度と繰り返されることの無いように
今後の在り方を考えることではないかと思った。(石田若菜)

 今回のフィールドワークで学んだことは、いかに震災とそれに関わる子供情報が、福島の学生含め若者に届いていなかったか、ということだ。福島にいても、復興に強く関心を持つ者以外は、時折目にするニュースや新聞でしか原発のことを知る機会がない。今回の上智大学の学生へのアンケートは、それを確かに裏付けるものとなった。何事にも行動するにはまず、「知る」ことから始めなければならない。今回、東京と福島に住む私たちは復興に向けて、福島のためにどうしていけばよいかの「第一歩」を歩き出したのかもしれない。(吉田富美菜)

東京と福島、震災から5年経ち、認識の差が顕著に現れてきた。実態を理解しないボランティアとそれに嘆き憤る福島。
 そんな中、佐藤さんは子供の置かれた現実を本やお話を通じて外に伝えようと努力していた。そうした努力は福島に沢山あるのかもしれない。が、残念ながら外まで伝わりきっていない。それに気づいた私達は、福島の現実と東京の幻想を繋ぐ懸け橋になれるのではないだろうか。この合宿が自分達のためで終わるのか、お世話になった福島の方々のためにもなるのか、すべては私達のこれからにかかっている。(宮前勇一)


「震災後、誰を、何を信用していいかわからないから、地域のみんなで意思決定をした」。佐藤さんのお話で最も心に残った一言だった。2011年の運動会も、校庭で行うか、もしくは体育館で行うかどうか保護者間で話し合いがあり、校庭で開催して参加できない子供がいるのであれば体育館でやろう、という声に後押しされる形で、体育館での運動会が催されたという。震災直後、そして現在に至ってもなお震災や福島に関する流言飛語や勝手な憶測は飛び交っており、当時の混乱は想像に難くない。しかし、そのような状況だからこそ、将来後悔が残らないように地域住民がみんなで納得のいく答えを出すことが必要だ。今後、震災だけではなく地方政治や子育てに関して渡利を視察しに来る人々が増えたらいいなと感じた。(小形陶子)

「放射能の影響で外で遊べない子どもたちが、肥満になってしまう傾向がある」というお話を福島に行く前に伺い、現地に着いたら子どもたちと存分に遊ぼうと思っていた。今東京に帰ってきた時に考えてみると、とても軽々しく「遊んであげよう」や「楽しもう」という言葉は使えないのだなと思っている。
 佐藤さんのリアルなお話の中で特に衝撃的だったのが、子どもたちを含めた渡利の方々は単に遊ぶ環境を失ったのではなく、彼らの日常を失ってしまったということだった。県外からのボランティアや支援の一環として子どもたちを遊びに連れていく、といったその時限りのイベントを提供しても、それは本当の意味で彼らへの支援にならないということだった。佐藤さんはお話の中で、「そっと見守ってほしい」ということを強調していたが、この言葉を東京で他人づてに聞いていたら理解し得なかったかもしれない。それは当事者の方々しか感じることができない感情で、それ以外の方々にとっては何か虚しさを感じさせることかもしれない。「支援したくてもできない、しているようで本当に必要なことができていない」ということを、私も話を聞いていて思っていた。
 私たちが直接でもないながらできることとしては、こう言った佐藤さんのお話のようなものをより多くの人に知ってもらえるように、伝えていく、ということをまず思った。実際に被災地以外に暮らしていても、メディアから得られる情報は今大量にあるが、ここまでローカルな人々の日常を知るという機会は極めて少ない。こういったフィールドワークを通して得た情報を発信していくことに意味はあると思った。また、そのために厳しいことや、多少煙たがられても現地に足を運んでその状況を発信していく姿勢は必要だと思った。(塚本亮司)

佐藤さんの話を聞いて最も印象に残ったことは、放射能の危険より子どもの成長障害を危惧しているという内容です。つい、東京にいると放射能そのものの危険についてばかり目が行ってしまいますが、福島に住んでいる人々にとっては、放射能そのものよりも影響が重要な問題なのだと分かりました。当然放射能の危険がなくなることを誰もが望んでいますが、現地の人が失ったものは「日常」であり、それを取り戻すことが一番の優先事項だと、現地の人の声を実際に聞いて初めて知りました。(秋山愛)

きりん教室の佐藤秀樹さんはじめご協力いただいたスタッフのみなさん、ありがとうございました。

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(つづく)

学生の立場から見た法テラス

こんばんは、おやです。福島、暑いです、、、

さてさて、前回掲載させていただいた法テラス福島事務所訪問記、第2弾が届きました!
今度は、院生の方からの投稿です。
学生として、院生として、女性として、いろいろと感じるところがあったようです。
それでは、渡部さん、よろしくお願いします♪

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学生の立場から見た法テラス
地域政策科学研究科1年 渡部陽子

 今回は、福島大学発の法テラスの事務所訪問ということで、緊張しつつ棟方さんと法テラスに向かいました。いざ事務所を訪れると、職員の方々は入室するなり笑顔を向けて下さり、安心しました。職員の方々はとても親切で、学生の拙い質問にも、丁寧に答えて下さいました。
 まず、法テラスに行ってすぐに気になったのは、職場のほとんどが女性の方であったという事です。勤務時間帯について質問してみると、妊娠中などは短時間勤務が可能ということで,法テラス福島にも実際に短時間勤務を活用している方がいるとのことでした。女性に優しい職場ということで、法テラスをより魅力的に感じました。
 また、情報提供業務について、コールセンターが仙台にあるということに驚きました。お話を聞くまでは,本部である東京にあるものだと思っていたからです。場所も公開されているのかと思っていたが、コールセンターは仙台にあるという情報以外は非公開ということでした。
オペレーターについても、元々法律に関して素人の人だったということに驚きました。事務所訪問後に実際にコールセンターに電話をかけてみたのですが、対応がスムーズで、全く素人だということを感じさせませんでした。研修がしっかりしているのだなと思いました。
 そして,民事扶助業務については、事務所を訪れる前の事前学習の段階では、無料相談や立て替え制度などを利用する際の要件は何故このように狭いのだろうという疑問を抱いていました。しかし,それも法テラスが国のお金、すなわち税金で運営されているためなんでもかんでも扶助できる訳ではないということがわかりました。また、財源を提供している国民が満足するようなサービスの質ということで,財源の問題と、サービスの質は、法テラスの課題になっているとのことでした。国営機関であるため、ルールなどいろいろ大変なことがあるのだなと思いました。これから法テラスの事務所訪問をしようと考えている後輩の皆さんは、民事扶助についてのお話は特によく聞くことをお勧めします。
 ちなみに、民事扶助業務については,大学生は要件に当てはまるのかなと疑問に思って質問してみたところ、扶養されている学生は、要件に当てはまらないが、自分で生計を立てている学生は、要件に当てはまることもあり得るということでした。このような具体的な要件等についても後輩の皆さんには実際に法テラスに行って聞いてくることを勧めます。
 他にも、実際にスタッフ弁護士の方ともお話をさせて頂いて、スタッフ弁護士のやりがいや隣接職業の方との関係について質問させていただきました。スタッフ弁護士の方も、私たちの辿々しい質問に対して笑顔で答えてくださいました。
 最後に、棟方さんとも話していたのですが,再び法テラスを訪れる機会がありましたら、法テラスの女性職員の方々とお茶会をして、女性からみた職場のあれこれについて聞いてみたいなと思いました。また、私の修士論文のテーマには,震災が関わってくる予定ですので,法テラスの方に震災に関わる業務などについてもお話を伺う機会ができればいいなと思いました。  
 法テラスの方々には、お忙しいなか、時間を設けて頂き、非常に貴重な機会を頂いたことに感謝しています。この事務所訪問で得た知識を、次に繋げたいと思います。

法テラス事業所訪問記

みなさんこんにちは。超おひさしぶりのおやです。
ぴたさんがブログに戻ってきたと言うことで気を抜いていたら(笑)、もうサボり始めてるじゃないか!!!
と人のことを言えるような状況ではないのですが、、、。

さて、今日は、法学専攻の学生さんが、法テラス福島地方事務所を訪問してきたということで、記事を寄せてくださいました。
(法テラス福島のホームページはこちら
法テラスは、経済的理由等で法律専門家へのアクセスが困難な人のために、国によって設立された組織で、「法的トラブル解決のための総合案内所」を標榜しています。
震災時の法律援助の様子が朝日新聞「プロメテウスの罠」で報道されたのを目にした方も多いのではないでしょうか。
(頼金大輔先生のインタビュー記事もご参照ください→こちら

法テラス福島の様子、学生さんの目には、どのように映ったのでしょうか。
ではでは、棟方さん、よろしくお願いします!

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法テラス事業所訪問を経て

福島大学行政政策学類 法学専攻3年 棟方玲花

 私は、大学1年生の時に初めて法テラスという組織があることを知りました。そして、事前学習とゼミでの報告で準備をした後、今回の事業所訪問を経て、法テラスの具体的な事業内容や組織など、法テラスが日本国民のためにどのような役割を担っているのか学ぶことができ、今回の事業所訪問はとても楽しく、ためになることばかりで、有意義な時間を過ごすことができました。
訪問するまで、すごく緊張していて、うまく話せるかな、など不安が多少なりともありましたが、すぐにそのような不安はなくなりました。わかりやすく説明していただいたおかげで、とても理解しやすく、すぐに楽しさの方が勝りました。
 事務所に入ると、法テラスのパンフレットや、法に関する様々なパンフレットを気軽に見ることができるようになっていて、難しい法律に一般の方でも気軽に触れることができるようになっており、非常に興味がそそられました。
まずは、いただいた資料やパンフレットを元に、法テラスの沿革と組織について説明をしていただきました。法テラスは、事務所の種類が5つあり、地方事務所から支部、出張所などのように、より多くの人にサービスを提供できるように工夫しており、効率的でいいな、と思いました。また、コールセンターが仙台にあることに驚きました。なぜなら、本部が東京にあるため、コールセンターも東京にあるものと考えていたからです。
次に、5つの主な業務について説明していただきました。事前学習で出た様々な疑問もこの説明を受けて解決することができました。わかりやすく要点をまとめて説明していただきました。また、こちらの質問にも丁寧に答えてくださって、より、法テラスへの理解や感心を深めることができました。特に、知りたかった法テラスの課題は、サービスの質の向上と財源の確保だと知ることができ、とてもためになりました。
 また、事務所の様子や弁護士事務所の様子、スタッフ弁護士の方ともお話をさせていただいたことで、法テラスの様子をより理解することができたと思います。スタッフ同士でコミュニケーションをとりながら仕事をしている姿を見て、いつか自分も…と思わずにはいられませんでした。実際にスタッフの方のお話を聞くことで、実際働いて感じる難しさややりがいも知ることができ、より、法テラスで働きたい、という思いが強くなりました。より多くの人々に法的サービスを提供できることは素晴らしい仕事だと感じました。
 今回、法テラスへの事業所訪問を行って、とても良かったです。とても有意義な時間を過ごすことができ、このような機会を設けていただき、法テラスのみなさんにはとても感謝しています。もし、またこのような機会があるなら、ぜひ後輩には事業所訪問に行ってもらいたいです。実際に法テラスを訪れることで、座学では得られない貴重なお話がたくさん聞けるはずです。
この事業所訪問を経て、国民が気軽に法的サービスを受けられる法テラスの存在や事業内容などは、ますます国民に広がるべきだと感じました。この訪問を経て、法テラスは私達国民にとってはなくてはならない組織だと強く感じました。
法テラス福島地方事務所のスタッフのみなさま、親切にしてくださって、本当に、ありがとうございました。


A Window on Fukushima――「3.11以降」の音を聴く

ご無沙汰にご無沙汰を重ね、ついに広告が出てしまっておりました…スミマセン。
そんな私は、昼の震災対策室のしみず(おや)です。

こんな状況を見かね、夜の震災対策室準メンバー(?)の高橋準さんが、ブログ記事を寄稿してくださいました。約1か月前に、東北地方太平洋沖地震から2年が経過したわけですが、その際に行われた企画「A Window on Fukushima――「3.11以降」の音を聴く」についてのインタビュー記事です。

同企画の主催者は、本ブログでもおなじみの永幡さん(永幡さんについての詳細は本文をご覧ください。本ブログの記事では、震災直後に寄稿していただいたこちらが非常に印象的でしたね)。

ではでは、準さん、よろしくお願いします♪


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 A Window on Fukushima。3.11以降の福島で採った音をモチーフに、国内外のアーチストたちが作成した作品を、インターネットを介して、2013年3月11日に日仏の会場で共有しようというもの。
 企画したのは、永幡幸司さん。元行政社会学部教員、現在は共生システム理工学類所属。専門はサウンドスケープ論です。
 3月11日、企画開始直前の永幡さんにインタビューして、この企画をたてるに至った経緯、目指すもの、現在の福島の状況などについてうかがいました。(高橋)

 インタビューをしたのは、会場となっているふくしまキッチンガーデン2階。1階には「かーちゃんの力・プロジェクト」のお店、「かーちゃんふるさと農園わぃわぃ」が入っています。
 最初訪ねたとき、永幡さんは不在。「かープロ」関係者にうかがったところ、「街なか広場に録音をしに出ていらっしゃいますよ」とのこと。こんな日にも、音を集めることにはぬかりがありません。
 3時半近くになって戻ってきた永幡さんをつかまえて、インタビュー開始。

――この企画を思いついたきっかけは。
永幡「3.11から後、アーチストっぽい活動もしてるんですよ。ドイツで開催されたサウンドスケープ関連の学会に行ったときに、福島のサウンドスケープを紹介するDVDを作って持っていったら、けっこうみんな注目してくれました。静止画と音声で作成したんですが、一つ作るのに1週間かかってしまいました。最新バージョンをWebにおいてあります。
 関心を持ってくれる人も増えました。去年福島を訪ねてきてくれた、ドミニクというフランス人がいて、彼がフランスのアートセンターに、この音の企画を持ち込んだんです。それで、どうせなら、フランスと福島で一緒の時間帯にやろうと。」
――ドミニクさんというのは。
永幡「40代半ばぐらいかな。大学で講師をしてるらしいんですが、実はよく知らなくて、文芸批評やラジオ番組の制作などもやってるみたいです。でもとにかく音には貪欲なひとで、去年5月にうちの研究室に来たときも、ずっとレコーダをまわしっぱなしなんですよ。おたがいあんまり上手じゃない英語で話をしていたんですが、ずっと録音してる。後から聴くと、けっこうそれも面白いんです。」
――「音」のつながりなんですね。永幡さんは、本業も音響学やサウンドスケープ論ですが、そこにこだわりたいと。
永幡「自分の得意なやり方ですから。「今の福島はこうなんだ」ということを伝えたかった。写真だと、カメラを向けた一方向だけしか切り取れないけど、音は360度から聞こえるわけです。根本的に違うものだと考えています。ただし、作品を作るのは本職ではないので、「えせアーチスト」と名乗っています。「えせ」なので、時間もかかってしまうんです。出来不出来の波もあります。」

 話をこのあたりまでしたところで、いきなり永幡さんが、「デモが来た!」と叫んで、部屋を飛び出しました。あわてて後を追うと、反原発のデモ行進がやってくるところでした。これも3.11の音風景(サウンドスケープ)の構成要素。さっそく録音の準備を永幡さんは始めます。

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 録音している日時や状況をマイクに吹き込む永幡さん。
 そうこうしているうちにデモ隊がやってきます。
 道をはさんで彼とわたしがいる反対側には、どこかの国の旗を持った人たちが数名固まっていました。

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 デモ隊はかなりの規模でした。通過するとき、上の写真の人たちは「出ていけー!」と怒鳴りながら隊列に詰め寄ろうとして、警官に制止されていました。
 そんなやりとりも、マイクは拾っていたでしょう。

 永幡さんも「基本的には原発には反対」だというのですが、デモ隊が通り過ぎて録音が終わったあとで、「音がぜんぜん洗練されていませんね。」とひとこと。やはりそこが気になるようです。「人に、無理やり聞かせる訳じゃないですか。もっと考えないと。」

 会場に戻って、インタビュー再開。

――いろんな方が参加されています。
永幡「2011年3月以来録りためた音は、かなり前から提供して、作品を作ってもらっていたんです。なので、半分ぐらいは、既存の作品ですね。日本人アーチストも4人かな。あとは、アメリカ、フランスなどです。清水靖晃さん(サックス奏者)も作品を寄せてくれました。やはり知っているアーチストが参加してくれるとうれしいですね。」
――苦労なさったことはなんでしょう。
永幡「企画自体は、楽しくて、たいへんなことはなかったんですけど、素材集めは、楽ではなかったですね。たとえば、「小鳥の森」(福島市)での録音。森の中は線量が高いところじゃないですか。そこに自分から進んで入っていかなくてはならないわけで、長時間ではないので、それほど悪影響はないと分かってはいるんですけど、やはり気分はよくないです。
 放射線については、慎重な人もそうでない人も、病気になるかならないかでしか語らない。しかしWHOの「健康」の定義は、「病気ではないこと」ではないんです。気分が悪い、というのは、よくないことなのではないかと思っています。」
――実はここへ来る前に、Podcastでひととおり聴いて来ました。あえて会場で音を流すことの意味はなんでしょう。
永幡「ええ、iTunesなどで自由に聴けるようになっています。(註:現在は別な音が流れるようです。)最初ドミニクは、リアルタイム配信にこだわっていたんですが、方針が変わったのかな。
 なぜ集まってみんなで聴くのか、というと、それは一緒に聴いて、感想を共有することにも意味があるからです。だから黙って聞いていることはなくて、あまり大きな声でなければ、意見交換をしながら聴いてほしいと思っています。」

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――イヤフォンで聴くのと、会場で聴くのとは、また違いますね。さっきテストの時に聴かせていただきましたが。
永幡「それもあります。研究室のしょぼいスピーカーとも、全然違いました。
 実は、本当は大学でやりたかったんです。金谷川周辺に住んでいる学生さんが来やすいので。あと、やはり福島大学に所属している人間としては、大学でこういうことをやっている、という形にしたいじゃないですか。でも、明日(3月12日)は入試の後期日程なので、教室が使えなくて、困ったなと。辻さん(行政政策学類長)に相談したら、ここを紹介されたんです。椅子も、行政政策学類から一時的にこちらに持ってきているものを使っています。」(冒頭の写真参照)
――最後にひと言、メッセージを。
永幡「自分は研究者なんですけど、さっき言ったようなことについての市民の意識を変えるためには、論文を書くだけでなく、もっと違った形で訴えることが必要だと思っています。それが今回の企画につながっている。
 本当は福島県外の人にも聴かせたいんです。こういう今の福島市のような状況にならないためにも。特に聴かせたいのは、経済人や政治家。でも、本当に聴いてほしい人には、なかなか届かないのが、残念です。
 それでも、狭いサークルの中で、コミュニケーションを閉じたくない。いろんな回路で、これからも発信を続けていきたいと思っています。」

A Window on Fukushima